竹田城&明延鉱山



- GPS
- --:--
- 距離
- 2.8km
- 登り
- 83m
- 下り
- 161m
天候 | 晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2018年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
GW明けの晴の日曜。明延鉱山と竹田城をセットで見学してきました。
午前中は竹田城にお立ち寄り。ちっぽけな山城の石垣があるんでしょ?と思っていましたが以外に規模が大きく見ごたえがありました。そしてこれだけの規模の城が関ケ原以降打ち捨てられ、石垣しか残っていないのは少し残念。いろいろあったんでしょう。映画「天と地と」のセットがあるときに来てみたかった。
山城の郷より往路バス、帰りは車道をテクテク。童心に帰り道端でトカゲを捕獲しようとし、2回チャレンジして2回とも捕らえる。子供の時より腕が上がってました。
午後は本日のメインイベント。明延鉱山を時間たっぷり見てきました。竹田城から直線距離で西北西に10数キロ離れた、かつて日本一のすず鉱山として栄えた鉱山の一部がほぼ原形通り残されており、ガイドの案内で見学することができます。こちらも期待をかなり上回り興味深いものがありました。
奈良時代の大仏鋳造に明延の銅が使用されたという記録があるそうです。戦国時代は生野銀山と並んで織田や豊臣の支配を受け、江戸時代には、幕府代官所の所管に変わり、次いで明治時代に官営となったので当時の建物写真には菊の紋章がありました。やはり資源は時の権力者のものなのでした。
で、明治42年(1909年)に錫鉱が発見され、銅、亜鉛、錫など多鉱種を産出する国内有数の鉱山として発展し、日本の近代化を支えた。ガイドさんの話では錫の90%以上がここで採掘されていたため、戦時中は何度もB29が偵察に飛来するも戦後の復興あるいは東アジア地区の資源として確保するつもりだったのか一度も爆撃を受けたことはなかったそうです。また神子畑選鉱場の地下にある廃棄された坑道内に隠しおいた多くの大砲の弾なども分かっていて、敗戦後すぐに進駐軍がやってきて全部持って行ったとのこと。
観光化された施設では、コースをコンクリートで固めたり、手すりを付けたりといった工事がなされていることが多いが、明延鉱山跡は、ほぼ当時のままの状態が保たれており、また、採掘に用いる多くの専用機械が残されており見学価値は高いです。
明延鉱山は1987年に閉山となりましたが、その2年前まで、鉱山と選考場を結ぶ鉄道(一円電車)が運航しており、休止されるまで観光客やそのスジの鉄ちゃんも1円で乗れたそうです。乗ろうと思えば乗れていただけに残念です。
ということで相当面白かったです。知名度は別子銅山や生野銀山よりも低いですが、お好きなかたは是非訪れてみてください。
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する