(過去レコ)宮之浦岳縦走(淀川口⇒荒川口)


- GPS
- --:--
- 距離
- 26.7km
- 登り
- 1,611m
- 下り
- 2,385m
コースタイム
- 山行
- 11:25
- 休憩
- 1:50
- 合計
- 13:15
天候 | 快晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2010年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
タクシー 自家用車
|
写真
感想
2010年11月7日(日)から10日(水)まで、3泊4日で屋久島の山へ登る。
7日は午前中に鹿児島港から宮之浦港へ移動し、レンタカーで白谷雲水峡へ。
8日は屋久島核心部の縦走で、淀川登山口までレンタカー、下山した荒川口から淀川登山口までタクシーを呼ぶ。
9日は午前中は愛子岳登山、午後は平内海中温泉の露天風呂などの観光。
10日は太忠岳登山後、レンタカーを返し、高速艇で鹿児島港へ。
3泊は同じ民宿、奈良県出身の23歳の若い女性が請負管理人だった。
雨の多い屋久島だが、4日間雨に降られることはなかった。
11月8日、午前3時に宮之浦集落の民宿を出て、淀川登山口へ向かう。
安房(あんぼう)集落まで30分、そこから内陸部へ入り、曲がりくねった林道を1時間ばかり走る。
登山口の駐車場は大変狭く、車中泊していた2台の車が身支度している。 私は食事は済ませていたので、サンダルを登山靴に履き替え、台帳式の登山届に記入した後、彼らより一足先に4時40分スタートする。
上空はよく晴れているようで満天の星空、空気が澄み切っていて、本州で見上げる夜空よりずっと綺麗。
8年前の初めての宮之浦岳は限りなく雨天に近い曇天で、展望皆無。 今回はそのリベンジ山行。日中もよく晴れてくれることを願って、全身に身震いするほどの覇気が満ちる。
登山口の標高は1360m、山頂までの標高差は580m、山頂から下山口(荒川口)までは1340mの下りである。
約40分で淀川小屋を通過。 一応避難小屋だが、建物は東屋風で、休憩舎と言った方が相応しい。
やがて、天と地との境界がはっきり見え始め、星は姿を消す。
徐々に明るさを増し、登山道沿いの左手にある高盤岳展望所で夜明けとなる。 そこに20分いて、明るくなるのを待って高盤岳を撮る。
ライトを仕舞い、夏は花が綺麗らしい花之江河へ急ぐ。 途中で、南東の空がオレンジ色に染まり、雲の上に太陽が出る。
屋久島で日の出が見られるとは願ってもない幸運だ。 花之江河は5本の登山道が集まる窪地の湿地帯である。
木道に霜が降りていて、濡れているよりも滑りやすい。
山地図付属のコースガイド(冊子)では、高盤岳へは西側のコルから登れるとある。 上空は雲の全くない快晴で、展望を期待して行ってみる。
平内海中温泉のある湯泊集落へ通じるルートに入るのだが、入口にはロープが張ってあり、整備された登山道ではない旨の表示板がある。
西側のコルまではすぐだったが、高盤岳へ通じるような踏跡は全くないので花之江河へ引き返す。
宮之浦岳への登路から西へ外れる黒味岳へは、明瞭な踏み跡がある。岩場の斜面を横切る所が多く、少々歩きにくかったが山頂は平らな大岩であり、展望はすこぶる良い。
北側の離れた所に投石岳、安房岳、翁岳が等間隔で並び、その北西側には栗生岳、宮之浦岳が見えている。
更に宮之浦岳からかなり離れた北西方向には永田岳があり、山頂にはガスが掛かっている。 足元の黒味岳を含め、屋久島で1800mを超える全7座が見えている。
縦走路に戻り、右側に投石、安房、翁を登山道から眺めながら北上する。 この3座は標高が30mしか違わず、それぞれ頂上には大きな石があり、3兄弟みたいな秀峰である。
栗生岳には奥秩父・金峰山の五丈石よりやや小さめの巨岩がふたつあり、登山道はその巨岩の基部を通る。
登山道脇の岩屋には祠がある。 栗生岳は7座の高峰の中では最も山らしくない山だが、宮之浦岳、永田岳とともに屋久島三高峰の一つであり、山岳信仰の山でもある。
ここから70mほどの標高差で、10時25分、石鎚山、剣山に次ぐ西日本で標高第3位の宮之浦岳に登頂する。
雨の多い屋久島で、一片の雲のかけらもない完璧な快晴だ。 黒味岳からみた永田岳には時折ガスが掛かっていたが、今ではすっかり消えている。
360度の重畳たる山々の展望は、ここが南海の小島であることを感じさせない。北東側の種子島、北西側の口永良部島は、水平線上の雲海に隠されていたようだ。
頂上へは、私より先に小屋泊の青年二人が着いていた。 その後しばらくして、登山口で準備していた人達が登頂、反対側の北側からも登頂した人あり、一時は8人ほどいた。
交わす言葉は、「いい天気ですね」から始まる。 男性の外人さんも2人いて、中年女性と身振り手振りで楽しそうに話をしている。
外国人が日本の山へ登り、満足している姿を見るのは嬉しい。
宮之浦岳周辺は1800mくらいで森林限界を超えており、山全体が笹(ヤクシマダケ)に覆われている。
所々に花崗岩が風化した丸みのある巨岩が点在し、さながら広大な日本庭園の風情である。
1700m前後の山では上部まで矮小の針葉樹林が繁るが、頂上には殆どの山に露岩が見られる。
森林限界を抜けた頂上では、笹原の中の露岩となる。 真っ青な空をバックにして見上げるその風景は、誠に美しい光景であった。
30分後に北側へ下る。 もっと長くいたかったのだが、永田岳へも行ってみたいし、日の短いこの時季、日帰りではのんびりする時間はない。
永田岳は焼野三叉路という所から往復する。 宮之浦から250m下って、永田へは200mの登りとなる。
コルは豊富な水が流れている。帰りに飲むとしよう。
屋久島の高峰は笹が繁り、巨大な露岩も丸みがあって女性的な優しさを感じさせるが、永田岳から眺める宮之浦岳は山容そのものが女性的であった。
12時40分に焼野三叉路へ戻り、後は縄文杉とウィルソン株を見て、その後は長〜いトロッコ軌道歩きとなる。
山地図のコースタイムは、ここから縄文杉まで3時間半、更に下山口までは7時間10分も掛かる。コースタイム通りなら下山は19時50分となる。
焼野三叉路以後は、トロッコ軌道との出合まで標高差900m近くの下りとなる。 他の登山者には全く会わない。
樹齢3000年と言われる縄文杉には14時50分に着く。人気は全くない。まだ陽は高いが、これからすぐ下り出しても、下山するのは暗くなる。
屋久島の巨杉は数多くあるが、縄文杉だけ木に触れられる所までは行けず、見るのは木製の展望台から。
下山した荒川口から、車を置いた淀川入口までは事前にタクシーを予約していた。
予約した時、縄文杉まで下って来たら改めて電話して下さいと言われていた。山地図のコースタイムは荒川口まで3時間40分。
15時から下り出して、急げば40分は短縮できるだろうから、18時に迎えを頼む。
縄文杉のある場所は、普通なら携帯は通じない山奥の中腹だが、色んな事故も多いだろうと想像され、緊急時の為にも通信手段は確保されているようだ。
縄文杉までは登山をしない観光客も大勢来るので、道は非常に良く整備されている。急な坂道はほとんどが横に板を敷き詰めた木段である。
しかし、タクシードライバーの話では、濡れた木道でのスリップによる転倒事故が多いそうだ。
実際に木道を歩いていても、日蔭は3日前に降った雨で濡れたままとなっている。乾いている所は小走りでもOKだが、濡れたり湿ったままの所は細心の注意を払う。
縄文杉から下り始めて少しの所で、2組のカップルと単独行の男性に会う。5人とも若い青年であった。単独行としばらく話し、私が日帰りだと言うとびっくりしていた。
そこから50分下った所にはウィルソン株があるが、これは生木なら縄文杉より大きいと言われる。
切株は幹の外側のみを残しているが、空洞化した内側は10畳の広さで、小さな神社があり、水が地下から湧き出ている。
伐採されたのは16世紀の終盤だが、屋久島の樹木は樹脂が多く、切りくずは今なお腐らずに残っている。
そのすぐ下にある翁杉は今年の9月10日頃に天寿を全うした。
幹の内側が長年の歳月で腐食し空洞化して、自分の巨体を支えられなくなったのが倒木の原因らしい。
屋久杉の数多くの巨樹には一本一本名前があるが、気の遠くなる歳月を生き抜いてきた一本が、今息絶えたのだ。
大株歩道入口16時05分着、ここから現役のトロッコ軌道(安房森林鉄道)を延々と歩くことになる。
山地図のコースタイムは2時間20分、タクシー会社に連絡してある18時までには30分程縮めなければならないが、軌道上の木道は殆ど乾いているので大丈夫そう。
途中、白谷雲水峡へ通じる楠川分れの水場で食事休憩。
昭和40年代半ばまで集落があった小杉谷は、今は廃墟と化し、苔むした校門の石柱は往年の栄華を偲ばせる。
昭和40年代、それは日本が高度成長期に入り、そのスピードを加速し始めた年代、振り返れば激動の初期の年代でもあった。
トロッコ軌道は、それまでの安房川左岸(上流から見て左側)から右岸に渡る。その橋の上から安房川を見下ろしてびっくり!水量は少ないが、小石や砂利は全くなく、巨岩が累々と河床を埋め尽くしている。
一旦洪水となった時の水勢の強さがどんなものか、想像に難くない。人が流されれば、岩に砕かれ激流にもまれ、骨のかけらとなって海に流されるだろう。
軌道が右岸に移り、レール間に敷かれていた木道の板はなくなリ、枕木を踏んで歩く。
すっかり暗くなった5時53分、平坦な軌道なので何とかライトなしで荒川口へ下山する。
待っていたタクシードライバー曰く、「7時を過ぎるのじゃないかと思いましたよ」と。私は、こちらから申し出た時刻を守れて安堵していた。万歩計は55000歩を越えていた。
荒川口にはタクシーのほか、シャトルバスが止まっていたが、暗くなったこの時刻にバスに乗る客はある筈もなかった。
前回は、黒味岳も永田岳も行かなかった。展望がないのに行っても仕方がない。今回は、そのリベンジ登山としては大成功であった。
屋久島は1993年12月11日、世界自然遺産に登録された。
以後17年、国内の好況・不況に関わらず、毎年多くの人が訪れている。
屋久島 〜 そこは、巨樹と巨岩が織り成す類いまれなワンダーランドであった。
そして、生涯に一度は訪れておきたい南海のパラダイスでもある。
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