粟野城址、城山公園からスタート。
公園内を通らずに、愚直に尾根先から山行を始めます。
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粟野城址、城山公園からスタート。
公園内を通らずに、愚直に尾根先から山行を始めます。
粟野城は天正18年に落城した山城です。
城址一帯は、谷を挟んで延びる二筋の尾根が、谷を抱えて護っているかのような形をしています。
今日はその西側の尾根の先っちょから山に入りました。
赤い鳥居の下にある、階段から取付きます。
右に見える建物は三峯講のお堂らしい。
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粟野城は天正18年に落城した山城です。
城址一帯は、谷を挟んで延びる二筋の尾根が、谷を抱えて護っているかのような形をしています。
今日はその西側の尾根の先っちょから山に入りました。
赤い鳥居の下にある、階段から取付きます。
右に見える建物は三峯講のお堂らしい。
赤い鳥居の下にあった石祠は、三峯神社だとか。
口粟野仲町の三峯講が祀っているらしいです。
右の2基には昭和57年の紀年銘。
左の石塔は白雲山塔でした。
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赤い鳥居の下にあった石祠は、三峯神社だとか。
口粟野仲町の三峯講が祀っているらしいです。
右の2基には昭和57年の紀年銘。
左の石塔は白雲山塔でした。
さらに登れば厳島神社の小社あり。
下野神社沿革誌にも載っている社だそうです。
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さらに登れば厳島神社の小社あり。
下野神社沿革誌にも載っている社だそうです。
厳島神社から城山を望む。
右に見えるのが城山スカイローラー(滑り台)。
画面手前に写っているのは公園協会の柵。早々に柵内に入った方が良かろうと思います。西斜面のすぐ下に人家があるのです。
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厳島神社から城山を望む。
右に見えるのが城山スカイローラー(滑り台)。
画面手前に写っているのは公園協会の柵。早々に柵内に入った方が良かろうと思います。西斜面のすぐ下に人家があるのです。
この小さな尾根筋にも、男二城・櫓跡などの山城遺構があります。
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この小さな尾根筋にも、男二城・櫓跡などの山城遺構があります。
やがて城山公園の最上部、257Pが見えてきました。
標高点の手前にある平場に「本丸」との標識あり。
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やがて城山公園の最上部、257Pが見えてきました。
標高点の手前にある平場に「本丸」との標識あり。
登りながら、粟野中学校あたりを望む。
大倉山と谷倉山がよく見えます。
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登りながら、粟野中学校あたりを望む。
大倉山と谷倉山がよく見えます。
257Pに到着。
ここは歴史遺構的にも眺望も、素晴らしい場所でした。
現地案内板は「見張櫓」「のろし台」と書かれています。
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257Pに到着。
ここは歴史遺構的にも眺望も、素晴らしい場所でした。
現地案内板は「見張櫓」「のろし台」と書かれています。
天正末に落城したという、粟野城の江戸時代の様子を知りたいのですが、ネットで調べたくらいではよく分かりません。
ここに残る遺構は、天正から明治〜昭和へいきなり飛びます。
口粟野防空監視哨は内径2.6m。
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天正末に落城したという、粟野城の江戸時代の様子を知りたいのですが、ネットで調べたくらいではよく分かりません。
ここに残る遺構は、天正から明治〜昭和へいきなり飛びます。
口粟野防空監視哨は内径2.6m。
口粟野防空監視哨について。
この案内板の足元に、推奨土木遺産のプレートあり。
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口粟野防空監視哨について。
この案内板の足元に、推奨土木遺産のプレートあり。
監視哨の横に、立派な石碑があります。
手前を護る柱石には「晃朗」「祥風」の文字。
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監視哨の横に、立派な石碑があります。
手前を護る柱石には「晃朗」「祥風」の文字。
「城山」碑。
字体と造りを見て、ただならない教養に愕然とさせられたのですが、下山後、徳川慶喜の揮毫であることを知りました。
どういう土地柄なのよ、粟野。
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「城山」碑。
字体と造りを見て、ただならない教養に愕然とさせられたのですが、下山後、徳川慶喜の揮毫であることを知りました。
どういう土地柄なのよ、粟野。
陽の昇る粟野の町を見下ろす。
画面左、山裾にある建物は旧粟野高校。
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陽の昇る粟野の町を見下ろす。
画面左、山裾にある建物は旧粟野高校。
城山から入粟野・中粟野方面(東側)の尾根々々を同定してみます。
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城山から入粟野・中粟野方面(東側)の尾根々々を同定してみます。
石裂と三峰と羽賀場・鶏鳴山を同定。
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石裂と三峰と羽賀場・鶏鳴山を同定。
城山から北西方向、三峰山、石裂・月山、横根山を望む。
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城山から北西方向、三峰山、石裂・月山、横根山を望む。
鶏鳴・羽賀場・二股・次石を同定。
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鶏鳴・羽賀場・二股・次石を同定。
三峰山。
ここから見ると、三峰山の3つのピークが非常によく分かります。
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三峰山。
ここから見ると、三峰山の3つのピークが非常によく分かります。
ハナント山方向を同定。
宝生山がちょっとだけ見えています。
ハナント山はまだ、山頂の平らな333Pの向こうに隠れていて見えません(朱矢印)。
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ハナント山方向を同定。
宝生山がちょっとだけ見えています。
ハナント山はまだ、山頂の平らな333Pの向こうに隠れていて見えません(朱矢印)。
谷倉山。
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谷倉山。
戦時中(たぶん)の遺構と、大倉山。
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戦時中(たぶん)の遺構と、大倉山。
筑波山方面を望む。
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筑波山方面を望む。
今日の筑波山です。
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1/3 7:12
今日の筑波山です。
さて城山を北に下って、尾根筋を探します。
257Pの北側にも、城の遺構と思われる平場あり。
棘のある低木藪だったので、柵の外に逃げました。
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さて城山を北に下って、尾根筋を探します。
257Pの北側にも、城の遺構と思われる平場あり。
棘のある低木藪だったので、柵の外に逃げました。
257Pを顧みる。
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257Pを顧みる。
山城らしく、257Pの周囲は崖状に切り立っているので、その先の尾根筋が見えにくいです。
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山城らしく、257Pの周囲は崖状に切り立っているので、その先の尾根筋が見えにくいです。
ここを下れば…
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ここを下れば…
予定していた尾根筋に入ります。
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予定していた尾根筋に入ります。
4等三角点「妙見寺」を通過。
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4等三角点「妙見寺」を通過。
4等「妙見寺」のピークから下った鞍部に差し掛かると…
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4等「妙見寺」のピークから下った鞍部に差し掛かると…
石祠がありました。
左右に峠道の道型も確認できます。
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石祠がありました。
左右に峠道の道型も確認できます。
岐神です(東南東向き)。
妙見寺と叶桑沢を繋ぐみちであった模様。
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岐神です(東南東向き)。
妙見寺と叶桑沢を繋ぐみちであった模様。
「昭和六年十二月吉日建之」
「願主 鳴鳥屋 遠州屋」の銘あり。
母屋は倒れていますが、丁寧な造りです。
基部にホゾ穴が切ってあります。
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「昭和六年十二月吉日建之」
「願主 鳴鳥屋 遠州屋」の銘あり。
母屋は倒れていますが、丁寧な造りです。
基部にホゾ穴が切ってあります。
祠の傍らに、石神さまがありました。
陽根型の、明らかに塞ノ神です。
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1/3 7:38
祠の傍らに、石神さまがありました。
陽根型の、明らかに塞ノ神です。
4等・妙見寺と333Pとの中間点で、切りっぱなしの倒木で荒れた区間あり。
すぐ終わります。
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4等・妙見寺と333Pとの中間点で、切りっぱなしの倒木で荒れた区間あり。
すぐ終わります。
333Pへの登り。
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333Pへの登り。
333Pは土木痕のあるピークになってました。
尾根を横堀が横断しているのが分かります。
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333Pは土木痕のあるピークになってました。
尾根を横堀が横断しているのが分かります。
覗いてみると、333Pを周回するように切岸状になっています。
城址じゃないかと思いました。
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覗いてみると、333Pを周回するように切岸状になっています。
城址じゃないかと思いました。
登ってきた尾根筋。
こちらも整地痕あり。
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登ってきた尾根筋。
こちらも整地痕あり。
真っ平らな333P。
南から北を望む。
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真っ平らな333P。
南から北を望む。
北から南を望む。
この件、詳しい方に報告しておきました。
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北から南を望む。
この件、詳しい方に報告しておきました。
333Pを越えて登り返した地点に、小さな伐採地があります。
ここまで来て、目指すハナント山が見えてきました。
双耳峰のピークですが、この尾根筋からだと、それとは分かりにくいです。
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1/3 8:17
333Pを越えて登り返した地点に、小さな伐採地があります。
ここまで来て、目指すハナント山が見えてきました。
双耳峰のピークですが、この尾根筋からだと、それとは分かりにくいです。
眺望地から小ピークに至る尾根筋は、藪。
尾根筋の南側に巻道が続いています。
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眺望地から小ピークに至る尾根筋は、藪。
尾根筋の南側に巻道が続いています。
栃森公標柱に、この辺で気づきました。
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栃森公標柱に、この辺で気づきました。
もう一度登り返した地点も眺望地。
古賀志・八溝から大倉・筑波までを同定。
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1/3 8:38
もう一度登り返した地点も眺望地。
古賀志・八溝から大倉・筑波までを同定。
石裂山を望めば、大滝山と白髭山も見えてきました。
雲で奥日光が見えないのが残念!
ここからは横根と石裂との間に、奥白根が見えるはずです。
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1/3 8:39
石裂山を望めば、大滝山と白髭山も見えてきました。
雲で奥日光が見えないのが残念!
ここからは横根と石裂との間に、奥白根が見えるはずです。
ちょっと引いてみる。
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ちょっと引いてみる。
三峰山が、真横に近づいてきました。
3つのピークが、だんだん重なってきています。
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三峰山が、真横に近づいてきました。
3つのピークが、だんだん重なってきています。
368Pを通過。
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368Pを通過。
368Pを下って、登り返すあたり。
ここだけに限らず、登山道並みに使い込まれた古いみちに何度か出合いました。
きれいなつづら折れの道なのですが、窪んだ道型に落ち葉が降り積もり、歩きにくくなっています。
馬搬のみちだったら、こんなに曲げないよなあ…などと思いつつ。
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1/3 8:57
368Pを下って、登り返すあたり。
ここだけに限らず、登山道並みに使い込まれた古いみちに何度か出合いました。
きれいなつづら折れの道なのですが、窪んだ道型に落ち葉が降り積もり、歩きにくくなっています。
馬搬のみちだったら、こんなに曲げないよなあ…などと思いつつ。
410P手前の小ピークへの尾根筋も、藪になりつつある区間。
尾根の南側に巻道あり。
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410P手前の小ピークへの尾根筋も、藪になりつつある区間。
尾根の南側に巻道あり。
410Pへの登り。
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410Pへの登り。
410Pを通過。
遠く正面に見えているのは509P。
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410Pを通過。
遠く正面に見えているのは509P。
509P手前の細長い尾根の肩は、ちょっと明るいみち。
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509P手前の細長い尾根の肩は、ちょっと明るいみち。
その尾根の肩から、出流の尾根が見えるようになりました。
同定してみます。
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その尾根の肩から、出流の尾根が見えるようになりました。
同定してみます。
509Pに到着。
ここで今日の行程の、ちょうど半分くらいかな。
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509Pに到着。
ここで今日の行程の、ちょうど半分くらいかな。
3等三角点「桑沢」が近づくにつれ、尾根が細んできました。
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3等三角点「桑沢」が近づくにつれ、尾根が細んできました。
眼下西側に皆伐地。
樹間に尾出山なども見えてきました。
同定してみます。
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眼下西側に皆伐地。
樹間に尾出山なども見えてきました。
同定してみます。
3等・桑沢への登り。
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3等・桑沢への登り。
三等三角点「桑沢」のあるピークに到着。
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三等三角点「桑沢」のあるピークに到着。
3等三角点とRKさんの標高標識あり。
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3等三角点とRKさんの標高標識あり。
そのあと、460Pに向かって登り返すあたりで、眺望地がありました。
同定してみます。
ここは菅沼集落方面に向けて、踏跡があるようです(荒れてます)。
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1/3 10:06
そのあと、460Pに向かって登り返すあたりで、眺望地がありました。
同定してみます。
ここは菅沼集落方面に向けて、踏跡があるようです(荒れてます)。
鶏鳴から羽賀場まで。
お天気山がやっと見えてきました。
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1/3 10:06
鶏鳴から羽賀場まで。
お天気山がやっと見えてきました。
かまど倉と二股。
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かまど倉と二股。
眺望地から460Pまでの尾根筋も藪がかり。
巻いて登ります。
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眺望地から460Pまでの尾根筋も藪がかり。
巻いて登ります。
460Pに到着。
細長いピークの東の端に、凝灰岩製(深岩石?)の祠がありました。
眼下の追池小金沢集落の守り神かもしれません。
それにしても、生木の基礎なの?
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1/3 10:16
460Pに到着。
細長いピークの東の端に、凝灰岩製(深岩石?)の祠がありました。
眼下の追池小金沢集落の守り神かもしれません。
それにしても、生木の基礎なの?
よく見ると、ちゃんと石の基礎がありました。
祠の右側に、屋根材が落ちていた形跡がありますが、
最近までこの祠は、ここでバラバラのまま放置されてたみたいです。
東北東向き。
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1/3 10:18
よく見ると、ちゃんと石の基礎がありました。
祠の右側に、屋根材が落ちていた形跡がありますが、
最近までこの祠は、ここでバラバラのまま放置されてたみたいです。
東北東向き。
460Pを過ぎて、地形図上の最初の小ピークでマーキングが現れました。
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1/3 10:27
460Pを過ぎて、地形図上の最初の小ピークでマーキングが現れました。
このピークで、ついにハナント山の西峰と東峰を、並んで見ることが出来ました。
右手前のピークが東峰。
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1/3 10:29
このピークで、ついにハナント山の西峰と東峰を、並んで見ることが出来ました。
右手前のピークが東峰。
樹間から、少しだけ眺望が得られました。
天候の関係で、今日ここでしか見られなかった山もいくつかあります。
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1/3 10:31
樹間から、少しだけ眺望が得られました。
天候の関係で、今日ここでしか見られなかった山もいくつかあります。
樹間から、大木戸・三ノ宿・六郎地。
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樹間から、大木戸・三ノ宿・六郎地。
皇海山!? と思ったら地蔵岳!
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皇海山!? と思ったら地蔵岳!
その小ピークを下り始めたあたりで見かけた、山林境界標。
「山」印の境界標は、この日初めてかな。
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1/3 10:34
その小ピークを下り始めたあたりで見かけた、山林境界標。
「山」印の境界標は、この日初めてかな。
459Pへの登り。
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459Pへの登り。
459Pを通過。
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459Pを通過。
おお〜、いい尾根です。
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1/3 10:54
おお〜、いい尾根です。
地形図にある、破線のみちと直交する鞍部に入ります。
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1/3 11:00
地形図にある、破線のみちと直交する鞍部に入ります。
東側への踏跡は、微妙。
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東側への踏跡は、微妙。
西へはさらに微妙。
地形図でよくある「テキトーな破線」みたいです。
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西へはさらに微妙。
地形図でよくある「テキトーな破線」みたいです。
破線の鞍部を過ぎれば、いよいよハナントの領域です。
おやつなどを食べつつ、東峰を登ります。
(栃森公標石あり)
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1/3 11:21
破線の鞍部を過ぎれば、いよいよハナントの領域です。
おやつなどを食べつつ、東峰を登ります。
(栃森公標石あり)
ハナント山東峰に到着。
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1/3 11:30
ハナント山東峰に到着。
何もありません。
山林境界標1本が立つのみ。
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何もありません。
山林境界標1本が立つのみ。
東峰を下り切った鞍部でも、破線が直交しています。
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東峰を下り切った鞍部でも、破線が直交しています。
ここから東へは明瞭な踏跡あり。
西峰を巻いて歩けるようです。
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1/3 11:35
ここから東へは明瞭な踏跡あり。
西峰を巻いて歩けるようです。
西へのみちはかなり微妙でした。
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西へのみちはかなり微妙でした。
西峰に向かって登っていきます。
斜面途中の肩を通過。
帰宅後知ったのですが、このあたりに石祠が1基あったみたいです。
また来なきゃ(笑)
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1/3 11:42
西峰に向かって登っていきます。
斜面途中の肩を通過。
帰宅後知ったのですが、このあたりに石祠が1基あったみたいです。
また来なきゃ(笑)
案外あっけなく、西峰頂上に着きました。
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1/3 11:46
案外あっけなく、西峰頂上に着きました。
山名板1枚と、2等三角点「入粟野」
ハナント山に到着です。
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1/3 11:47
山名板1枚と、2等三角点「入粟野」
ハナント山に到着です。
山名板は木浦沢タイプ。
同じ方の手によるものだと思われました。
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1/3 11:47
山名板は木浦沢タイプ。
同じ方の手によるものだと思われました。
リューキチ氏の温度計あり。
久しぶりに見ました。
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1/3 11:47
リューキチ氏の温度計あり。
久しぶりに見ました。
さて、眺望がないピークだと聞いていたのに、
西の端が明るいです。
行ってみたら…
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1/3 11:49
さて、眺望がないピークだと聞いていたのに、
西の端が明るいです。
行ってみたら…
まさかの皆伐!!!
想像もしていなかった眺望が広がっていました。
同定してみます。
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1/3 11:49
まさかの皆伐!!!
想像もしていなかった眺望が広がっていました。
同定してみます。
これは、コーヒー沸かすしかないでしょ。
強風なんかに負けてられるかっ
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これは、コーヒー沸かすしかないでしょ。
強風なんかに負けてられるかっ
尾出山・谷倉山と遠木集落。
小雪吹きかける荒天でしたが、思いがけない風景を堪能させてもらいました。
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尾出山・谷倉山と遠木集落。
小雪吹きかける荒天でしたが、思いがけない風景を堪能させてもらいました。
樹間の石裂方面。
大滝・白鬚…高平まで見えてます。
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樹間の石裂方面。
大滝・白鬚…高平まで見えてます。
頂上西の肩より三角点方向を望む。
長居しました、下山します。
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1/3 12:27
頂上西の肩より三角点方向を望む。
長居しました、下山します。
この斜面も、明瞭なつづら折れの道型がありました。
やはり落ち葉が堆積しています。
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1/3 12:32
この斜面も、明瞭なつづら折れの道型がありました。
やはり落ち葉が堆積しています。
勾配が緩やかになったあたりで、ススキ原の斜面に出ました。
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1/3 12:35
勾配が緩やかになったあたりで、ススキ原の斜面に出ました。
眺めがいいので…
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1/3 12:35
眺めがいいので…
同定してみます。
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同定してみます。
777Pとお天気山。
先日下った西斜面が…見える(笑)
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777Pとお天気山。
先日下った西斜面が…見える(笑)
羽賀場山。
落葉樹と人工林が、ピークを分けてるように見えます。
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羽賀場山。
落葉樹と人工林が、ピークを分けてるように見えます。
鳴蟲山。
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1/3 12:37
鳴蟲山。
かまど倉。
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かまど倉。
二股と古賀志山。
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1/3 12:37
二股と古賀志山。
そしてハナント山。
名残りの同定でござる。
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1/3 12:41
そしてハナント山。
名残りの同定でござる。
下山します。
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下山します。
林道羽遠線のゲートが見えてきました。
自転車をデポしてあります。
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1/3 12:43
林道羽遠線のゲートが見えてきました。
自転車をデポしてあります。
画面中央の尾根を下ってきました、無事ゴール。
右が羽遠線のゲート。
左の車道を下れば、県道246号線に出ます。
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1/3 12:44
画面中央の尾根を下ってきました、無事ゴール。
右が羽遠線のゲート。
左の車道を下れば、県道246号線に出ます。
羽遠線林道起点標識あり。
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1/3 12:45
羽遠線林道起点標識あり。
車道の対面に、尾根の続きがあります。
また来させてもらいま〜す!
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1/3 12:45
車道の対面に、尾根の続きがあります。
また来させてもらいま〜す!
チドリアン回収。
県道246号線を使って、城山公園まで12.9kmありました。
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1/3 12:46
チドリアン回収。
県道246号線を使って、城山公園まで12.9kmありました。
羽遠橋を通過。
粟野川を渡って、246号線に入ります。
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1/3 13:10
羽遠橋を通過。
粟野川を渡って、246号線に入ります。
無事、城山公園に到着。
面白そうなので、しばらく城山をブラブラしました。
以下、ちょっとだけ写真載せます。
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1/3 13:50
無事、城山公園に到着。
面白そうなので、しばらく城山をブラブラしました。
以下、ちょっとだけ写真載せます。
とちふれ案内板。
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とちふれ案内板。
城中に、総石造りの炭窯あり。
おそらく白炭窯。
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1/3 13:39
城中に、総石造りの炭窯あり。
おそらく白炭窯。
横尾家墓所。
画面奥の墓碑銘は、日下部鳴鶴による撰文、勝海舟による揮毫。
何モンだったんだ、横尾智孝って。
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横尾家墓所。
画面奥の墓碑銘は、日下部鳴鶴による撰文、勝海舟による揮毫。
何モンだったんだ、横尾智孝って。
城山東の尾根と、スカイローラー。
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1/3 13:53
城山東の尾根と、スカイローラー。
「城山梅園之記」
これも慶喜の揮毫。
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「城山梅園之記」
これも慶喜の揮毫。
齋藤秀隆の墓。
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齋藤秀隆の墓。
二重の塔。
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二重の塔。
257Pにて、三峰山。
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257Pにて、三峰山。
同じく石裂山。
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同じく石裂山。
同じく粟野歴史民俗資料館(図書館と併設)。
相沢宿の銅扉は、ここに収蔵展示されています。
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同じく粟野歴史民俗資料館(図書館と併設)。
相沢宿の銅扉は、ここに収蔵展示されています。
石垣。
見た感じ、天正よりずっと後の時代の石組。
調べてみたら、皆さん同じ意見みたいです。
いつ造ったのだろうか?
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1/3 14:50
石垣。
見た感じ、天正よりずっと後の時代の石組。
調べてみたら、皆さん同じ意見みたいです。
いつ造ったのだろうか?
仲町三峯講のものらしい、○○堂(読めなかった)。
裏手に3基の十九夜塔があるが、古いものほど小さい。
嘉永2年(1849)銘のものは清龍寺より、
明治27年銘のものは辨財天麦坂下より、
それぞれ昭和5年にここへ移したとの銘あり。
大きなものは昭和5年に直接ここに立てたらしい。
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仲町三峯講のものらしい、○○堂(読めなかった)。
裏手に3基の十九夜塔があるが、古いものほど小さい。
嘉永2年(1849)銘のものは清龍寺より、
明治27年銘のものは辨財天麦坂下より、
それぞれ昭和5年にここへ移したとの銘あり。
大きなものは昭和5年に直接ここに立てたらしい。
追手門脇の稲荷大明神。
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1/3 15:15
追手門脇の稲荷大明神。
…そんなこんなで、まだ明るいうちに帰りました。
真ん中に見えるのは、深岩山 - かまど倉 - 羽賀場山の稜線。
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1/3 15:36
…そんなこんなで、まだ明るいうちに帰りました。
真ん中に見えるのは、深岩山 - かまど倉 - 羽賀場山の稜線。
thoughtmayさん こんばんは〜〜。
ハナント山って興味そそる山名っす。粟野城とケイキさんの碑もこの目で見てみたい。調べてみると勝海舟の揮毫も近くにあるみたいですねってthoughtmayさんのレコにも記載されていました・・・。 ほんとどういう土地柄なのよ?なにがあったの栗野?って感じです。慶喜ファンとしてここは必ず近い内に訪れてみたいです。
なんでもない里山低山がthoughtmayさんのレコでいっきに次回歩いてみたい場所ナンバー1になりました。
masaki氏の『栃木県の中世城郭』もなかなか面白いです。お気に入りに登録しておきました。時間があるときにじっくり読ませて頂きます。
そういえば今回のレコとは関係ありませんが「DAY CLASSIC HEMP」渋かっこいいですね。自分も今使っている「CLASSIC DAY」から「DAY」か「DAY CLASSIC HEMP」に買換を検討中だけど、使い込む頃には左肩回復してそうだし、でも使い勝手がいいから肩が直ってもこのままランバー使い続けそうな気もするしで迷ってます。なんで一番安い「CLASSIC DAY」を買ってしまったのかと些細なことですが後悔中です。壊れる気配微塵もないしなぁ〜(;´д`)。丈夫っすねこれ。
ではまた〜。
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
<(_ _)>
慶喜、お好きでしたか〜!
僕は司馬遼太郎の一連の著作でしか知らないのですが、
気になる人物です。
(というか、かなり好きっす)
ここは太平記の世界も感じられるし、花もいいらしいし、
okushiraneさん、楽しめるかもしれません。
レコには詳しく書きませんでしたけど、
横尾勝右衛門(智孝)という、初代粟野町長も務めた人物が
彼らと交流があり、この城山を整備したみたいです。
勝右衛門の撰文した碑文では、
粟野城のルーツとして足利忠綱が造った砦をに由来する、との趣旨の記述があります。
足利忠綱…赤雪山山名語源の伝承を持つ人物なんで、ムムム…となってしまいました。
勝右衛門は、名主としての名跡かもしれません。
wikiでは横尾輝吉という人物の記述があるのですが、
生年を見ると別人のようです。
ネットで調べた限りでは、勝右衛門のことは分かりませんでした。
ランバーは昔、僕の親友が使ってまして、
あまりに使いやすいんで僕も買ってみた、というバッグです(笑)
マウンテンスミス社のカタログで見た色のバッグが日本で手に入らなかったので、
AmzonUSAから買い求めた記憶があります〜
あほやな〜、オレ(゚∀゚)
キリがないですね、出勤しま〜す!
(^^)/
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