記録ID: 7561223
全員に公開
無雪期ピークハント/縦走
葛城高原・二上山
葛城二十八宿経塚巡行【復刻版】24番平石峠、25番高貴寺
2015年06月25日(木) [日帰り]


- GPS
- --:--
- 距離
- 9.6km
- 登り
- 423m
- 下り
- 433m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 5:47
- 休憩
- 0:51
- 合計
- 6:38
10:10
65分
10:10近つ飛鳥博物館10:50スタート地点
11:15
5分
第1展望台11:15
11:20
50分
11:20ハイキングコース入
12:10
11:20
60分
休憩所12:10
12:20
18分
平岩 城址12:20
12:38
12:55
18分
12:38磐船神社12:55
13:13
13:15
2分
休憩所13:13
13:25
9分
葛城経塚二十八祝(第25番)
13:34
26分
13:34道標
14:00
14:04
11分
14:01柿木谷分 岐
14:15
0分
14:15平石峠14:20
14:35
14:43
8分
14:35水場14:43
14:51
20分
14:51県道704分岐
15:11
17分
15:11竹内入口
15:28
15:30
13分
15:28鍋塚古墳
15:43
15:50
5分
15:43長尾神社 15:50
15:55
葛城二十八宿経塚巡行第1弾として、24番平石峠、25番高貴寺を巡行する。本来ならば、第1番友ヶ島から始めるべきなのだろうが、干潮時刻など調べていないので、歩きやすいところから。
実を言うと、近つ飛鳥博物館の、平成27年度春季特別展「古代出雲とヤマト王権−神話の国の考古学−」が6月28日に終るというので、あわててコース設定したものだ。
【コースタイム】
9:34富田林9:50−阪南ネオポリス−10:10近つ飛鳥博物館10:50−第1展望台11:15−
11:20ハイキングコース入り−休憩所12:10−平岩城址12:20−12:38磐船神社12:55−休憩所13:13−13:17高貴寺13:28−
13:34道標−谷分岐休憩10分−14:01柿木谷分岐−14:15平石峠14:20−14:35水場14:43−14:51県道704分岐−15:11竹内入口−15:28鍋塚古墳−15:43長尾神社15:50−15:55磐城
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■対応元記事
https://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-230.html
https://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-231.html
実を言うと、近つ飛鳥博物館の、平成27年度春季特別展「古代出雲とヤマト王権−神話の国の考古学−」が6月28日に終るというので、あわててコース設定したものだ。
【コースタイム】
9:34富田林9:50−阪南ネオポリス−10:10近つ飛鳥博物館10:50−第1展望台11:15−
11:20ハイキングコース入り−休憩所12:10−平岩城址12:20−12:38磐船神社12:55−休憩所13:13−13:17高貴寺13:28−
13:34道標−谷分岐休憩10分−14:01柿木谷分岐−14:15平石峠14:20−14:35水場14:43−14:51県道704分岐−15:11竹内入口−15:28鍋塚古墳−15:43長尾神社15:50−15:55磐城
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■対応元記事
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過去天気図(気象庁) | 2015年06月の天気図 |
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アクセス |
写真
1.近つ飛鳥博物館
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阪南ネオポリスバス停からエントランスを入って、いくつかの古墳のそばを通り、少し低い谷のところにあった。こういう形の建物は安藤さん設計かと思ったら、その通りだった。しかし、安藤さんにしては、おとなしめか?北側からの写真をみるとそうでもなく、まず見た目でど肝を抜かすデザインで、これは巨大古墳と同じ手法かと思う。建築デザインについては門外漢なので評はできないが、無味乾燥な事務所風のビルというのもどうかとは思う。しかし、狭山池博物館には呆れた。
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阪南ネオポリスバス停からエントランスを入って、いくつかの古墳のそばを通り、少し低い谷のところにあった。こういう形の建物は安藤さん設計かと思ったら、その通りだった。しかし、安藤さんにしては、おとなしめか?北側からの写真をみるとそうでもなく、まず見た目でど肝を抜かすデザインで、これは巨大古墳と同じ手法かと思う。建築デザインについては門外漢なので評はできないが、無味乾燥な事務所風のビルというのもどうかとは思う。しかし、狭山池博物館には呆れた。
サルだ!こちらに気づいているはずなのだが、おかまいなしにまっすぐ歩いてくる。こちらは当然相手が林の中に逃げていくと思っているのだが、それを無視するようにまっすぐ歩いてくる。こちらは唖然として突っ立ったままだ(11:24)。
ボクは前の写真で、赤杭の手前2mほどの所に立っているのだが、サルは2〜3mまで近づき、メンチを切って、悠然と赤杭の所から右の踏み跡に入っていった。ボクは呆然として写真を2枚撮っただけ。
箕面のサルなら襲われていたところだ。紳士的なサルでよかった!
山の中でサルにあうことはあるが、だいたいは木の上に登っていて、それでもこちらに気がついたらすぐに逃げて、写真など撮れるはずがない。人慣れしたサルなのだろうか?
もしサルでなく、イノシシやクマだったらどうしただろう?
箕面のサルなら襲われていたところだ。紳士的なサルでよかった!
山の中でサルにあうことはあるが、だいたいは木の上に登っていて、それでもこちらに気がついたらすぐに逃げて、写真など撮れるはずがない。人慣れしたサルなのだろうか?
もしサルでなく、イノシシやクマだったらどうしただろう?
休憩所が作ってあったので、ここでお昼にした。
後ろはゴルフ場だが、尾根越に涼しい風が吹き抜ける。東は開けていて絶好の休憩ポイントだ。
昼ごはんを終って休憩していると、平岩城址の方から一人のおじさんが歩いてきた。
「河南町の広報誌に書いてあったけど、サルはほんまにおるんやなあ。城跡近くで樹に登っているのを見た」
「エー!ボクもさっき見ましたよ、峠を越えたあたり」
ここからサル談義が始まった。
おじさんが引き返してくる前、数十分前のことなので、多分同じサルだろうということになった。サルはこのハイキング道を歩いてきたのか。いよいよ、サルのハイキングルートだ。
大阪府広報:http://www.pref.osaka.lg.jp/hodo/index.php?site=fumin&pageId=20983
後ろはゴルフ場だが、尾根越に涼しい風が吹き抜ける。東は開けていて絶好の休憩ポイントだ。
昼ごはんを終って休憩していると、平岩城址の方から一人のおじさんが歩いてきた。
「河南町の広報誌に書いてあったけど、サルはほんまにおるんやなあ。城跡近くで樹に登っているのを見た」
「エー!ボクもさっき見ましたよ、峠を越えたあたり」
ここからサル談義が始まった。
おじさんが引き返してくる前、数十分前のことなので、多分同じサルだろうということになった。サルはこのハイキング道を歩いてきたのか。いよいよ、サルのハイキングルートだ。
大阪府広報:http://www.pref.osaka.lg.jp/hodo/index.php?site=fumin&pageId=20983
本丸跡
案内板
楠木の支城 平 石 城 跡
この地の豪族平岩茂直が元弘元年(一三三一)楠木正成の赤阪挙兵に応じてこの城に拠り、北条方と戦って戦死した。その後、正平十四年(一三五九)楠木正儀が当城をかため足利勢と戦った。府史跡として指定されている。 河南町教育委員会
案内板
楠木の支城 平 石 城 跡
この地の豪族平岩茂直が元弘元年(一三三一)楠木正成の赤阪挙兵に応じてこの城に拠り、北条方と戦って戦死した。その後、正平十四年(一三五九)楠木正儀が当城をかため足利勢と戦った。府史跡として指定されている。 河南町教育委員会
中央に祠があった。その両サイドには、子孫の方が天明8年に建立したものと思われる石碑があった。
http://www.geocities.jp/kitamejirou/new_page_52.htm
平岩城址を後にして、磐船神社へ向かう。
http://www.geocities.jp/kitamejirou/new_page_52.htm
平岩城址を後にして、磐船神社へ向かう。
鳥居前には巨大な「祓戸大神」の石碑。
祓戸大神は、瀬織津比売・速開都比売・気吹戸主・速佐須良比売の四神が祓戸四神で、この神々を言うらしい。これらの神は葦原中国のあらゆる罪・穢を祓い去る神ということなので、まことにありがたいが、速開都比売の他は『記紀』には載ってないんだそうだ。
瀬織津比売(せおりつひめ):もろもろの禍事・罪・穢れを川から海へ流す
速開都比売(はやあきつひめ):海底にいてもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込む
気吹戸主(いぶきどぬし):速開津媛命がそれらを飲み込むのを確認して根の国・底の国に息吹を放つ
速佐須良比売(はやさすらひめ): 根の国・底の国に持ち込まれたもろもろの禍事・罪・穢れをさすらって失う
順番に役割を果たすようになっているのか。 瀬織津比売は、どこかへ行った時調べたのだが、どこなのか忘れてしまった。
祓戸大神は、瀬織津比売・速開都比売・気吹戸主・速佐須良比売の四神が祓戸四神で、この神々を言うらしい。これらの神は葦原中国のあらゆる罪・穢を祓い去る神ということなので、まことにありがたいが、速開都比売の他は『記紀』には載ってないんだそうだ。
瀬織津比売(せおりつひめ):もろもろの禍事・罪・穢れを川から海へ流す
速開都比売(はやあきつひめ):海底にいてもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込む
気吹戸主(いぶきどぬし):速開津媛命がそれらを飲み込むのを確認して根の国・底の国に息吹を放つ
速佐須良比売(はやさすらひめ): 根の国・底の国に持ち込まれたもろもろの禍事・罪・穢れをさすらって失う
順番に役割を果たすようになっているのか。 瀬織津比売は、どこかへ行った時調べたのだが、どこなのか忘れてしまった。
拝殿
ご祭神は、
主神:天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊、天照大神、高皇産靈神
配祀:表筒男命、中筒男命、底筒男命、應神天皇、可美眞手命、御炊屋姫命、大山祇命
摂社:豊受大神他五柱
この付近は蘇我氏の地盤らしく物部氏の入り込む余地はないとのことだが、物部氏がもっと早く来たと考えればよいのでは?。蘇我氏が力を持ってくれば平石峠を越えて退避したとか?。逃げなくてもただ住んでいるだけなら良かったのではと思う。
ご祭神は、
主神:天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊、天照大神、高皇産靈神
配祀:表筒男命、中筒男命、底筒男命、應神天皇、可美眞手命、御炊屋姫命、大山祇命
摂社:豊受大神他五柱
この付近は蘇我氏の地盤らしく物部氏の入り込む余地はないとのことだが、物部氏がもっと早く来たと考えればよいのでは?。蘇我氏が力を持ってくれば平石峠を越えて退避したとか?。逃げなくてもただ住んでいるだけなら良かったのではと思う。
なるほど、近くの高貴寺の鎮守、もしくは高貴寺が当社の神宮寺として成立したという関係にあったのだろう。江戸時代中ごろに、高貴寺の大徳慈雲尊者が葛城神道を創唱する際、本社を根本道場として「樛宮」「栂の宮」と命名し、明治初年、神仏分離により高貴寺と分離され、磐船大神社となったとのことなので、ニギハヤヒ伝承を認識されたのは明治以後のことか?それとも、ニギハヤヒ伝承−蘇我氏隆盛で隠れた−役行者の開山・行場(神下山香花寺)−空海が来住し高貴寺と改称し−大徳慈雲尊者の葛城神道−神仏分離により磐船大神社、栂の宮、樛宮・・・という流れなのか?
神下山香花寺は底筒男命が降臨した地として考えられているそうなので、磐船神社の大元は底筒男命の社かも知れない。
神下山香花寺は底筒男命が降臨した地として考えられているそうなので、磐船神社の大元は底筒男命の社かも知れない。
参拝を終え、鳥居前から高貴寺に向かうとあった。形からすると、天岩戸?私市の磐船神社ではこの形のとてつもなく巨大なものがあって、それを天岩戸と称していた。それとも割れ目があるので女岩か?
古色蒼然!よい神社だ。ここの磐船神社を紹介したサイトをいろいろ見て回ったが、こともあろうに本殿裏の磐座に登って瞑想したヤツがいた。迷走にもならない。そういうチャライヤツに限って「パワースポット」とか言ってもてはやす。それに悪のりして神社自ら「パワースポット」と言い出す始末だ。揚げ句の果ては、境内にマンション!おかしいと思わないのか。お参りする人は少なくてもきちんと手入れがしてあって、清浄。これが古色蒼然だ。ここは並みのチャライ神社とは違う古色蒼然だ。ここへきて修行せい。修行が足らん!
古色蒼然!よい神社だ。ここの磐船神社を紹介したサイトをいろいろ見て回ったが、こともあろうに本殿裏の磐座に登って瞑想したヤツがいた。迷走にもならない。そういうチャライヤツに限って「パワースポット」とか言ってもてはやす。それに悪のりして神社自ら「パワースポット」と言い出す始末だ。揚げ句の果ては、境内にマンション!おかしいと思わないのか。お参りする人は少なくてもきちんと手入れがしてあって、清浄。これが古色蒼然だ。ここは並みのチャライ神社とは違う古色蒼然だ。ここへきて修行せい。修行が足らん!
5.ヤギさんの高貴寺
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さて、高貴寺へ向かう。高低差は全くといってないような水平道だ。あまりに気持がよいので、コンクリのベンチで休憩した。蚊蚊蚊の蚊。
10分ほどて高貴寺に着いた。
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さて、高貴寺へ向かう。高低差は全くといってないような水平道だ。あまりに気持がよいので、コンクリのベンチで休憩した。蚊蚊蚊の蚊。
10分ほどて高貴寺に着いた。
門の中にもたくさんあったが・・・・・写真禁止では。
アウトドアでは、持って帰るのはゴミと写真を実践しているが、写真を持って帰るのもダメなのか?どうも理解できない。
調べると、ここは慈雲尊者が真言律と梵学修行道場とし、戒壇を設けて正法律の本山としたという。なので、それで女人禁制か。それは理解できる。修行僧も人間だから迷うからね。
アウトドアでは、持って帰るのはゴミと写真を実践しているが、写真を持って帰るのもダメなのか?どうも理解できない。
調べると、ここは慈雲尊者が真言律と梵学修行道場とし、戒壇を設けて正法律の本山としたという。なので、それで女人禁制か。それは理解できる。修行僧も人間だから迷うからね。
それを受け継いで、現在も住職の方針で観光地化することを良しとせず、檀家を1軒も持たないそうだ。その意気やヨシというところだが、写真禁止とは。考えると、ここは桜やモミジの名所でもあるので、カメラを下げた輩が庭に入ったり、枝を折ったり?したんやろうな。たしかにそれは修行とは相容れない。
門を入っていくと、座禅会どうのこうのという案内が張ってある。
本堂の前に出た。本堂と講堂の渡り廊下の下をくぐって本堂裏に回ると第25番経塚があるはずなのだが・・・
何ですと!「これから先奥の院は無断立入禁止」
奥の院には行かへんのやけど・・・
呼び鈴も無ければ、門もぴしゃりと閉ったままで、取りつく島もない。勝手に入るという手もあるが、それは避けよう。ここでかなりの程度ムッときたのでもう帰る。
何が腹立つかというと、「お前はチャライからダメ」と勝手に判定されているようなものだからだ。こちらは、物見遊山のチャライ気持では来ていないつもりだ。信仰には遠いが、少なくも、まじめに経塚を全部巡行したいと思っている。それも経塚ハンターのつもりは全くない。しかし、修行ではないと言われればそれまでだけど・・・
肝心の経塚の写真は、ここ。
http://www.kokuta.com/04-keihanshin/02-hima2-kawachi.html
http://blog.goo.ne.jp/mrslim2/e/350dd3a1ca174d2fd639f8a1b8eb0b54
そういえば、司馬さんも「河内のみち」で、ここを訪問していた。これは読んだが、ピーエロの塔のくだりしか覚えていない。
釈然としないまま、門外だからよいだろうと、宝塔の写真を撮った。
サイズ変更P6252332
門を入っていくと、座禅会どうのこうのという案内が張ってある。
本堂の前に出た。本堂と講堂の渡り廊下の下をくぐって本堂裏に回ると第25番経塚があるはずなのだが・・・
何ですと!「これから先奥の院は無断立入禁止」
奥の院には行かへんのやけど・・・
呼び鈴も無ければ、門もぴしゃりと閉ったままで、取りつく島もない。勝手に入るという手もあるが、それは避けよう。ここでかなりの程度ムッときたのでもう帰る。
何が腹立つかというと、「お前はチャライからダメ」と勝手に判定されているようなものだからだ。こちらは、物見遊山のチャライ気持では来ていないつもりだ。信仰には遠いが、少なくも、まじめに経塚を全部巡行したいと思っている。それも経塚ハンターのつもりは全くない。しかし、修行ではないと言われればそれまでだけど・・・
肝心の経塚の写真は、ここ。
http://www.kokuta.com/04-keihanshin/02-hima2-kawachi.html
http://blog.goo.ne.jp/mrslim2/e/350dd3a1ca174d2fd639f8a1b8eb0b54
そういえば、司馬さんも「河内のみち」で、ここを訪問していた。これは読んだが、ピーエロの塔のくだりしか覚えていない。
釈然としないまま、門外だからよいだろうと、宝塔の写真を撮った。
サイズ変更P6252332
突然、背後から「めええ」と一声。
おお、ヤギ君か!
雄はすぐに葉っぱをムシャムシャしだし、下のほうでは雌がこちらを向いている。一瞬で気持が和らいだ。「めええ」は「何をブツブツゆうとんねん?」ということやったか。
そうだ、キミを高貴寺代表としよう。
おお、ヤギ君か!
雄はすぐに葉っぱをムシャムシャしだし、下のほうでは雌がこちらを向いている。一瞬で気持が和らいだ。「めええ」は「何をブツブツゆうとんねん?」ということやったか。
そうだ、キミを高貴寺代表としよう。
少しニッコリした気持になって、坂を下りはじめた。そこへまた後ろから「こんにちは!、ああ、カイーカイー・・・・」 ひょっとして草刈りをしていたあの人がご住職だったのか?
ヤギくん一家のお庭。あれはヤギくんの子どもか?ちょうどいい具合に草を食べて美しい斜面になっている。これも高貴寺の風景だ。高貴寺は重文や枝垂れ桜、石仏ばかりではないんやな。
ヤギくん一家のお庭。あれはヤギくんの子どもか?ちょうどいい具合に草を食べて美しい斜面になっている。これも高貴寺の風景だ。高貴寺は重文や枝垂れ桜、石仏ばかりではないんやな。
坂の途中に墓地があって、入口にはお地蔵さん(阿弥陀さん、ボクはなんでもお地蔵さんで済ますので)が佇んでいた。えらいもので、この石仏が墓地を見通しているだけで、ただの墓地が美しく見えてしまう。
6.平石峠みち
--------------------
坂を下りきったところに道標があった。
多分、除草剤でも撒いたのだろう。枯れ草が美しくない。背後の空き地にはトラロープが張ってある。この風景を見てなるほどと思った。昭文社の地図をみると、ここは「駐車可」となっている。しかし、地主の意志は「ここに入るな、停めるな」ということだろう。こんなチャライ地図を出すからチャライ人間が来るようになる。ご住職の方針が「俗化を拒否する」というのもうなずける気がした。
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坂を下りきったところに道標があった。
多分、除草剤でも撒いたのだろう。枯れ草が美しくない。背後の空き地にはトラロープが張ってある。この風景を見てなるほどと思った。昭文社の地図をみると、ここは「駐車可」となっている。しかし、地主の意志は「ここに入るな、停めるな」ということだろう。こんなチャライ地図を出すからチャライ人間が来るようになる。ご住職の方針が「俗化を拒否する」というのもうなずける気がした。
途中、右から沢が落ちてきているところで休憩した。体が熱くなってきて冷やさないといけない。 沢水を頭から被って生き返った。地図を見たら、柿ノ木谷の一つ下の谷だった。
道はだんだん峠道らしくなってきた。
道はだんだん峠道らしくなってきた。
登ってくるのに難儀なところは全くないので、やっと会えたという達成感はないものの、峠を越してくる涼しい風の中、体の清涼感とともに心の清涼感はある。すずやかさ!
役行者が二十四番は平石峠のココ、と決めたのも分かるような気がした。
役行者が二十四番は平石峠のココ、と決めたのも分かるような気がした。
鍋塚古墳
これが墳丘直径46mの円墳で、この地域ではもっとも早い5世紀前半に築造された 古墳と見られている。しかし、墳丘の裾の一部が削り取られたりして墳形も乱れ、 埋葬施設も不明である。(古墳時代中期五世紀前半の築造とされている。
■実はこの墳墓に祀られているのは長髄彦である、という伝承があるのだ。このあたりが長髄彦(神武天皇が東征されるとき、大和地方で東征に抵抗した豪族の長とされています。)の根拠地であるという説もある。
これが墳丘直径46mの円墳で、この地域ではもっとも早い5世紀前半に築造された 古墳と見られている。しかし、墳丘の裾の一部が削り取られたりして墳形も乱れ、 埋葬施設も不明である。(古墳時代中期五世紀前半の築造とされている。
■実はこの墳墓に祀られているのは長髄彦である、という伝承があるのだ。このあたりが長髄彦(神武天皇が東征されるとき、大和地方で東征に抵抗した豪族の長とされています。)の根拠地であるという説もある。
長尾神社参拝
境外の説明板
右側の長尾神社は、飛鳥京と難波を結ぶ日本最古の官道であった竹内街道と、伊勢・長谷街道が吉野・壷坂から下田・王寺を経て堺に至る長尾街道とが交差する交通の要衝をふまえた長尾の森の広大な神域に鎮座しております。
正面の拝殿は、昭和十一年の新築で瓦葺、単層入母屋破風掛造、拝殿の正面に入母屋造の祝詞屋があり渡廊下で拝殿とつながれており、明治十七年の再建です。本殿は二社並立しており向拝が付された素木の春日造を基本にした紫宸殿造で、軒は二重繁垂木、桧皮葺の屋根には千木堅魚木が配されています。
伝説では、長尾神社は東面し、大和高田市の竜王社は西面しており、両社は相対しています。竜王社は竜の頭であり、長尾神社は竜の尾をあらわしていると伝えられています。また、長尾神社は大蛇、つまり巳さんの尾で、三輪明神さんは、巳さんの頭であるとも伝えられています。
境外の説明板
右側の長尾神社は、飛鳥京と難波を結ぶ日本最古の官道であった竹内街道と、伊勢・長谷街道が吉野・壷坂から下田・王寺を経て堺に至る長尾街道とが交差する交通の要衝をふまえた長尾の森の広大な神域に鎮座しております。
正面の拝殿は、昭和十一年の新築で瓦葺、単層入母屋破風掛造、拝殿の正面に入母屋造の祝詞屋があり渡廊下で拝殿とつながれており、明治十七年の再建です。本殿は二社並立しており向拝が付された素木の春日造を基本にした紫宸殿造で、軒は二重繁垂木、桧皮葺の屋根には千木堅魚木が配されています。
伝説では、長尾神社は東面し、大和高田市の竜王社は西面しており、両社は相対しています。竜王社は竜の頭であり、長尾神社は竜の尾をあらわしていると伝えられています。また、長尾神社は大蛇、つまり巳さんの尾で、三輪明神さんは、巳さんの頭であるとも伝えられています。
ご祭神は、天照大御神 豊受大神。さらに、水光姫命、白雲別命、住吉大神 熱田大神 諏訪大神 ということらしいですが、よく分かりません。
戸原さんによると、http://www.y-tohara.com/nara-nagao.html 水光姫命 白雲別命が有力ではないかとのこと。祭神の水光姫命は、白蛇の姿で降臨され、神武東征の際に吉野・川上村井光へ巡行の時、井戸の中から現れたとされます。これからどうしても吉野と結びつけたいのかどうか知らないが、吉野川の水を守られる水神様という説明もありました。しかし、どうして遠く離れた吉野川?大和高田との関連なら、中間にある高田川、もっと直接的には平石峠や竹内峠かぁ流れ下る川、また岩橋山から流れ下る川ではないの?
白雲別命は水光姫命の父神で、やはり水神様ということでした。
戸原さんによると、http://www.y-tohara.com/nara-nagao.html 水光姫命 白雲別命が有力ではないかとのこと。祭神の水光姫命は、白蛇の姿で降臨され、神武東征の際に吉野・川上村井光へ巡行の時、井戸の中から現れたとされます。これからどうしても吉野と結びつけたいのかどうか知らないが、吉野川の水を守られる水神様という説明もありました。しかし、どうして遠く離れた吉野川?大和高田との関連なら、中間にある高田川、もっと直接的には平石峠や竹内峠かぁ流れ下る川、また岩橋山から流れ下る川ではないの?
白雲別命は水光姫命の父神で、やはり水神様ということでした。
御陰井
当社社伝に「水光姫命が応神天皇の御代に竹内村の三角磐に降臨され、子孫の加弥比加尼(かみひかね)に命じて当地に祀られたもので、その姿は白蛇であって、神社の北東の御陰井に封じた」と記された井戸跡です。
当社社伝に「水光姫命が応神天皇の御代に竹内村の三角磐に降臨され、子孫の加弥比加尼(かみひかね)に命じて当地に祀られたもので、その姿は白蛇であって、神社の北東の御陰井に封じた」と記された井戸跡です。
撮影機器:
感想
平石峠第二十四番経塚妙音菩薩品。 登ってくるのに難儀なところは全くないので、やっと会えたという達成感はないものの、峠を越してくる涼しい風の中、体の清涼感とともに心の清涼感はある。すずやかさ!役行者が二十四番は平石峠のココ、と決めたのも分かるような気がした。
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