白河の名刹 日本最古の公園である南湖公園を一周する。


- GPS
- 00:55
- 距離
- 3.0km
- 登り
- 18m
- 下り
- 19m
コースタイム
天候 | 曇り 気温30度 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2021年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
その他周辺情報 | 道の駅「安達」 |
写真
感想
20日1日だけ職場に復帰し会議に参加。予定していた会議はリモートになり、しかも午前中のみに縮小であった。同じ職場にいながら一同に会せずそれぞれの持ち場からzoomで会議とは、なかなか面白くない日だった。
というわけで、土日月火とまた4連休です。長野方面は雨で相当大変だったみたいだし行きたかった山(塩見岳)のレコは上がっていない。登るとすれば山小屋泊だがHPを見ると、登山者を歓迎しないような内容、このような時に向かう山ではないと却下です。来年以降でしょうね。
というわけで、また天気が持ちそうな東北方面にやってきました。本当ならば小野岳とか二岐山とか、霊山とか色々計画を作ってきたのであるが、那須方面のサービスエリアで爆睡してしまい、スッキリと7時に目覚めてしまったのである。これらの山に行くにはもう時間的には遅い。
よって、白河のあたりでどこか見たいところはないかと思って急遽決定したのがこの内容である。過去に白河小峰城は見たことはあるし、白河の関も見に行ったことがある。それを繋いで歩くと12kmほど、気温も30度越えの予報が出ていることもあり、今回は南湖一周としました。
「一周もの」は結構好きで、過去にも芦ノ湖、山中湖、知床五湖、宮ヶ瀬湖ショート、城山湖などを一周したことがある。この歩きで気分が上がるかどうかはわからなかったが、松平定信公と関わりがあり、その像まであるということで一気にモチベーションが上がったのである。
そう、白河を治めていた松平家が避暑や観光のために作った景勝地である。
松平定信公は、もともと将軍になる可能性もあるほどの血筋の方である。田安家に生まれ7代将軍吉宗の孫である。そして、松平家に養子として出され白河藩主として治める。
天明の大飢饉の時の対応が良く、米に関して他の東北諸藩よりもうまく管理し藩内では飢餓をあまり出さなかったこともあり、田沼意次らの失脚の後、老中筆頭に推されることになる。当時、老中や大老になるには譜代藩の藩主でその治めている土地の状況なども加味された。老中に松平定信公が推されるには当然のことであった。それは、「寛政の改革」と言われる改革である。
しかしながら、改革はうまくいかない。田沼の政治で美味い味を知っている武士からは「澱みがある方が良かったな、田沼時代が懐かしいなあ」と思われることもよくあり、最終的には失脚してしまう。
しかしながら、後を託した老中たちによって緊縮の方針は変わらなくそのままということになった。結局この方針は幕末までの基本方針として維持されたそうである。
定信が白河に帰るというときに、慕う人が大いに集まり名残を惜しんだと言われている。
白河に戻ってからは、平地が少ない白河に馬産を取り入れるなど新しい産業を起こし、少しずつ貯蓄を蓄えていく。そして1801年に南湖を作るのである。ここは、「日本最古の公園」とされているそうだ。他の大名が作った豪華絢爛な公園とは違い、武士も民衆も一緒に楽しめるように作られているという画期的なものであったそうだ。
老中としては評価は分かれるが、白河藩主としては名君とされている人物である。
今回、初めて自分の中で白河と松平定信公が繋がった。最初は「ここを歩くのかぁ、はぁ〜。」と思ったが、いろいろなことを学び考えることができた時間になったと今は納得している。いい1日だった。
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