若狭の城山 難攻不落の「国吉城」に返り討ち!?


- GPS
- 02:38
- 距離
- 2.2km
- 登り
- 196m
- 下り
- 196m
コースタイム
- 山行
- 2:38
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 2:38
天候 | 曇りのち晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2021年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
「若狭国吉城歴史資料館」を検索すると行けます |
コース状況/ 危険箇所等 |
表道はよく整備されたず〜〜〜〜と階段の道でが スニーカー以上を推奨!! 二の丸からの下山道はふみ跡薄く倒木だらけで 邪魔くさそうなので今回はパスしました |
写真
感想
皆さんご訪問ありがとうございます
ビタロです m(__)m
前日から天気予報をみていると
まあころころとかわることかわること・・・・
「女心と秋の空」とはよく言ったものです
当日の滋賀県周辺のお山は天気がよろしくない!!
比較的天気の良い北陸地方へプチ遠征しました
通称「城山」は若狭地方へ行く度び
以前から気になっていたお山で
越前国から若狭国へと攻め込む朝倉軍を
朝倉氏が滅亡するまでの10年間籠城戦で
守り切った難攻不落と言われた国吉城がありました
この吉田城跡は“続日本100名城”に選定されたこともあり
よく整備されたお山でしたがそこは難攻不落のお山!!
現在でも山頂付近まで延々と続く階段が外敵の侵入を
防いでいます
資料館の方のお話によると軽いつもりで登って
返り討ちに会う観光客の方もおられるそうですよ
なんたってチャメもヤバかったですもん
(〃艸〃)ムフッ
今回は出発が遅かったので行けませんでしたが
御嶽山まで次回は足を延ばしたいものです
ココからは資料編
★国吉城
注目ポイント
1、“難攻不落”朝倉勢の侵攻を食い止めた堅城
2、発掘調査で姿を現した“石垣の城”
3、四季折々の“城跡の彩り”と、城跡から見える“若狭の絶景”
越前国と若狭国の国境である関峠を過ぎ、
若狭国に入り、旧丹後街道を進んでいくと、
北は天王山、南は御岳山(おたけやま)に
挟まれた椿峠があります
越前から若狭に深く侵入するには、
この椿峠を必ず通過する必要があり
国吉城はまさにその軍事上の要所を抑える位置にあり、
御岳山の北西尾根端の美浜町東部の「佐柿」の
通称「城山」(標高197.3メートル)に
若狭国守護大名武田氏の重臣、粟屋越中守勝久が、
弘治2年(1556)に古城を利用して築いたと伝わります。
国吉城の勇名を轟かせた「国吉籠城戦」は、
永禄6年(1563)、越前朝倉氏の侵攻を撃退したのが始まりで、
朝倉氏が滅亡する天正元年(1573)までほぼ毎年襲来する朝倉勢を、
粟屋勢が国吉城に立て籠もって迎え撃ち、一度も落城しませんでした。
この戦いの様子は、粟屋勢に参加した地侍、
田辺半太夫安次の昔語りが、軍記『国吉籠城記』として
世に広まりました。
因みに、城は当時「佐柿城」と呼ばれていましたが、
『国吉籠城記』の広まりで「国吉城」が定着してしまいました。
元亀元年(1570)には、
朝倉氏攻めに向かう織田信長率いる3万の軍勢を迎え入れました。
木下藤吉郎(豊臣秀吉)や徳川家康、明智光秀らと共に
国吉城に入城した信長は、籠城戦を戦った勝久と地侍たちと謁見し、
褒め称えたと『国吉籠城記』には記されます。
その後、天正11年(1583)には豊臣秀吉の家臣、
木村常陸介が城主となり、城下町を開きました。
現在の佐柿集落の起源であり、
江戸時代は丹後街道の宿場として繁栄しました。
町並みには当時の面影が色濃く残ります。
城は、江戸時代前半の寛永11年(1635)に京極氏に代わり
酒井忠勝が小浜藩主となった折に廃城となり、
代わって城跡の南に佐柿町奉行所が建てられました。
その跡地には、平成21年(2009)に
若狭国吉城歴史資料館が開館しました。
昭和58年(1983)に町史跡に指定され、
郷土の歴史遺産である国吉城址を保存し、活用を図るため、
平成12年度(2000)から始まった発掘調査では、
朝倉勢の猛攻を退けた戦国期山城がそのまま残ると
考えられていましたが、調査の結果、大規模な礎石建物群や、
一様に上半分を崩し、下半分を埋めた破城痕跡を示す石垣、
山上本丸北西虎口の巨大な礎石と鏡石、
本丸南隅土壇上の建物跡(天守か)などが発見され、
国吉城のイメージを大きく覆しました。
これらの遺構は、豊臣大名の木村常陸介が、
新領主の力を誇示するよう大改修をした結果とみられますが、
資料にはありませんでした。
発掘調査によって始めて判明した「真実」なのです。
平成29年(2017)、
公益財団法人日本城郭協会より“続日本100名城”に選定され、
春には城下町佐柿に咲く桜と城跡を彩るシャガ、
夏には葉が白く染まる半夏生の群生、秋には青蓮寺や徳賞寺の紅葉、
冬は一面の銀世界と、四季折々の彩りを見せてくれます。
本丸までは遊歩道が整備されていますが、
九十九折れの坂道は終わりが見えず、
実際に“難攻不落”を体感する感覚になります。
しかし、ようやく辿り着いた本丸跡では、
雄大な若狭の自然と美しい風景が出迎えてくれ、
ここまでの苦労を忘れさせてくれるでしょう。
参考資料 若狭観光協会様など
★日本の遊歩百選に選ばれた気比の松原
三保の松原(静岡県)・虹の松原(佐賀県)と並ぶ
福井県敦賀市の名勝『気比の松原』
ここには「一夜の松原」という伝説があります
――聖武天皇の御代、この地に来襲した異賊。
そのとき一帯は突然震動し、一夜にして数千の松が浜辺に出現した。
樹上には無数のシラサギが。
それはまるで、風にひるがえる旗差物。
敵は数万の軍勢とみて、たちまち逃げ去ったのだという――
そんな伝説に想いをはせつつ
木々の緑と海の青に包まれながら所要時間約15分〜40分の
健康ウオークコースが設置されています
また松並木の中では火気厳禁ですが砂浜では沢山の方が
釣りやバーベキューを楽しまれていました
みなさん、ごきげんよう(^o^)丿
秋の夜長、
ちょっぴり寂しくなったり悲しくなったりしたら
こんな曲はいかがでしょうか
♬ Somebody Stole My Gal
https://www.youtube.com/watch?v=RjMJDJ0frBc
先週、ビタロに運転かなり頑張ってもらったし
なおかつ
高速料金がシビアなままだったので
今週は
下道で行けて青空がみえるところ(`・ω・´)b
となると若狭が限界でした(;^_^A
歴史アレルギーではありますが
城跡山ってほんと素敵(⋈◍>◡<◍)。✧♡
頂上が開けてるって正義です(*´艸`)
ビタロも
「ここ気に入った、ここらへん来た時ついでに登ろう、30分で登れるし」
あのぉ・・・私45分かかってるんですけど(-_-;)
(しかもヘロヘロバテバテ)
私ら頂上貸し切りでゆ〜っくり滞在し、
写真も撮り放題だったのですが
いざ降り始めると
別々に10人ぐらいのかたが
登ってこられました
30分とゆうことらしいので
みなさん、余裕で遅出なのですね(;^ω^)
気比の松原
松は見事で見ごたえありましたが
なんてことでしょう、
おだやかで癒されるはずの海みても
何も感じなくなってしまいました
きっと人が多かったからでしょう
それとも琵琶湖で抗体できてしまったのでしょうか・・・
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