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Yamareco

記録ID: 5469648
全員に公開
ハイキング
近畿

江戸時代のお伊勢参り

2023年05月02日(火) [日帰り]
 - 拍手
Machapuchare その他1人
体力度
1
日帰りが可能
GPS
02:42
距離
7.7km
登り
198m
下り
200m
歩くペース
標準
1.11.2
ヤマレコの計画機能「らくルート」の標準コースタイムを「1.0」としたときの倍率です。

コースタイム

日帰り
山行
2:12
休憩
0:24
合計
2:36
距離 7.7km 登り 199m 下り 200m
10:12
20
10:32
10:33
27
11:01
11:02
15
11:17
11:21
6
11:27
11:36
10
11:46
11:47
7
11:54
11:59
9
12:08
27
12:35
12:37
4
12:41
12:42
6
12:48
ゴール地点
天候 晴れ
過去天気図(気象庁) 2023年05月の天気図
アクセス
利用交通機関:
自家用車
 夫婦岩は宿泊先の駐車場を利用しました。夫婦岩周辺には20台程停められますが、有料かもしれません。
 伊勢神宮外宮は6時頃には駐車場が5割程埋まり、6時台に満車になることはありませんでした。
 伊勢神宮内宮には駐車場が何か所かあります。7時頃には一番近い駐車場が8割埋まり、8時30分過ぎには入る渋滞ができかけていました。駐車料金は100円でした。
 朝熊山は展望台の駐車場を利用しました。8〜9割埋まっており、満車にはならなかったようです。
コース状況/
危険箇所等
朝熊山の一部のみ土道です。分岐が多く、予定とは違う道を歩いたこともありましたが、大きなロスタイムにはなりませんでした。
その他周辺情報  伊勢神宮内宮近くの「おはらい町・おかげ横丁」には飲食店が多数あります。8時台に開いていたのはスターバックス<写真53>や赤福本店<写真56>くらいでした。赤福餅<写真57>は小豆あんのみイートイン可能です。250円でお茶付きでした。8時過ぎに少し行列ができており、数分待ちました。
 朝熊山の展望台周辺でも食事や土産の購入ができます。
01二見興玉神社鳥居
伊勢神宮参拝前の禊の地であり、境内にある夫婦岩で有名です。夫婦岩の北東の海中には猿田彦大神ゆかりの霊石である興玉神石(おきたましんせき)が鎮まっています。
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01二見興玉神社鳥居
伊勢神宮参拝前の禊の地であり、境内にある夫婦岩で有名です。夫婦岩の北東の海中には猿田彦大神ゆかりの霊石である興玉神石(おきたましんせき)が鎮まっています。
02二見浦 夫婦岩 日の出直前
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02二見浦 夫婦岩 日の出直前
03夫婦岩 日の出直後
お伊勢参りのスタートです!日の出を動画に撮りました。
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03夫婦岩 日の出直後
お伊勢参りのスタートです!日の出を動画に撮りました。
04夫婦岩男岩
05日の出光の道
06二見興玉(おきたま)神社
二見カエル
1
06二見興玉(おきたま)神社
二見カエル
07無事カエル?
社伝には神宮参拝者が、旅の安全、航海の安穏を祈念して「無事かえる」の願からでたものとも云い伝えられています。
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07無事カエル?
社伝には神宮参拝者が、旅の安全、航海の安穏を祈念して「無事かえる」の願からでたものとも云い伝えられています。
08二見興玉神社
日の出遙拝所
この遥拝所に立ち、清い暁の潮風に身心を祓い清める時、清浄な気持ちになります。
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08二見興玉神社
日の出遙拝所
この遥拝所に立ち、清い暁の潮風に身心を祓い清める時、清浄な気持ちになります。
09二見興玉神社 龍宮社
昔、津波の被害を受けたため、海の守護神と仰ぐ綿津見大神を勧請しました。
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09二見興玉神社 龍宮社
昔、津波の被害を受けたため、海の守護神と仰ぐ綿津見大神を勧請しました。
10イソヒヨドリ♀餌運び中
ヒナのため、イモムシをくわえて飛び去りました。動画も撮りました。
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10イソヒヨドリ♀餌運び中
ヒナのため、イモムシをくわえて飛び去りました。動画も撮りました。
11龍宮社鳥居
龍宮社は二見興玉神社の境内社です。
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11龍宮社鳥居
龍宮社は二見興玉神社の境内社です。
12二見興玉神社拝殿
伊勢参宮の禊所です。
12二見興玉神社拝殿
伊勢参宮の禊所です。
13オオシャコガイ
推定150年の沖縄産のシャコ貝が祀られていました。
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13オオシャコガイ
推定150年の沖縄産のシャコ貝が祀られていました。
14カエル親子?
子ガエルは参拝者が奉納したかもしれません。
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14カエル親子?
子ガエルは参拝者が奉納したかもしれません。
15天の岩屋
日の出と日の入りを象徴する夫婦岩と天の岩屋は対になる関係とされています。
15天の岩屋
日の出と日の入りを象徴する夫婦岩と天の岩屋は対になる関係とされています。
16二見マンホール
夫婦岩のデザインです。
16二見マンホール
夫婦岩のデザインです。
17国指定重要文化財
「賓日館(ひんじつかん)」
明治20年に伊勢神宮に参拝する賓客の休憩・宿泊施設として建設され、国指定重要文化財に指定されています。平日火曜は休館で見学できませんでした。
17国指定重要文化財
「賓日館(ひんじつかん)」
明治20年に伊勢神宮に参拝する賓客の休憩・宿泊施設として建設され、国指定重要文化財に指定されています。平日火曜は休館で見学できませんでした。
18ツバメ
頭をかいている様子を動画に撮りました。
18ツバメ
頭をかいている様子を動画に撮りました。
19伊勢神宮外宮
日除橋(ひかげばし)
外宮はここからスタートです。
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19伊勢神宮外宮
日除橋(ひかげばし)
外宮はここからスタートです。
20清盛楠
平清盛が勅使として参向したとき、木の枝が冠に触れたために、西側の枝を切らせたという言い伝えにより、この名で呼ばれています。樹齢は1000年に近いといわれています。
20清盛楠
平清盛が勅使として参向したとき、木の枝が冠に触れたために、西側の枝を切らせたという言い伝えにより、この名で呼ばれています。樹齢は1000年に近いといわれています。
21外宮神楽殿
ご祈祷・お 札・お守り・御朱印などはここで受け付けています。
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21外宮神楽殿
ご祈祷・お 札・お守り・御朱印などはここで受け付けています。
22四至神
(みやのめぐりのかみ)
伊勢神宮の守り神としての役割があり、内宮と外宮それぞれにあります。社殿を持たず石座があるのみです。
22四至神
(みやのめぐりのかみ)
伊勢神宮の守り神としての役割があり、内宮と外宮それぞれにあります。社殿を持たず石座があるのみです。
23三ツ石
ここは昔の祓所(はらえど)です。修祓(しゅうばつ)の場所、つまりお祓いをするための場所です。
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23三ツ石
ここは昔の祓所(はらえど)です。修祓(しゅうばつ)の場所、つまりお祓いをするための場所です。
24豊受大神宮 外玉垣南御門
(とようけだいじんぐう 
とのたまがきみなみごもん)
一般の人はこれより中に入れません。
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24豊受大神宮 外玉垣南御門
(とようけだいじんぐう 
とのたまがきみなみごもん)
一般の人はこれより中に入れません。
25古殿地(こでんち)
前回の遷宮まで御殿が立っていた場所で正宮の隣にあります。中央には心御柱(しんのみはしら)を納めお守りするための覆屋(おおいや)があります。
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25古殿地(こでんち)
前回の遷宮まで御殿が立っていた場所で正宮の隣にあります。中央には心御柱(しんのみはしら)を納めお守りするための覆屋(おおいや)があります。
26古殿地越しに
豊受大神宮 正宮
外宮は正式には豊受大神宮といいます。食と産業の神様・豊受大御神(とようけのおおみかみ)が御祭神です。正宮の中には入れません。
26古殿地越しに
豊受大神宮 正宮
外宮は正式には豊受大神宮といいます。食と産業の神様・豊受大御神(とようけのおおみかみ)が御祭神です。正宮の中には入れません。
27土宮(つちのみや)
外宮の別宮です。大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ)を祀っています。他の宮社と異なり、東向きの社殿が特徴です。
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27土宮(つちのみや)
外宮の別宮です。大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ)を祀っています。他の宮社と異なり、東向きの社殿が特徴です。
28多賀宮(たかのみや)
外宮に所属する四の別宮のうち、第一に位しています。神宮で執り行われる各祭典が正宮に続いて奉仕されます。
28多賀宮(たかのみや)
外宮に所属する四の別宮のうち、第一に位しています。神宮で執り行われる各祭典が正宮に続いて奉仕されます。
29風宮(かぜのみや)
元寇の際に神風を起こしたご神威により、正応六年(1293年)に宮号宣下され、別宮に加列しました。農業に関係の深い風と雨の順調を祈る宮であり、かつては航海安全の守護神としても崇められました。
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29風宮(かぜのみや)
元寇の際に神風を起こしたご神威により、正応六年(1293年)に宮号宣下され、別宮に加列しました。農業に関係の深い風と雨の順調を祈る宮であり、かつては航海安全の守護神としても崇められました。
30亀石
亀石の石は高倉山古墳の入り口にあった岩で数千年の歴史があると言われています。
30亀石
亀石の石は高倉山古墳の入り口にあった岩で数千年の歴史があると言われています。
31御厩(みうまや)
皇室から奉納された馬(神馬)を飼育する建物です。
31御厩(みうまや)
皇室から奉納された馬(神馬)を飼育する建物です。
32忌火屋殿(いみびやでん)
神様に食事を捧げるための台所です。
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32忌火屋殿(いみびやでん)
神様に食事を捧げるための台所です。
33伊勢神宮内宮宇治橋
内宮のスタート地点です。右側通行が原則です。
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33伊勢神宮内宮宇治橋
内宮のスタート地点です。右側通行が原則です。
34宇治橋から五十鈴川
6本の大きな杭は「木除け杭」と言い、増水して流れてくる倒木が宇治橋の橋脚を直撃しないよう止めたり、木の方向を変えたりするための杭です。
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34宇治橋から五十鈴川
6本の大きな杭は「木除け杭」と言い、増水して流れてくる倒木が宇治橋の橋脚を直撃しないよう止めたり、木の方向を変えたりするための杭です。
35内宮神苑
神宮で伝承している雅楽は、国風歌舞・舞楽を含め数十種類に及び、春と秋の神楽祭では、内宮神苑の特設舞台で公開舞楽も行われます。
35内宮神苑
神宮で伝承している雅楽は、国風歌舞・舞楽を含め数十種類に及び、春と秋の神楽祭では、内宮神苑の特設舞台で公開舞楽も行われます。
36神苑のさざれ石
「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」
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36神苑のさざれ石
「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」
37内宮日除橋(ひよけばし)
火事の際に使用される橋です。
37内宮日除橋(ひよけばし)
火事の際に使用される橋です。
38御手洗場(みたらしば)
五十鈴川は、御裳濯川(みもすそがわ)とも呼ばれ、倭姫命(やまとひめのみこと)が御裳のすそを濯いだことから名付けられたと伝えられています。
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38御手洗場(みたらしば)
五十鈴川は、御裳濯川(みもすそがわ)とも呼ばれ、倭姫命(やまとひめのみこと)が御裳のすそを濯いだことから名付けられたと伝えられています。
39滝祭神
(たきまつりのかみ)
毎年8月1日に五十鈴川で汲んだ水を瀧祭神にお供えし、家に持ち帰った後、神棚で無病息災を祈る風習があります。
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39滝祭神
(たきまつりのかみ)
毎年8月1日に五十鈴川で汲んだ水を瀧祭神にお供えし、家に持ち帰った後、神棚で無病息災を祈る風習があります。
40風日祈宮橋
(かざひのみのみやばし)
橋の上からは、美しい新緑や紅葉を望むことができます。
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40風日祈宮橋
(かざひのみのみやばし)
橋の上からは、美しい新緑や紅葉を望むことができます。
41風日祈宮
(かざひのみのみや)
1274年・1281年の元寇の際、神風を起こした功績により、1293年に外宮の風宮と共に別宮に加わりました。
41風日祈宮
(かざひのみのみや)
1274年・1281年の元寇の際、神風を起こした功績により、1293年に外宮の風宮と共に別宮に加わりました。
42御札授与所
御朱印やお守りはここでお受けいただくことができます。
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42御札授与所
御朱印やお守りはここでお受けいただくことができます。
43内宮神楽殿
ご祈祷・お神札・お守り・御朱印などはここで受け付けです。
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43内宮神楽殿
ご祈祷・お神札・お守り・御朱印などはここで受け付けです。
44五丈殿
神宮の祭典は天候に関わらず行われ、雨天の際、祓所に代わってここでは神饌(しんせん)などが祓い清められます。
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44五丈殿
神宮の祭典は天候に関わらず行われ、雨天の際、祓所に代わってここでは神饌(しんせん)などが祓い清められます。
45御正宮
皇室の御祖神であり、国民から総氏神のように崇められる天照大御神をお祀りします。約2000年前に御鎮座されました。
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45御正宮
皇室の御祖神であり、国民から総氏神のように崇められる天照大御神をお祀りします。約2000年前に御鎮座されました。
46御稲御倉
(みしねのみくら)
神宮神田で収穫し、三節祭でお供えされる御稲が奉納されます。
46御稲御倉
(みしねのみくら)
神宮神田で収穫し、三節祭でお供えされる御稲が奉納されます。
47外幣殿(げへいでん)
伊勢皇大神宮、豊受大神宮の神域に設けられた殿舎で現在は古神宝類を納めています。
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47外幣殿(げへいでん)
伊勢皇大神宮、豊受大神宮の神域に設けられた殿舎で現在は古神宝類を納めています。
48忌火屋殿(いみびやでん)
神饌(しんせん)の調理を行う神様の台所です。忌火とは、「清浄な火」という意味で、火鑽具を用いて清浄な火をおこし、お供えものを準備します。
48忌火屋殿(いみびやでん)
神饌(しんせん)の調理を行う神様の台所です。忌火とは、「清浄な火」という意味で、火鑽具を用いて清浄な火をおこし、お供えものを準備します。
49御酒殿(みさかどの)
お酒の神をお祀りし、古くはここで神酒を醸造していましたが、現在は三節祭の前に酒麹を奉納し、白酒、黒酒、醴酒、清酒の四種類の神酒を一旦お納めします。
49御酒殿(みさかどの)
お酒の神をお祀りし、古くはここで神酒を醸造していましたが、現在は三節祭の前に酒麹を奉納し、白酒、黒酒、醴酒、清酒の四種類の神酒を一旦お納めします。
50神宮司廳(しちょう)
散水車
参拝者がたくさん来る前の午前8時頃に行くと、散水しているシーンがよく見られます。
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50神宮司廳(しちょう)
散水車
参拝者がたくさん来る前の午前8時頃に行くと、散水しているシーンがよく見られます。
51「おはらい町」ニ光堂他
内宮の宇治橋近くが入口です。
51「おはらい町」ニ光堂他
内宮の宇治橋近くが入口です。
52「おはらい町」
酒店vs茶屋他
明治のはじめまでは、たくさんの伊勢信仰を日本各地へ広めた神宮の神官たち・御師(おんし)の館があり、神宮に代わりお神楽をあげていました。このことから、この町を「おはらい町」と呼ぶようになったと言われています。
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52「おはらい町」
酒店vs茶屋他
明治のはじめまでは、たくさんの伊勢信仰を日本各地へ広めた神宮の神官たち・御師(おんし)の館があり、神宮に代わりお神楽をあげていました。このことから、この町を「おはらい町」と呼ぶようになったと言われています。
53「おはらい町」
スターバックス!
これは笑撃的でした。流行っていました。
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53「おはらい町」
スターバックス!
これは笑撃的でした。流行っていました。
54「おはらい町」
松阪牛vs伊勢うどん他
この通りはお伊勢参りをした方々が年間約800万人訪れます。
54「おはらい町」
松阪牛vs伊勢うどん他
この通りはお伊勢参りをした方々が年間約800万人訪れます。
55「おかげ横丁」三十三銀行
のれんに“おみくじ付ATM”と書かれていました。
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55「おかげ横丁」三十三銀行
のれんに“おみくじ付ATM”と書かれていました。
56「おかげ横丁」赤福本店
伊勢らしい切妻・妻入りの建物で明治10年に建てられました。
56「おかげ横丁」赤福本店
伊勢らしい切妻・妻入りの建物で明治10年に建てられました。
57赤福本店で赤福餅を食べる
できたての赤福餅は甘さ控えめでやわらかく、最高においしいです。午前8時に行列ができるのが理解できます。
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57赤福本店で赤福餅を食べる
できたての赤福餅は甘さ控えめでやわらかく、最高においしいです。午前8時に行列ができるのが理解できます。
58「おかげ横丁」
太鼓櫓(たいこやぐら)
毎週土日に横丁の太鼓チーム「神恩太鼓」の生演奏を見ることができます。また、かみしばい広場ではプロの紙芝居師による口演も行われます。
58「おかげ横丁」
太鼓櫓(たいこやぐら)
毎週土日に横丁の太鼓チーム「神恩太鼓」の生演奏を見ることができます。また、かみしばい広場ではプロの紙芝居師による口演も行われます。
59「おかげ横丁」神話の館他
神話の館では伊勢神宮の内宮に祀られている神様、天照大御神が 登場する日本の神話について分かりやすく学ぶことができます。

59「おかげ横丁」神話の館他
神話の館では伊勢神宮の内宮に祀られている神様、天照大御神が 登場する日本の神話について分かりやすく学ぶことができます。

60「おかげ横丁」名産の館他
名産の館では、伊勢茶、伊勢たくあん、伊勢醤油など伊勢路の名産品が数多く販売されています。
60「おかげ横丁」名産の館他
名産の館では、伊勢茶、伊勢たくあん、伊勢醤油など伊勢路の名産品が数多く販売されています。
61キャッスルイン伊勢夫婦岩
朝食
お伊勢参りを開始してから4時間半後にようやく朝食にありつけました。卵かけご飯のみおかわり自由です。
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61キャッスルイン伊勢夫婦岩
朝食
お伊勢参りを開始してから4時間半後にようやく朝食にありつけました。卵かけご飯のみおかわり自由です。
62朝熊山(あさまやま)
景観MAP
<展望台>
自動車で展望台近くまで来られます。

62朝熊山(あさまやま)
景観MAP
<展望台>
自動車で展望台近くまで来られます。

63朝熊山から鳥羽湾
鳥羽湾に浮かぶ多島美の景観を楽しむことができます。
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63朝熊山から鳥羽湾
鳥羽湾に浮かぶ多島美の景観を楽しむことができます。
64朝熊山上広苑
この時期はたくさんのツツジが見られます。
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64朝熊山上広苑
この時期はたくさんのツツジが見られます。
65朝熊山から伊勢湾
愛知県まで望むことができました。空気が澄み切った日には富士山も見えるようです。

65朝熊山から伊勢湾
愛知県まで望むことができました。空気が澄み切った日には富士山も見えるようです。

66朝熊山頂展望足湯
展望足湯に浸りながら、ゆったりした気分で眺望が楽しめます。効能は「心のやすらぎ」です。
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66朝熊山頂展望足湯
展望足湯に浸りながら、ゆったりした気分で眺望が楽しめます。効能は「心のやすらぎ」です。
67「御木本幸吉駕籠立場」
朝熊山展望台の石碑
真珠の養殖とブランド化に成功した御木本幸吉(みきもと こうきち)は朝熊山上までの足として山駕籠(かご)を利用しました。
67「御木本幸吉駕籠立場」
朝熊山展望台の石碑
真珠の養殖とブランド化に成功した御木本幸吉(みきもと こうきち)は朝熊山上までの足として山駕籠(かご)を利用しました。
68朝熊山「天空のポスト」
このポストから手紙を出すと、伊勢で唯一「伊勢の消印」が押されます。現在は伊勢市内から手紙を投函すると四日市の消印がつくので、大変貴重なポストです。
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68朝熊山「天空のポスト」
このポストから手紙を出すと、伊勢で唯一「伊勢の消印」が押されます。現在は伊勢市内から手紙を投函すると四日市の消印がつくので、大変貴重なポストです。
69朝熊山の強風でなびく
鯉のぼり
当日は朝熊山は常時強風が吹いており、鯉のぼりがのたうちまわっていました。
69朝熊山の強風でなびく
鯉のぼり
当日は朝熊山は常時強風が吹いており、鯉のぼりがのたうちまわっていました。
70朝熊山上広苑
目と鼻にやさしいシーンでした。
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70朝熊山上広苑
目と鼻にやさしいシーンでした。
71ピンクの平戸ツツジ
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71ピンクの平戸ツツジ
72白の平戸ツツジ
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72白の平戸ツツジ
73白の平戸ツツジと
鳥羽湾の絶景とのコラボ
この時期にしか見られない貴重なシーンです。
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73白の平戸ツツジと
鳥羽湾の絶景とのコラボ
この時期にしか見られない貴重なシーンです。
74ピンクの平戸ツツジと
鳥羽湾の絶景とのコラボ
近くにベンチもあり、食事や休憩に最適な場所です。
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74ピンクの平戸ツツジと
鳥羽湾の絶景とのコラボ
近くにベンチもあり、食事や休憩に最適な場所です。
75金剛證寺奥之院極楽門
朝熊岳金剛證寺 奥之院の入口です。
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75金剛證寺奥之院極楽門
朝熊岳金剛證寺 奥之院の入口です。
76「奥之院一番地の一」
卒塔婆
伊勢志摩地方では「亡くなった人の魂は朝熊山に昇る」と考えられ、葬儀の後は宗派を問わず奥之院を訪れ、卒塔婆を建て供養する習わしがあり、これを岳参りと呼びます。
76「奥之院一番地の一」
卒塔婆
伊勢志摩地方では「亡くなった人の魂は朝熊山に昇る」と考えられ、葬儀の後は宗派を問わず奥之院を訪れ、卒塔婆を建て供養する習わしがあり、これを岳参りと呼びます。
77九鬼嘉隆の五輪塔
九鬼嘉隆(くき よしたか)は鳥羽の領主で、織田信長、豊臣秀吉に仕え、水軍を率いて活躍しました。関ヶ原の戦いで、嘉隆は石田方に、息子の守隆(もりたか)は徳川方につきました。戦後、守隆は父嘉隆の助命を願い、その許しを得ましたが、それを知らせる使者が着く前に、嘉隆は鳥羽市の答志島で切腹したと伝えられています。
77九鬼嘉隆の五輪塔
九鬼嘉隆(くき よしたか)は鳥羽の領主で、織田信長、豊臣秀吉に仕え、水軍を率いて活躍しました。関ヶ原の戦いで、嘉隆は石田方に、息子の守隆(もりたか)は徳川方につきました。戦後、守隆は父嘉隆の助命を願い、その許しを得ましたが、それを知らせる使者が着く前に、嘉隆は鳥羽市の答志島で切腹したと伝えられています。
78伊勢神宮遷宮の祖
慶光院清順尼&周養尼の墓
清順は1549年宇治大橋を造替し、1563年、豊受大神宮(外宮)の遷宮を129年ぶりに果たしました。周養は1575年皇大神宮(内宮)の仮殿遷宮を行い、1585年には、皇大神宮、豊受大神宮(外宮)双方の正遷宮を挙行しました。
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78伊勢神宮遷宮の祖
慶光院清順尼&周養尼の墓
清順は1549年宇治大橋を造替し、1563年、豊受大神宮(外宮)の遷宮を129年ぶりに果たしました。周養は1575年皇大神宮(内宮)の仮殿遷宮を行い、1585年には、皇大神宮、豊受大神宮(外宮)双方の正遷宮を挙行しました。
79芭蕉碑
この句は1688年2月、芭蕉が伊勢参宮した折りの作品で、『笈の小文』(おいのこぶみ)にあり、「おなじ春ならん何かし寺に詣でて」と前書があります。
79芭蕉碑
この句は1688年2月、芭蕉が伊勢参宮した折りの作品で、『笈の小文』(おいのこぶみ)にあり、「おなじ春ならん何かし寺に詣でて」と前書があります。
80タツナミソウの仲間
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80タツナミソウの仲間
81ハルリンドウ
82国指定史跡 朝熊山経塚群
伊勢湾台風後に金剛證寺本堂の北西にある経ケ峯から発見された経塚群です。出土品の中には非常に貴重なものも含まれ、阿弥陀如来を描いた「線刻阿弥陀三尊来迎鏡像」などは国宝に指定されています。動画も撮りました。
82国指定史跡 朝熊山経塚群
伊勢湾台風後に金剛證寺本堂の北西にある経ケ峯から発見された経塚群です。出土品の中には非常に貴重なものも含まれ、阿弥陀如来を描いた「線刻阿弥陀三尊来迎鏡像」などは国宝に指定されています。動画も撮りました。
83朝熊ヶ岳頂上
金剛證寺八大龍王社
標高555mの朝熊ヶ岳頂上には金剛證寺八大龍王社が設けられています。かつて竜が天に昇ったという伝説を持つ場所でここから眺める伊勢志摩や紀伊半島の風景美は最高です。側の池にいたアカハライモリを動画に撮りました。
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83朝熊ヶ岳頂上
金剛證寺八大龍王社
標高555mの朝熊ヶ岳頂上には金剛證寺八大龍王社が設けられています。かつて竜が天に昇ったという伝説を持つ場所でここから眺める伊勢志摩や紀伊半島の風景美は最高です。側の池にいたアカハライモリを動画に撮りました。
84ノダフジ
85キシダマムシグサ
東海、近畿地方でしか見られないマムシグサです。
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85キシダマムシグサ
東海、近畿地方でしか見られないマムシグサです。
86朝熊山西峰三角点
標高479.0mです。展望は効きません。
86朝熊山西峰三角点
標高479.0mです。展望は効きません。
87お伊勢参らば朝熊をかけよ 
朝熊かけねば片参り
文字通り、ここまで来ないと、真のお伊勢参りとはいえません。
87お伊勢参らば朝熊をかけよ 
朝熊かけねば片参り
文字通り、ここまで来ないと、真のお伊勢参りとはいえません。
88金剛證寺極楽橋
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88金剛證寺極楽橋
89おちんこ地蔵尊
伊勢の鬼門を守るという金剛證寺の子どもを授けてくれるお地蔵様です。
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89おちんこ地蔵尊
伊勢の鬼門を守るという金剛證寺の子どもを授けてくれるお地蔵様です。
90金剛證寺仁王門
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90金剛證寺仁王門
91金剛證寺鐘楼
92連珠橋(太鼓橋)と
連間(つれま)の池
この橋は聖地と俗界との結界を表しているとのことです。橋の向こうにある雨宝堂は国の重要文化財です。
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92連珠橋(太鼓橋)と
連間(つれま)の池
この橋は聖地と俗界との結界を表しているとのことです。橋の向こうにある雨宝堂は国の重要文化財です。
93福徳蓮華庚申
(れんげこうしん)
蓮の花と雲の形を表しています。これは三猿の状態「見ざる、言わざる、聞かざる」を表すものです。日本の様々な信仰と結びついて江戸時代に最も盛んになり、庚申を守れば七福が生ずると信じられたとされます。
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93福徳蓮華庚申
(れんげこうしん)
蓮の花と雲の形を表しています。これは三猿の状態「見ざる、言わざる、聞かざる」を表すものです。日本の様々な信仰と結びついて江戸時代に最も盛んになり、庚申を守れば七福が生ずると信じられたとされます。
94ミニ三重塔越しに
連間(つれま)の池
写っていませんが右側にはミニ五重塔もありました。あと数週間もすれば、数百の睡蓮が咲き誇ります。
94ミニ三重塔越しに
連間(つれま)の池
写っていませんが右側にはミニ五重塔もありました。あと数週間もすれば、数百の睡蓮が咲き誇ります。
95仏足石
天保4年(1833年)に奈良薬師寺にある仏足石を模刻したものです。薬師寺仏足石は、天武天皇の孫・智努王が亡き夫人の供養のために刻ませた日本最古の仏足石【国宝】といわれています。
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95仏足石
天保4年(1833年)に奈良薬師寺にある仏足石を模刻したものです。薬師寺仏足石は、天武天皇の孫・智努王が亡き夫人の供養のために刻ませた日本最古の仏足石【国宝】といわれています。
96福丑(ふくうし)
触れれば心清く福徳智慧増進し、健康のご利益が授けられるとのことです。
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96福丑(ふくうし)
触れれば心清く福徳智慧増進し、健康のご利益が授けられるとのことです。
97国指定有形文化財
金剛證寺本堂摩尼殿
御本尊の福威智満虚空蔵大菩薩(ふくいちまんこくぞうだいぼさつ)は、日本三大虚空蔵大菩薩の第一位として、福徳・威徳・智徳の三徳を有する仏様です。御本尊は秘仏で、20年に一度、神宮式年遷宮の翌年にご開帳されます。
97国指定有形文化財
金剛證寺本堂摩尼殿
御本尊の福威智満虚空蔵大菩薩(ふくいちまんこくぞうだいぼさつ)は、日本三大虚空蔵大菩薩の第一位として、福徳・威徳・智徳の三徳を有する仏様です。御本尊は秘仏で、20年に一度、神宮式年遷宮の翌年にご開帳されます。
98開山堂…2023年06月27日(火)〜2023年06月29日(木)は金剛證寺の中興開山仏地禅師の命日で、この期間、開山堂で法要が行なわれます。
98開山堂…2023年06月27日(火)〜2023年06月29日(木)は金剛證寺の中興開山仏地禅師の命日で、この期間、開山堂で法要が行なわれます。
100ハマダイコン
神前(こうざき)海岸にたくさん咲いていました。
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100ハマダイコン
神前(こうざき)海岸にたくさん咲いていました。
101神前海岸から飛島
神前海岸(こうざき)は海水や磯波の激しい侵食によってできた岩石海岸で、各所に急峻な海食崖が発達しています。
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101神前海岸から飛島
神前海岸(こうざき)は海水や磯波の激しい侵食によってできた岩石海岸で、各所に急峻な海食崖が発達しています。
102ハマエンドウ
103飛島の間を航行する船
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103飛島の間を航行する船
104潜島の鳥居
満潮だったのでこの先にある潜島(くぐりじま)の洞門を潜ることはできませんでした。
104潜島の鳥居
満潮だったのでこの先にある潜島(くぐりじま)の洞門を潜ることはできませんでした。
105神前海岸から音無山
標高119.8メートルの山で、展望台から見る伊勢湾は絶景です!春には満開の桜約2000本が山を覆い尽くします。
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105神前海岸から音無山
標高119.8メートルの山で、展望台から見る伊勢湾は絶景です!春には満開の桜約2000本が山を覆い尽くします。
106夫婦岩に無事ゴール!
ここでお伊勢参りは完結しました。動画も撮りました。
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106夫婦岩に無事ゴール!
ここでお伊勢参りは完結しました。動画も撮りました。
107伊勢土産の珍海堂
「磯に咲く花」
夫婦岩から徒歩2分の「伊勢夫婦岩めおと横丁」で購入。イカやエビなどの海産物の風味が強く、これはうますぎる!
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107伊勢土産の珍海堂
「磯に咲く花」
夫婦岩から徒歩2分の「伊勢夫婦岩めおと横丁」で購入。イカやエビなどの海産物の風味が強く、これはうますぎる!

装備

個人装備
長袖シャツ ズボン 靴下(厚手) 手袋(防水加工) 軍手 雨具 日よけ帽子(フード付き) サブザック ザックカバー(防水用) 地形図 コンパス マップケース 筆記用具 タオルハンカチ カメラ 飲料水(スポドリ&茶) 水筒(保温) 非常食(栄養補助食品) スマホ(地図アプリ使用) eTrex22x(GPSナビゲーター)

感想

【江戸時代のお伊勢参りを敢行】
 “お伊勢参り”とは三重県伊勢市にある伊勢神宮に参拝することや、参拝するための旅を指します。現代と違い江戸時代に伊勢神宮に行くのは時間的にも費用的にも大変で、1ヶ月から3ヶ月かけてお伊勢参りを行う人も数多くいました。江戸時代の国学者本居宣長の『玉勝間』には、1625年閏4月9日から5月29日までの50日の間に合計362万人がお伊勢参りしたと記されています。これは当時の人口からすると、およそ6人に1人がお伊勢参りを行ったことになります。
 現代の“お伊勢参り”は伊勢神宮の外宮(げぐう)と内宮(ないぐう)をお参りすることになっていますが、江戸時代の参拝ルートは二見浦(ふたみうら)で禊(みそぎ)をして身を清め、伊勢神宮を外宮、内宮の順に参拝し、最後に朝熊ヶ岳(あさまがだけ)に登るというものでした。
 今回、江戸時代の習わしに従って、このルートを進みました。1日参りですので、二見浦、伊勢神宮、朝熊ヶ岳の3か所間の移動は自動車です。今回のログは朝熊ヶ岳だけを掲載しています。なお、地形図上は朝熊ヶ岳ですが、所により朝熊山(あさまやま)とも呼ばれています。

【出発点は二見浦の夫婦岩】
 今回出発点としたのは、二見浦にある夫婦岩です。半世紀ぶりの訪問(参拝)です。
 夫婦岩は古来より日の出遙拝所として知られてきました。沖合約700m先に猿田彦大神縁りの興玉神石(おきたましんせき)が鎮まっています。そこは降臨する神の依り代(よりしろ)であり、常世の国から神が寄りつく聖なる処と言われてきました。
夫婦岩はこの興玉神石と日の出を遙拝する鳥居とみなされています。男岩は高さ9m、女岩は高さ4mで、二つを結ぶ大注連縄(おおしめなわ)は全長35mです。男岩に16m、女岩に10m張られていて、その間は9mあります。
 午前4時45分頃に到着すると、カメラを構えた人々が鳥居周辺に陣取っておられました。午前5時5分頃に男岩の右側から日が昇り始め、少しずつ中央に寄り、海面に日の出光の道が現れ、とても神秘的なシーンとなりました。まさにお伊勢参りのスタートにふさわしい瞬間でした。

【伊勢神宮のお参りは朝飯前?】
 二見浦を出た後に向かったのは伊勢神宮です。
 伊勢神宮は全国約8万社の神社の中で、最大の聖域であり、全国の神社の中でも格別のお宮として崇敬を集めています。「お伊勢さん」と親しまれる伊勢神宮の正式名称は、「神宮」の二文字です。お伊勢さんは、天照大御神(あまてらすおおみかみ)をお祭りする皇大神宮(こうたいじんぐう)<内宮>と豊受大御神(とようけのおおみかみ)をお祭りする豊受大神宮(とようけだいじんぐう)<外宮>を御正宮(ごしょうぐう)として、14の別宮と109の摂社、末社、所管社の125社から成り立っています。
 ちなみに、皇大神宮<内宮>は約2,000年、豊受大神宮<外宮>は約1,500年の歴史があります。太陽にも例えられる天照大御神は皇室の御祖先の神、私たち日本人の総氏神とされています。また、天照大御神のお食事を司る豊受大御神は衣食住を始めすべての産業の守り神とされています。
 お伊勢参りは外宮から内宮の順に参拝することになっています。もっとも重要な正宮をはじめ、撮影禁止の社殿も多く、いかに神宮が神聖な場所であるかを実感できます。

 伊勢神宮を取り巻く「神宮の森」は伊勢市の面積の約4分の1を占めます。神聖な空気に包まれ、参道以外のエリアは立ち入り禁止となっていました。神宮では五穀豊穣をはじめ、年間のお祭りは約1,500回も行われます。特に朝と夕の二度、外宮の御饌殿(みけでん)で神さまに御飯、御水、御塩などのお食事をお供えする日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)は約1500年間、毎日行われています。
 そして、20年に1度、社殿を造り替える最大のお祭り「式年遷宮」が行われます。持統天皇4年(690年)に始まり、直近では平成25年(2013年)に第62回目が行われました。この年は年間約1,420万人、1日平均約39,000人がお参りしました。いかに現在も神宮信仰が根強いかが分かります。次期遷宮は令和15年(2033年)の予定です。

 内宮のお参りを済ませた後は「おはらい町・おかげ横丁」を歩きました。「おはらい町」通りにはたくさんの土産物店・飲食店や商家が建ち並び、神宮参拝後の町歩きが楽しめます。また、神宮道場や旧慶光院客殿などの歴史的建造物などもあり、お伊勢さんらしいレトロな雰囲気がたっぷり詰まっています。スターバックスや三十三銀行まで町の景観に合わせていました。
 おはらい町の中程、赤福本店前あたりの横丁一画が「おかげ横丁」です。江戸期から明治期にかけての伊勢路の代表的な建築物が移築・再現されており、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのようです。赤福本店ではまだ午前8時頃だというのに赤福餅の購入者とイートインの客で行列ができていました。五十鈴川を見ながら食べるできたての赤福餅があまりにもおいしかったので、自分たち用土産(昼食)にも購入しました。
 「おはらい町・おかげ横丁」は午前9時以降にならないと開店しない店も多く、そのおかげで、まだ午前8時台でしたが、ゆっくりと町並みを散策できました。翌日のニュースによると昼前後にはほとんど渋谷スクランブル交差点状態になっていました😴伊勢神宮参りは午前9時までに済ませることが重要です。

【お伊勢参らば朝熊をかけよ!お伊勢参りの最後は朝熊ヶ岳】
 「おはらい町・おかげ横丁」を散策した後、いったん宿泊ホテルに戻り、午前9時に朝食をとりました。お伊勢参りを始めてからすでに4時間が経過していました。もし、朝食後にお伊勢参りをしていたら、倍の時間がかかっていたでしょう。

 朝食後に向かったのは朝熊ヶ岳(あさまがだけ)です。江戸時代は神宮参りを終えた人々は朝熊ヶ岳の山上にある朝熊岳金剛證寺(あさまだけこんごうしょうじ)へも参詣するのが習わしでした。
 当山は欽明天皇の頃、暁台上人によって開かれました。朝熊岳金剛證寺は、825年(天長2年)に空海が朝熊ヶ岳の南峰に真言宗のお寺として建立しました。御本尊の福威智満虚空蔵大菩薩は、日本三大虚空蔵菩薩の第一位として広大無辺な福徳・威徳・智徳の三徳を有する仏様です。秘仏で、伊勢神宮のご遷宮の翌年に、二十年に一度ご開帳します。
 昔から伊勢神宮の鬼門を守る寺として「伊勢神宮の奥之院」とも呼ばれ、「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」と伊勢音頭に唄われたと言われているほど、伊勢神宮とともに盛んに参詣されていました。慶長14(1,609)年に姫路の城主池田輝政公の寄進により再建されました。

 標高555メートルの朝熊山は、日本百景にも選定されており、展望台からは、伊勢市、鳥羽市や伊勢湾を一望でき、運がよければ富士山を見ることができます。朝熊山上広苑ではたくさんの平戸ツツジが咲いており、伊勢湾方面の展望を楽しむことができました。
 朝熊ヶ岳の南にある朝熊山経塚群は国指定史跡に指定されています。仏教の経典を写し、それを経筒に入れて土中に納めた跡が多数発見されました。中には、伊勢神宮の神官が写したとされる貴重な経典もあります。江戸時代のお伊勢参りで朝熊ヶ岳を外せなかった理由が分かるような気がしました。
 朝熊ヶ岳を出た後は鳥羽経由で再びスタート地点の夫婦岩に戻り、ここでお伊勢参りが完結しました。


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コメント

こんばんは。
お伊勢参りに行かれたのですね。Machapuchare さんの博識レコを拝見し,正しい参り方を勉強させていただきました。お伊勢さんが天照大御神の神社であることは知っていましたが,禊,外,内,朝熊ヶ岳と参詣の順番があることなど気にもかけていませんでした。
とある用事で三重を訪ねたときに伊勢神宮にお参りしましたが,何も考えずに行っただけで😅。調べて行くと楽しさが違います。二見浦の日の出が神々しいです。
2023/5/9 0:31
satopan7さん
コメントありがとうございました。
今回の江戸時代のお伊勢参りを敢行するにあたって、
最初にこだわったのは、二見浦の夫婦岩の日の出でした。
近くには天の岩戸前で裸踊りをして天照大御神を導き出した
天鈿女命(あめのうずめのみこと)の石像がありました。
夫婦岩の中央に日が昇るのは夏至の日ですが、梅雨時と重なるので、
比較的晴れ間が多いこの時期にそのチャンスをうかがいました。
おかげでこの夫婦岩の日の出シーンから朝熊ヶ岳まで
ひとつの神話でつながりました。
訪問する機会がありましたら、お伊勢参りにまつわる神話を予め知ることで、
見方や考え方に深みを増します。
ぜひ自分探しのお伊勢参りをお楽しみください。
2023/5/9 10:08
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