大崩山・鹿納山(祝子川温泉→大崩山荘→大崩山→鹿納山)※遭難、救助


- GPS
- 21:52
- 距離
- 14.9km
- 登り
- 1,904m
- 下り
- 791m
コースタイム
- 山行
- 1:35
- 休憩
- 0:01
- 合計
- 1:36
天候 | 3/27(金) 曇り 3/28(土) 快晴 |
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過去天気図(気象庁) | 2015年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
延岡駅より上祝子方面行きの宮崎交通バスに乗車し、終点の祝子川温泉にて下車します(15:50→17:01) 一日2.5往復しかなく土休日は運休のためやや使いにくい路線ですが、公共交通で大崩山へアクセスできる唯一の路線バスでもあります。 ただし、祝子川温泉から登山口まで1時間20分程度林道歩きをする必要があります。 帰り 予定では祖母山から西側の五ヶ所集落に下山するつもりでした。五ヶ所より高千穂町ふれあいバスを利用し河内にて一旦乗り換えて高千穂町の市街地に出ることが出来ます。五ヶ所からの便は少ないですが、河内まで出てしまえば本数は平日七往復程度あります。 ほか、五ヶ所から北に進んだ所にある津留から高森駅行きのバスに乗ることも出来ます。ただしこちらは週二日のみの運行のため、利用には入念な計画が必要です。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
祝子川温泉→大崩山登山口→大崩山荘 大崩山荘までは沢沿いを歩いていきますが、岩を越えたり鎖場があったりもします。 ただ道筋自体ははっきりしており、比較的歩きやすい道です。 大崩山荘→坊主尾根→大崩山 大崩山荘付近から坊主尾根への分岐があり、そこからそのまま祝子川を渡渉します。渇水時ならば靴を脱ぐ必要はなく岩の上を進んでいけば良いだけですが、増水しやすい所なので雨天時は注意が必要とのことです。 その後はしばらく祝子川の支流に沿って歩きますが、すぐに支尾根への直登を始めます。その先は次第に梯子、ロープ、岩場などの難所が増え始め、特に梯子場は20個はあるのではないかという所で、テント装備だとめちゃくちゃきついです。 一箇所、象岩にて岩の斜面をトラバースする場所があります。ロープがあるので晴天時は問題ないかと思われますが、雨天時は滑りやすく怖い思いをするでしょう。 ただ全体的に整備は進んでいるため、慎重に進めば問題は無さそうです。 小積ダキへの分岐を過ぎた地点で難所は終わり、大崩山の山頂まで樹林帯の中を進んでいきます。 大崩山→鹿納谷分岐 破線ルートです。宇土内方面から尾根伝いの縦走路を進みます。大崩山付近ではなだらかな方で、緩いアップダウンを繰り返しながら鹿納山方面へと進みます。 心配していた藪も途中までは殆ど無く、1444mピーク、1457mピークと順調に越えていきますが、1457mピークを越えた地点でスズタケの藪が繁茂しており、獣道のようなスズタケのトンネルを潜って行きます。 意外と通行量が多いのか、それとも尾根が広いので荒れにくいからなのか、全体的に道筋ははっきりしていたためスムーズに進むことが出来ました。 鹿納谷分岐→鹿納山(鹿納坊主)→救助地点 分岐より鹿納山を目指しますが、やはりスズタケが多く進むのに難儀します。鹿納坊主までは殆ど尾根上を進むため道筋はわかりやすく、鹿納坊主のみ途中から分岐している道から登ることになります。要所ではテープも張られており、それ程問題のない道でした。 しかし鹿納坊主から先は岩峰が続き、それを巻いていきます。どうも南側を巻いていくのですが、その鞍部では一度尾根に出たり、尾根を越えたと思ったら支尾根だったりするので方向感覚が奪われやすいです。またテープも残っているところは残っているのですが枝や木ごと落ちているものも多く、それを辿ってしまうととんでもない所に行ってしまいます。自分はそれを繰り返して体力を無駄に消耗させてしまい、結局動けなくなってしまいました。 おそらくアケボノツツジのシーズンには改めて整備されると思うので、それ以降の登山の時は問題は無いと思います。しかし、その頃には大崩山〜鹿納山の縦走路は藪が繁茂していてつらいかも。 |
写真
感想
九州登山旅行
3/22(日)〜3/24(火) 屋久島、宮之浦岳
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3/26(木) 霧島、韓国岳・高千穂峰
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3/27(金)〜3/28(土) 大崩山・鹿納山※遭難、救助
この記事
3/30(月) 鹿納山※荷物回収
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3/31(火) 阿蘇山、高岳
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3/31(火)〜4/2(木) 九重連山・涌蓋山
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表題の通りこの日遭難、そして救助されました。関係者の方には多大なご迷惑をお掛けしました。申し訳ありませんでした。
特に高千穂警察署の方々、日之影町役場の方々、宮崎県防災救急航空隊の方々、日之影町国民健康保険病院の方々にはたいへん大変お世話になりました。ありがとうございました。この場を借りてもう一度お礼を申し上げさせて頂きます。
本来ならばこのように日記として書くことは不謹慎であると、敢えて自分自身に対する戒めとして目につく所に公開しようと思います。
また、元々の予定では以下の通りでした。
一日目、祝子川温泉→大崩山荘
二日目、大崩山荘→大崩山→鹿納山→五葉岳→上見立(英国館)、時間があれば杉ヶ越
三日目、上見立→九折越(傾山往復)→尾平越
四日目、尾平越→祖母山→五ヶ所(もしくは津留)
やはり救助された二日目が際立ってハードで、根本的に予定立てに問題があったのだなと今更ながらに思います。
【一日目】大崩山荘まで
霧島を登った次の日は実質的には休みで、最後に祝子川温泉から大崩山荘まで歩く以外は純粋な観光として日向灘沿岸部のを町を回りました。城下町の高鍋をレンタサイクルで回り焼酎を買ったり、重伝建地区の美々津を散策したりする程度でした。
延岡からはバスに乗り、祝子川温泉へと向かいます。日本一狭い所を走るバス路線としてテレビで紹介された事があるらしく、確かに完璧と川縁の間すれすれを走っていきます。当然離合は簡単には出来ないので、対向車と出くわした時は少しハラハラします。
下車した祝子川温泉のバス停は温泉施設の建物の正面に設置されており、そこから舗装路を道なりに歩くことになります。既に日没も近いため、少し足早に歩くことを意識して先に進みます。
途中で大崩山への山道の分岐がありそこが登山口となりました。この地点で辺りも薄暗くなってきたので早めにヘッドライトを早着。そうこうしている内に一人だけ下山してきた登山者の方とすれ違い、その方が今回の登山で最後にお会いした人となりました。
翌日は土曜日なので多少は人が居るかなと思い予定を建てたのですが、晴天が続き絶好の山日和だったというのにも関わらず誰一人とも会うことはありませんでした。完全にオフシーズンだったようです。
登山口より20分ほどで大崩山荘に到着します。最初その小屋を見つけた時、中に他の登山者と思しき人が居てこちらを覗いていたような気がして、中に入るときも小声で挨拶しました。
しかし、その声に対する返事は無く、ぐるりと辺りを照らした後に靴が一つも無いことに気づいて、今回の客は自分一人であることに気づきました。
今思えば、この地点で自分自身の感覚が鈍るくらいに既に疲れていたのか、それともどこか体調が悪かったのか……。
【二日目】大崩山荘→大崩山→救助地点
小屋の中は非常に広いため寒々しく、早めの就寝を取ったもののあまりよく眠れた気がしません。暖を取るためにお湯を沸かしてコーヒーを飲んでいたりしたら予定の時間をだいぶ過ぎてしまいました。
予定自体も5:30出発と若干出発を遅めに設定したのは、祝子川の渡渉が暗闇の中では危険だと判断してという事ですが、この時既に6時を過ぎていたので慌てて出発します。
渡渉は水量が少なかったので特に問題なく、そこから先もそれ程険しくない登りが続きます。この地点ではまだ涼しかったので厚手の長袖シャツを着込んでいても丁度よく感じました。
しかし暫く進んでいく内に噂通りの梯子地帯が始まります。梯子自体ももそうですが、その上から枝が垂れ下がっていたり岩が出っ張っていたりしてザックが引っかかり、そこで毎回難儀していました。普通に登ってもキツいであろう道なのに、ザックの重さと大きさが更なる足枷となってしまいました。
所要時間は掛かりますが、どうも一本北側の湧塚コースの方が登りには向いているようで、この地点で早くもコース選定をミスったなと若干後悔していました。
梯子は小積ダキまで断続的に現れその都度通過に苦労していました。この日は快晴で日差しが暑く、岩の露出した所などは完全な無風で汗だくになりながら登っていたので水の消費がいつもよりもずっと早く、既に1リットルのアクエリアスを消費していました。
小積ダキからは歩きやすい道になって幾分か緊張感も薄れました。大崩山への往復の地点ではまだまだ余裕があったように思えます。
ただ、疲労は着実に溜まってきているのか、若干藪がある程度でどうということはない鹿納谷分岐までの緩いアップダウンでも妙に疲れを感じ始め、午後に近づくにつれて気温も更に上昇し水の消費も加速します。
鹿納谷分岐で予定の2時間近いオーバー。ですが、ここから時間通りに進めばこの日の目的地の上見立まで暗くなる前に到達することができます。なのでこの先は休憩もあまり取らず、水だけ飲んですぐに出発を繰り返していました。
鹿納山の直下に到着した頃、流石に水の消費ペースがまずい事に気が付き、見立へ降りることを断念。鹿納の野の先のブナの三叉路より下山し、沢の水を汲もうと考えます(この地点で既に喉の渇きが限界に近くなり、泥水でもいいからがぶ飲みしたいという状態でした)
しかし判断能力が低下していたのか、それとも道の状態自体が悪かったのか、つい目についたテープを辿って歩いてしまい、明らかに道ではない谷の方に居りてしまいます。慌てて引き返すも尾根上には踏み跡はなく、どこが一体道なのかという状況。
しばらく登ったり下ったりを繰り返し、時折スズタケの藪を強行突破したりして着実に疲労を積み重ねていきます。切り立った尾根で足元も脆い割には危険箇所はなかったものの、何度か滑り落ちながら僅かながら進んでいきます。
そして何度目かの尾根上の乗越に到着しました。この地点で水は500ml程度は残っていたので多少口を潤す程度だけ飲んだりもしました。しかしこの分だと次の水場までは到底持ちそうにありません。
尾根の乗越地点には札が立っているのは確認できました。しかし、そこから先の道がどうにも判別つきません。踏み跡は殆ど消失しているためテープを辿ることになるのですが、肝心のテープが落ちてしまっていて、道が谷の方に伸びているものだと錯覚します。
GPSを確認してもも尾根上を一本の道が結んでいるだけなので意味はなく、むしろ現在地を見て、これだけ歩いたのに鹿納山から全く進んでいない事に絶望。
それから暫くの間、進むのを諦めて尾根上の岩に座り込んでぼーっと山並みを眺めていました。脱水症状が極まってきているのか、思考に霞が掛かったかのような感覚です。いい景色だな、なんだか眠いなとかどうでもいい事を考えていて、最初の方はあまり危機感を抱いていなかったような気がします。
座り込んで暫く頃、少し冷たい一陣の風が吹き付けた瞬間はっと目が覚め、その地点でようやく思考がまとまり若干の危機感を抱き、状況把握に努めました。
このままビバークするのだろうか。テントもあるし食料は十二分な程持っている。しかし水は?水だけが明らかに足りない。アクエリアスの粉だけあってもどうにもならない。水さえあれば何泊だって出来そうな装備なのに、なんて空になった水筒を恨めしく睨めつけます。
座っていると眠くなるので立ち上がるのですが、今までに経験した事もないような立ちくらみ。さすがにこれはまずいなと、もう少し安静にして回復を待ちます。
症状的に考えると水をがぶ飲みした事が原因のミネラル不足だったのかもしれません。ミネラル補給は粉をケチったアクエリアスを最初の1リットル飲み、ごくたまに塩飴を舐めていた程度でした。
それに気づいて塩飴を出して舐めるついでに携帯電話を覗いてみました。尾根上だからか、なんと電波がかなり強く入っていました。何度かの躊躇の後に110を押しました。
麓の警察に繋がります。この日まだ一度も他人と会話をしていなかったので、このように連絡を取れる事自体を嬉しく感じました。ちょっと呂律が回らず何度か電話をかけ直したりもしましたが、GPSの座標も分かっていたので、なんとか正確に自分の居場所を伝えることが出来ました。
呼んでから待機している間、もしかして大変なことを仕出かしてしまったのではないか。無理にでも進むか戻るかして下山したほうが良かったのではないかと今更になって悩んだりもしましたが、「動かないで下さい」とも言われてしまったので、じっと大人しくして待つしかありませんでした。それから1時間半後、野宿も覚悟して居ましたが、予想以上に早く救出のヘリはやってきました。
そのまま言われるままに引き上げられ、引き上げられる際、当然ザックは乗せることが出来ないので諦めて置いて行くことになりました。
脱水症の疑いがある事を伝えたからか、ヘリの中では救急隊の方から頂いたポカリをがぶ飲み。まだ若干意識は朦朧としていましたが、頻りに救急隊の方が声を掛けて下さったことをうっすらと記憶しています。
そしてヘリを下ろされた後は検査のために一度、麓の日之影町の病院まで搬送され入院。申し訳ない気持ちで頭がどうにかなりそうで、会う人会う人何度も頭を下げました。
「しばらく続けてきたが、登山はもう金輪際やめよう。荷物もないし、何より今回は人に迷惑をかけすぎた。恥を知るべきだ」
なんて病院のベッドの上で考えを反芻させていました。
荷物もないので旅行も当然続行不可。明日にでも熊本空港まで行って帰ろうと具体的に予定を書いていました。この時までは。
荷物回収編に続く。
●遭難の原因とこれからの対策の覚書
・あまり人の入らない山域、シーズン、コースを選んでしまった。鹿納坊主周辺の尾根上は踏み跡も余り無く、テープが樹木ごと下に落ちてしまっているためコースの把握が困難だった。実際のコースは岩が隆起していてそれを巻くように歩くのだが、時々尾根を跨いだりするので、知っていないと分かりづらい道だった。
↓
尾根上のコースだから迷うことはないだろうと計画を立てたのが間違い。あとテープを安易に追いかけない。怪しい道だったら引き返して下山するべきである。
↓
結論として、そのそもそんな所に一人で行くべきではなく、100名山でメジャーな祖母傾の縦走に留めておくべきだった。どこにでも行けるだろうという根拠の無い自信が多大な迷惑を引き起こした。
・5リットル近い水を持っていたものの予想以上に水の消費が早く、救助地点で500ml程度しか残っておらず、脱水症状となっていた。
↓
テント連泊のために水をたくさん用意していたのが、逆に自己の慢心を招いた。
水の減りが異常に早い時は諦めて下山する勇気を持つべき。大崩山手前で水を汲むチャンスもあったのに、面倒がってしまったのも致命的である。
・前半の坊主尾根、30kgの大荷物での岩や梯子の昇り降りで予想以上に疲弊してしまった。スケジュール自体もタイトなもので、そんな難所でも無理して先に急がざるを得なかった。
↓
大荷物での遠征では無難なコース、余裕のある予定を組む。岩場の登攀はバランスが悪く危険であり、救助時のように疲弊していたら滑落していたかもしれない。そういった難所は避ける。
・無風状態で熱中症気味だったのにも関わらず、マダニとスズタケの藪を嫌い厚手の上着をなかなか脱がず、結果的に水の消費を早めてしまった。
↓
ダニや藪で死ぬことは無いので、暑いなら無理せずさっさと服を脱ぐべき。日頃の登山もその傾向があるが、上着の着脱を面倒臭がらない。
・GPSを所持していたが完全にログ専用機と化しており、本来の用途を果たしていなかった。明らかに迷っているのにも関わらず、GPSで現在地を確認するという考えが頭になく、いつまでも地形図とコンパスをにらめっこしていた。
↓
電池をケチらず、迷いそうになったら逐一現在地を確認するようにする。そもそもGPSを持っていて道に迷うなんて論外である。なるべく尾根をはずさないように巻いていけば進むことは出来たと思うし、実際に道筋は残っていた。
・九州の山をなめていた。
↓
山をなめない。
まだまだ書き加えるかもしれませんが、どれも肝に命じておこうと思います。
コメント
この記録に関連する登山ルート
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九州の山をなめてはいけない!そのとおりですね。
無事で帰還され良かったですね!
九州は低山ばかりですが、いろんな危険をはらんだ山が一杯です。
私は山中で死を覚悟する時(実はあった)に後悔しないように、最高の準備を
して行くようにしています。(自分の命と価値観の尺度ですが)
もしこれが有れば…は嫌ですので。
良い経験が出来ましたね。
この経験を活かし、これからも山歩き楽しんでくださいね!
応援していますね。
応援のコメント、ありがとうございます。
九州の山、特にこの付近の山は中央構造線と重なっていて複雑な地形である事が想像できたにも関わらず、どうしても標高や地図上のコースタイムで判断しがちで甘く見てしまいました。そのため実際行ってみるとギャップが大きく、改めて自身が山を舐めていたことを実感しました。
4時間程度の登りなんて楽勝だろうなんて安直に計画立てていた自分を殴ってやりたいくらいです。
とはいえ、今回の登山は色々な意味で経験になりました。それらを胸に刻み込み、また同じ過ちを犯さぬよう精進して行きたいと思います。
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