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ハイキング
東北
【津軽の道を歩く04】久渡寺道
2022年05月12日(木) [日帰り]


体力度
2
日帰りが可能
- GPS
- 04:26
- 距離
- 11.7km
- 登り
- 288m
- 下り
- 124m
コースタイム
天候 | 曇り 蒸した |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス
Out:弘南バス 久渡寺バス停 |
コース状況/ 危険箇所等 |
弘前市の南にある久渡寺山は、山名は山麓にある護国山久渡寺に由来します。 久渡寺は津軽三十三観音札所の1番であるなど、津軽家の保護を受けた名刹であり、5月16日に行われる例大祭(イタコの口寄せがある)や、丸山応挙の幽霊画「反魂香之図」などで有名です。 天保国絵図では、弘前城から久渡寺の麓の集落坂元までの道と久渡寺の観音堂が描かれています。 この道は、『津軽領分大道小道磯辺路并船路之帳』には 「弘前より小沢村まで二十五町、小沢より久渡寺坂木(坂元)村まで十七町二間」とあります。(注)1町は約109メートル 津軽藩としては、藩が保護している久渡寺の重要性を認識し、信仰の道としても重要視していたことがうかがえます。 この道の名前に関しては、「御国縮図並弘前同其外所々之図(おくにしゅくずならびにひろさきどうそのほかしょしょのず)」に「久渡寺道」の記載がありますので、「久渡寺道」とします。 寺沢川を渡るまでは、城下町の雰囲気を味わえます。 寺沢川から久渡寺までは、次第に近づく久渡寺を見ながら南下しますが、ところどころに飢饉にまつわる津軽藩の苦難の歴史を見て取ることができます。 雑感です。 <追手門〜寺沢橋> 城下町に当たる範囲は、正保城絵図を参考にしました。 この区間は、右手に弘前城下の土塁を見ながら進みます。 禅林街入口の桝形や、寺沢川を利用した城の防御の形を確認できます。 <寺沢橋〜久渡寺> 基本的に現道を南下します。 途中に、飢饉の被害にあってきた津軽の歴史を感じ取ることができます。 最後には、久渡寺の222段の石段が待ち構えていますよ。 |
その他周辺情報 | コンビニは市街地には数多くありますが、郊外に出ると少なくなります。 清水三丁目のファミリーマートが最後です。(その先に1軒スーパーがあります) トイレは、出発地点の追手門付近には、観光物産館や市役所、城内のトイレがあります。 その後は、ドラッグショップやコンビニのトイレが使用可能で、清水交流センター前には最後の公衆トイレがあります。 自販機は多数ありますが、梨の木の小沢竜神温泉跡の前の自販機が最後です。 久渡寺の石段はきついですので、飲料が必要であれば、そこでの確保をお勧めします。 なお、久渡寺バス停前にはラーメン屋さんがあります(11-14時)。 また、2022年5月14日にはカフェがオープンするようです。 久渡寺からのバスの便は多くはないのですが、時間が合わなければ、ラーメン屋さんやカフェで調整ができると思います。 |
写真
非常に説明しづらいこの交差点で左折します。
直進方向も古くからある道で、悪戸から相馬方面へ続きます。
(茂森南口バス停から100m強西に進んだ最初の左下に降りることのできる道へ続く交差点)
直進方向も古くからある道で、悪戸から相馬方面へ続きます。
(茂森南口バス停から100m強西に進んだ最初の左下に降りることのできる道へ続く交差点)
ケガジ坂
飢渇坂とかきます。
飢饉の際、飢えた人々がこの坂を登れず餓死者が山積みになったと言われます。
旧道は地形に沿うように蛇行していたようです。
その坂のイメージを覆すためでしょうか、かつては豊年橋という橋がかかっていました。
現在は盛り土された道が通じます。
飢渇坂とかきます。
飢饉の際、飢えた人々がこの坂を登れず餓死者が山積みになったと言われます。
旧道は地形に沿うように蛇行していたようです。
その坂のイメージを覆すためでしょうか、かつては豊年橋という橋がかかっていました。
現在は盛り土された道が通じます。
廣野神社
小沢地区の中心となる神社です。
創立年は不詳。
藩政時代には馬頭観音堂でした。
神仏分離により梨の木の稲荷大明神と坂元の白龍権現を合祀したものだそうです。
バス停の名前は「小沢神社前」
小沢地区の中心となる神社です。
創立年は不詳。
藩政時代には馬頭観音堂でした。
神仏分離により梨の木の稲荷大明神と坂元の白龍権現を合祀したものだそうです。
バス停の名前は「小沢神社前」
白蛇神社
創建時期は定かではありませんが、今から約350年程前の「津軽知行高之帳」によれば、平賀郡の中に坂元という村名があり、そこの氏神様として久渡寺の北の日寄山に創立され、その後、現在地に移転したと伝えられています。
手前に地蔵堂があり、
中には地蔵菩薩と力神が一体ずつありました。
創建時期は定かではありませんが、今から約350年程前の「津軽知行高之帳」によれば、平賀郡の中に坂元という村名があり、そこの氏神様として久渡寺の北の日寄山に創立され、その後、現在地に移転したと伝えられています。
手前に地蔵堂があり、
中には地蔵菩薩と力神が一体ずつありました。
津軽三十三観音札所巡りはそのうちやりそうな気がするので、ガイドブックを購入しました。
おみくじは、久渡寺の特色でもある「おしらさま」をイメージしたものです。
(「中吉」でした。縁談は他人に妨げられて破談する恐れがあるそうです・・・・)
おみくじは、久渡寺の特色でもある「おしらさま」をイメージしたものです。
(「中吉」でした。縁談は他人に妨げられて破談する恐れがあるそうです・・・・)
降りてきて、「久渡寺のラーメン屋さん」でラーメンをいただきます。(11時〜14時)
大学を卒業したての若者が跡を継いでいます。
若者たちが、この地域の活性化を考えてくれるのは良いことです。頑張れ。
大学を卒業したての若者が跡を継いでいます。
若者たちが、この地域の活性化を考えてくれるのは良いことです。頑張れ。
感想
津軽の道を歩くシリーズ第4回目は、今までの「大道」と呼ばれる主要街道ではなく、「小道」と呼ばれるマイナーな道「久渡寺道(仮)」にしました。
(仮)にしたのは、正式な名称がないと思われるからです。
とはいえ、弘前城から久渡寺へ向かうこの道は、信仰の道として重要な道であり、明治以降では、陸軍の演習地が数多くつくられた重要な道でもありました。
基本登りで、最後にラスボスの222段の石段。
汗をかいた後のラーメンはおいしいですよ。
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