甲斐駒ヶ岳 滑落死


- GPS
- 16:18
- 距離
- 58.7km
- 登り
- 2,313m
- 下り
- 2,384m
コースタイム
過去天気図(気象庁) | 2023年02月の天気図 |
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アクセス |
利用交通機関:
電車
|
予約できる山小屋 |
七丈小屋
|
写真
ヘルメット、ヘッドライト、ワカン、カメラ、保温ボトルなど、戻ってこなかった道具が写真に収められてました。お気に入りのハードシェルもきちんとハンガーにかかってました。
装備
個人装備 |
長袖シャツ
長袖インナー
ハードシェル
タイツ
ズボン
靴下
グローブ
アウター手袋
予備手袋
防寒着
雨具
ゲイター
ネックウォーマー
毛帽子
靴
ザック
輪カンジキ
アイゼン
行動食
飲料
水筒(保温性)
ヘッドランプ
ファーストエイドキット
常備薬
日焼け止め
携帯
時計
サングラス
タオル
ツェルト
ストック
カメラ
ピッケル2本
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感想
主人が2023年2月21日に黒戸尾根で滑落死してしまいました。46歳でした。。。ニュースや新聞にも出てしまったので見られた方もいるかと思います。
今回、北杜警察署の方消防の方や、前泊した宿の方、七丈小屋の方、JROの方、葬儀会社の方など大変お世話になりました。
誰もが自分は大丈夫、滑落遭難なんてしないと思って山に行くと思います。
でも、絶対なんてないんです。
わたしも主人が毎回無事に帰ってくるので油断してた部分がありました。
残された家族から事故の経緯と山に行く前に家族や大切な人にこれだけはやっておいてほしいとおもったことを書きます。
動揺してうろ覚えのところやもしかしたら思い違いしてるところや順不同もあります。読みにくいこともご容赦ください。
ノートに書き留めたものを思い出しつつ書いている部分もあります。
事故から約1ヶ月たちます。
長文です。
今回は前泊除く1泊2日で甲斐駒ヶ岳を黒戸尾根から登るソロ山行でした。
七丈小屋泊。
アタックする日の天気がそれほどいいとは言えない予報のなか、行きました。
前泊は最寄り駅と登山口まで送迎してくれるアグリーブルむかわさんで宿泊。宿泊客が一人しかおらずとても懇意にしていただいたそうです。
翌日、登山口まで車を出していただきまずは七丈小屋へ。
買ったばかりのチェーンスパイクが調子よいと言ってました。
13時半頃小屋に到着しました。
小屋の様子やお土産などこまめに写真をとってラインしてくれました。
その小屋で同じくソロできた同室の若い方とお話して翌日一緒に山頂を目指すことにしたそうです。
ラッセルしなきゃだから二人で協力していくと
ラインで言ってました。しんどかったら、そうそうに登頂あきらめて引き返すとも。。。
その方はまだ若く雪山経験も浅いとのことでした。甲斐駒ヶ岳自体初めてだったそうです。
主人は北沢峠から残雪期に登頂してます。そのときに、黒戸尾根から日帰りピストンの方と遭遇しとても尊敬すると話していたのを覚えています。そしてはいつかは黒戸尾根とよく言ってました。
雪山大好きでソロでテント泊ででかけたりもしていました。
(ヤマレコでログを取り出したのはここ最近のことです。ヤマレコでログとってくれればイマココで居場所がわかるからと絶対やってほしいと私がリクエストしました。なので、hiroyaの過去レコはほとんど私と行ったゆる山ばかりですが、実際はログのない雪山山行しています。)
無理はしないタイプでだめだと思ったら潔く撤退する面もありました。なので、今回もだめなら早く帰ってくるかな?
と軽い気持ちで思ってました。
アタック当日3時半に起床、4時半アタック開始。
風が強くまだ暗い中ヘッデン頼りに先行して歩いたそうです。後ろの若い子を気にしつつ声掛けしながら登ってくれて、その子はすごく感謝していたと警察の方から聞きました。途中、若い子が滑落して10mほど滑落し木にぶつかりなんとか止まりました。風が強く声が聞き取りにくいなかで、その子を助けようとしたのか下ろうとした際、バランスをくずしたのかそのまま頭から落ちてしまったそうです。
若い子はその時すぐ110番をしてくれて、ただ、電波が途切れ途切れで警察もかなり聞き取りにくかったそうです。
この時点で5時頃だったといわれたと記憶しています。
その子はなんとか七丈小屋まで辿り着き、小屋の方が改めて警察に連絡してくれたそうです。
その時、警察はその子が要救助者だと思ったらしく、そのあとまだ要救助者がいるというのが判明して動くことに。小屋の方が偵察に行くもだいぶ下まで行ってしまったらしくヘリしか行けない場所ということで、ヘリ要請をしてくれたそうです。
この時点で多分、わたしのところに北杜市警察署の方から連絡が入りました。
7:30くらいのことです。
最初警察から聞いたときは???
滑落!?
えっ?まさか?
と何言われてるのかピンと来なかったです。
そのときにたしか、着ている服の色やザックの色、持ちものなど聞かれた気がします。行動食や飲料など。
イマココのアプリを入れてたので、現在位置を見ると確かに小屋の近くからザーッと軌跡が引かれてました。
警察の方に連絡して、
イマココの表示されている経度と緯度、念の為イマココのIDを伝えました。
ココヘリももっていってましたが、私のスマホのアプリと上手く連携しておらず、私のアプリでは年末とまった赤岳鉱泉で止まってました。
わたしはその時は自力で頑張ってかえってきてくれると信じてました。
とりあえず、義母に連絡し、滑落したらしいということだけ伝え祈る気持ちで警察からの連絡をまちました。
7:50頃ヘリをこれから出す予定と警察の方から連絡ありました。
県警のヘリが出払っていて、消防のヘリをだしてもらえることになったのですが、風が強くヘリが出たのは8:30頃だったそうです。
気になって気になってイマココを何度も見ていたら軌跡がビューっと町の方に引かれていて移動してるのがわかり、救助されたんだ!と警察の方と電話したら、救助はされましたが、救助された時点で社会死という状態と言われました。
??社会死って?え?え?
ってなりました。
検死をしないと正式な書類は出ないけど完全になくなってる状態のことを言うみたいです。
いまから、警察で検死をして、病院で先生に検案書を出してもらったあとまた警察で預かりますと言われました。そのあとお引き取りできますと。
わたしはどうしたらいいのかわからず、呆然とするばかりでした。
頼れるのは警察の方だけだったので、私はこれからどうしたら?とお聞きしたら、まずは葬儀屋さんに連絡して遺体を運ぶ手配です、ただ、引き渡しできるのが当日になるか、翌日になるかわからないと言われました。
ただただ、待ってることしかできないことが辛かったです。
警察の方から連絡があり、16時ころ警察に運ばれるとのことでした。頭の後ろがぱっくりと切れておりそちらは警察で縫合してくれたそうです。おでこもひどい傷があるが葬儀屋さんにおまかせのほうがきれいになると思いますがどうしますか?ときかれ、葬儀屋さんに確認して葬儀屋さんにおまかせすることにしました。遠方ということもあり、車で行くか電車で行くか。。。主人の両親も一緒なら車の方がいいのか、でもこんな精神状態で運転できるのか悩みました。
主人の妹が車を出してくれることになり4人で北杜市に向かうことにしました。
葬儀屋さんの手配をして翌日、北杜市へ出発しました。
とにかく悲しむ暇がないくらい決めることが押し寄せてきて混乱しました。
葬儀屋さんもどこにしたらいいのかわからず、地元で聞いてみたら、運ぶ料金が違うので向こうの最寄りの葬儀屋さんに聞いたほうがいいとアドバイスもらいました。警察の方にこういう案件を扱ってくれる葬儀屋さんを何件かききなんとか葬儀屋さんを見つけることができました。
こちらまではこんだら、地元の葬儀屋さんにバトンタッチしてくれます。
まずは病院に行き検案書をもらってきてくださいと警察の方に言われたので病院へ。検案書は38500円でした。
霊柩車の手配が15時以降とのことでしたが、顔を先に見たくて警察へ。
お電話で話してくれた担当の方が出てくれて流れの経緯を聞きました。
この警察の担当の方がとてもいい方で、とても親身に接してくださりありがたかったです。
若い子と一緒にアタックしたというのは、ラインでも連絡きていたので知ってました。
そのあとの経緯を細かく教えてくれました。
説明を一通りきき、会いに行きました。
後頭部は警察の方が処置してくれたそうですが、額もかなり切れてたりあざがあったり肩にも傷がありかなり痛々しい状態でした。ただ、滑落した割にはきれいなお顔してますと警察や葬儀屋さんが言ってました。
頭から落ちて行ったようです。
腕の骨、肋骨が折れてたそうです。
頭から落ちたからか足の方はまだましでとにかく上半身がひどかったとのことでした。
多分、即死で苦しまず亡くなられたのではないかとの話でした。
一通り聞いたあと、葬儀屋さんが準備できるまでまだ時間があるので周辺をくるっと周ることにしました。検死すると裸のままなので服を持ってきてあげてくださいと葬儀屋さんに言われてたので着せやすいように前開きのフリースともう1着あったハードシェル、パンツとズボンと靴下を持ってきました。帽子も頭が切れてるならあったほうがよいかもということで持っていきました。どこまで着せてもらえるかわからなかったけど帽子以外すべて着せてくれました。
待っている間、アグリーブルむかわさんに寄ってその日の様子をお話ししてくださいました。いつか奥さんを黒戸尾根に連れてくるので今回はその下見なんてことを言っていたそうです。。。
お蕎麦屋さんで遅いお昼をたべつつ時間を潰しました。アグリーブルむかわさんには大変お世話になりました。
15時半頃、警察に戻ると引き渡しの前に荷物の受け渡しとさらに細かい説明を受けました。
小屋に泊まったので大きなザックは置いてアタックザックで山頂に向かったそうです。その置いていったザックの中にアタック前日におみやげ買ったよとラインで写真くれてたバッヂと手ぬぐいがありました。
出発間際に若い子の撮った後ろ姿写真を警察の方が見せてくれました。エクスペドのアタックザックにワカンをくくりつけてハードシェルのフードをかぶった後ろ姿の写真がありました。若い子に聞いたらヘルメット、ゴーグルもしてたとのことでした。
小屋に置いていったザック以外の本人が最後身につけてたものを確認しました。
そしたら、ヘルメット、アタックザック、アックスがなくて。。。
アタックザックとか近くにはなかったのか聞いたところ、
見当たらなかったそうです。
グローブもインナーまですっぽり取れており素手だったそうです。
厳冬期でも使えるように買ったアップルウォッチウルトラも無かったそうです。
雪山の時はハードシェルの袖の外側にはめていたと記憶しています。
アイゼン、靴はちゃんと履いたままだったそうです。
ハードシェルの内ポケットにサイフ、スマホ、マムートのビーコンを入れていたため、それは無事に戻ってきました。
ヘリが救助したとき、ゆきで半分体が埋もれてたそうです。イマココの位置とだいたい合っていたと言ってました。
体を回収してもらえただけでも本当にありがたかったです。
着ていた服はどうされますか?と聞かれました。
かなり血まみれなので。。。
といわれました。
警察で処分もできます。と言われそのときはもう見るのもつらくてたまらなかったのでそのまま処分をお願いしてしまいました。
お気に入りのハードシェルだったのでやっぱりつらくても一緒にもらってくればよかったかな。。。といまも思い返したりします。
小屋にデポしたザックは若い子がかなり動揺していたみたいで小屋の方と一緒に下山した際その方が運んでくれたそうです。
その後、警察の説明で七丈小屋から上の道は夏道と冬道があるらしく、雪と風が強く踏み跡がなくて夏道を進んでしまったらしいです。
冬道の踏み跡があるヤマレコをいつも使っていたのにこういうときに限って一体どうして?
葬儀が終わりすこし経ってから、若い子がお線香をあげにきてくれて、前日や小屋の様子などのお話を聞くことができました。
七丈小屋のロックグラスをかなり気に入っていた様子だったと話してくれました。
お酒が好きで、小屋に着くと談話室でお菓子を広げてお酒を飲むのが大好きでした。
のちに、七丈小屋のご主人とお電話でお話する機会があり、当時の雪道の様子などを教えていただくことができました。
アタック時は雪と風でまったくトレースがない状態で、本人のトレースもかなり迷いつつ進んだような跡があったと言ってました。
滑落した場所はかなりの急傾斜だったとのことです。
いまは誤って行かないよう小屋の方がロープで目印をしてくれているそうです。
山行計画では6:30頃小屋を出発する予定だったのが、実際には4:30には出ています。
ヘッドライト付けても真っ暗ななか出発しています。
出発したときの後ろ姿の動画をもらい何度も何度も見ました。
もう少し明るくなってから出発すればよかったんじゃないか?
とか、
山行を一週間ずらせばよかったのにとか。。。
詮無いことをぐるぐる考えてしまいます。
本人はとりあえず、行方不明になることだけは避けたいと言っていてココヘリ、雪山のときはビーコンも、は常時身につけてくれていました。
イマココのアプリで位置情報の共有もこの1年くらいでやっとしてくれて安心していました。
残雪期の剱岳の源治郎尾根や1月の西穂とか本当に心配で心配で、それでもただいまー!と元気よく帰ってきてくれていたので今回も根拠のない自信で帰ってくると思ってました。
400m滑落なんてどれだけ恐ろしくこわかったか。。。
あまりにもあっという間でそんなことなにも考える暇もなく逝ってしまったのかもしれません。
本人つねづね、長生きはしたくない手術とか延命治療してまで生きたくないと言っていたので、大好きな山で苦しまず逝けたのはよかったのかなと思います。
それでも早すぎるよ!!!
毎日泣かずにはおれません。
残された私の方が、つらくて悲しいです。。。
まだよく眠れない日が続いています。
眠れないので、ふりかえるのも辛いですが忘れないようにもしたいと思い、この記録を書いては消し書いては消しつつ保存しています。
つらくても悲しくてもさびしくてもやることはどっさりありました。
葬儀のために誰を呼ぶか、祭壇はどうするか、日程はどうするか。
式場の広さは、人数は、香典返しは。。。お寺さんは。。。納骨は。。。
主人と一緒に山梨から地元に戻ってきたら、葬儀場の親族控え室に泊まり込みでいろいろ決めなくてはいけないことと向き合わなければなりませんでした。
葬儀が終わり四十九日の日程を決めると
その次はサブスクチェックなど。
スマホのパスコードは本人がよく使ってる番号ですんなりロック解除できたためいろいろ助かりました。ご丁寧にスプレッドシートに銀行やいろんなサイトのID、PWをまとめてくれていたのでスマホ関連で苦労は少なく済みました。。。
ヤマレコもそれでログインできました。
体が救助されたあとも、下山通知をしないとコンパスから下山未確認の通知が何度も何度も来てしまいます。その通知がくることが、とても心に重くのしかかりました。
ココヘリもどこかにいってしまったため解約の旨ととも事務局に連絡しました。
そこで、JROから遺体搬送費、かけつけ費用がおりるかもと教えてもらい、事故報告書を出してくださいと言われました。
また、つらいことを思い出しつつ書面に書くことがとても悲しかったです。
報告書をだしたあと、正式な書類がPDFでとどきます。
それに記入して提出しました。
JROに出したもの。
その事故がニュースになってたらその内容のわかるもの
時系列
山行計画
今回の案件でかかった費用の明細
請求書、領収書、
印鑑証明などなど
私もそれなりに登山しているので書く内容はわかりましたが、山に興味のない方からしたらめちゃくちゃ大変な作業かと思いました。
山行計画は必ず必要です。
そして、家族にかならず共有してください。
主人はヤマレコからコンパスで山行計画をいつも提出し、わたしにメールで届くようにしていました。
できればプリントアウトして手元に紙媒体もあると安心です。
行くときの服装、ザックや帽子や靴、色などもチェックしておいた方がいいです。
夏だと着替えるだろうからTシャツの色、レインウェアの色、ザックの色など。
警察に届け出たときに聞かれると思います。
山梨から愛知まで搬送費用は30万ほどでした。葬儀屋さんに霊柩車で運んでいただきました。そのときに棺に入れた方が車で運んだ体の損傷が少ないですといわれたのでそうしました。
ヘリコプターは今回は消防のヘリで公的機関だったので無料で救助していただけました。イマココの位置情報と大体合ってたことも捜索に日にちと時間があまりかからなくて本当によかったです。
そこだけは本人の希望通りになりました。。。
さいごに
ココヘリの位置情報の同期を自分のスマホだけではなく、同居人や緊急連絡先の方のスマホと同期も忘れないようにした方がいいです。
わたしのスマホだと主人のココヘリが年末の赤岳鉱泉で止まっていました。
本人のココヘリがどこかにいってしまったため原因はよくわかりません。
わたしのココヘリはちゃんとわたしのスマホとは同期できていました。。。
出かける前に充電と同期は必ずした方がいいと思います。
主人はヤマレコだけでしたが、わたしはヤマップもやっていてヤマップの見守り機能も試したことがあります。
イマココはIDを教えてあげれば、だれでも山行中の現在の記録を見ることができました。
ヤマップの見守り機能は一人しかだめみたいで、ためしに両親と妹と主人にラインをしたら一番最初に反応してくれた妹しか見守ってもらえることができませんでした。
ラインで現在ここだよって教えてくれるのでイマココアプリを見るより手軽。なのでヤマップのこの機能が何人かに同時に見てもらえることができるようになったらとてもいい機能だと思うのでそこが残念でした。
イマココ、ヤマップも万能ではなく、結局圏外になってしまうと本人のスマホはGPSで場所を示していますが、共有者側は本人のスマホの電波が入るときまで軌跡が止まってしまいます。
遭難した場所が樹林帯とかで電波が弱いところだと発見が遅れるかもしれません。
それでも、いざというときの捜索の手がかりになると思うのでぜひ使って見てください。
このような悲しい事故が少しでも減るよう祈っています。。。
いろんなご意見あるかと思いますが、少しでも遭難事故が減るといいと思い、この山行記録を上げさせていただきます。
追記。事故報告の書類を揃えてからのJROからの入金はとても早く助かりました。本当にお世話になりました。
もうすぐ4ヶ月経ちます。
この記録をアップしたときよりは気持ちも落ち着いてきました。
読み返すとやっぱりまだ泣いてしまいますが、本人のスマホの中の写真を見返して少しだけ写真追加しました。
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