紀州街道との分岐点よりスタート。
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11/26 7:02
紀州街道との分岐点よりスタート。
堺市街地は空襲で焼け野原になったので古い建物は殆ど残っていません。
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11/26 7:03
堺市街地は空襲で焼け野原になったので古い建物は殆ど残っていません。
阪神高速の先にある旧道へ。
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11/26 7:11
阪神高速の先にある旧道へ。
長尾街道の石柱。大阪府では主だった街道に案内標識の設置が進められています。
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11/26 7:13
長尾街道の石柱。大阪府では主だった街道に案内標識の設置が進められています。
南海高野線を地下道でくぐります。元は踏切でしたが旧街道直下に新たな地下道が作られた好例です。
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11/26 7:17
南海高野線を地下道でくぐります。元は踏切でしたが旧街道直下に新たな地下道が作られた好例です。
ゆるやかな坂道は「三国の坂」の名残り。
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11/26 7:17
ゆるやかな坂道は「三国の坂」の名残り。
府道に合流します。三国の名前は河内、摂津、和泉の境からで「堺」の名前もこれに由来しています。
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11/26 7:19
府道に合流します。三国の名前は河内、摂津、和泉の境からで「堺」の名前もこれに由来しています。
道路の右わきの膨らみは旧道の痕跡です。
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11/26 7:20
道路の右わきの膨らみは旧道の痕跡です。
和泉名所図会より。大仙陵とは一般的に仁徳天皇陵と呼ばれている古墳です。道筋はデフォルメされて描かれています。
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11/26 7:22
和泉名所図会より。大仙陵とは一般的に仁徳天皇陵と呼ばれている古墳です。道筋はデフォルメされて描かれています。
方違神社。社地は摂津、河内、和泉の境の三国山にあって三令制国のいずれにも属さない地、方位のない地として古くから方位、地相、家相などの方災除けの神社として信仰を集めていました。
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11/26 7:24
方違神社。社地は摂津、河内、和泉の境の三国山にあって三令制国のいずれにも属さない地、方位のない地として古くから方位、地相、家相などの方災除けの神社として信仰を集めていました。
JR堺市へ向かってのびる府道。直線になっていますが改良前は若干ウネウネした感じだったようです。
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11/26 7:30
JR堺市へ向かってのびる府道。直線になっていますが改良前は若干ウネウネした感じだったようです。
ココを左へ。
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11/26 7:34
ココを左へ。
堺市駅前。踏切を渡ります。
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11/26 7:41
堺市駅前。踏切を渡ります。
駅前商店街の入口。門に長尾街道の文字が書かれています。
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11/26 7:43
駅前商店街の入口。門に長尾街道の文字が書かれています。
早朝はひっそりの商店街。昼はまた違った光景なのでしょうか。
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11/26 7:47
早朝はひっそりの商店街。昼はまた違った光景なのでしょうか。
街道は直線で国分まで進む形ですが若干ウネウネした感じになっています。堺市駅手前にあった府道の直線区間も元はこのような感じだったのでしょう。
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11/26 7:48
街道は直線で国分まで進む形ですが若干ウネウネした感じになっています。堺市駅手前にあった府道の直線区間も元はこのような感じだったのでしょう。
堺の「丁目」表記は「丁」です。本来「丁目」というのは法律で決まっていないのでなんでもいいわけですが面白いですね。この「丁」は〇〇町の「町」と同格の意味になるそうです。
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11/26 7:54
堺の「丁目」表記は「丁」です。本来「丁目」というのは法律で決まっていないのでなんでもいいわけですが面白いですね。この「丁」は〇〇町の「町」と同格の意味になるそうです。
クスノキが立派な愛染院前。
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11/26 8:04
クスノキが立派な愛染院前。
本堂は江戸時代前期のもの。綺麗なトイレがありお借りしました。
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11/26 8:05
本堂は江戸時代前期のもの。綺麗なトイレがありお借りしました。
一見普通に見えるお地蔵様ですが赤い布をめくると道標になっています。
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11/26 8:11
一見普通に見えるお地蔵様ですが赤い布をめくると道標になっています。
「ひだりハふじゐ寺 はせならみち」”はせ”とは長谷寺のことですね。
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11/26 8:12
「ひだりハふじゐ寺 はせならみち」”はせ”とは長谷寺のことですね。
古い風情が出てきました。
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11/26 8:13
古い風情が出てきました。
指先のある道標は明治以降のものが多いです。これは明治35年のもの。
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11/26 8:16
指先のある道標は明治以降のものが多いです。これは明治35年のもの。
船堂集落の橋付近に残る旧道の痕跡。振り返ってのものですが橋を渡ったら右側にある旧道から伸びていたようです。
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11/26 8:22
船堂集落の橋付近に残る旧道の痕跡。振り返ってのものですが橋を渡ったら右側にある旧道から伸びていたようです。
遠見地蔵。昔はここから堺の海を見ることが出来たそうです。真ん中の石柱には「左」の文字がありますが他は判読不能でした。
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11/26 8:26
遠見地蔵。昔はここから堺の海を見ることが出来たそうです。真ん中の石柱には「左」の文字がありますが他は判読不能でした。
西除川の西側の堤防上で下高野街道と交差します。
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11/26 8:42
西除川の西側の堤防上で下高野街道と交差します。
惣井戸。古代の大津道の駅家の施設の名残りの一つ。
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11/26 8:43
惣井戸。古代の大津道の駅家の施設の名残りの一つ。
西除川は狭山池から流れる河川で大和川付替え以前は淀川(大川)に直接流れていました。
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11/26 8:44
西除川は狭山池から流れる河川で大和川付替え以前は淀川(大川)に直接流れていました。
布忍駅付近。
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11/26 8:49
布忍駅付近。
今池。この付近は灌漑対策のための溜池が非常に多いです。近年は埋め立てされたものもあり今池も昔の半分の大きさになっています。
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11/26 8:59
今池。この付近は灌漑対策のための溜池が非常に多いです。近年は埋め立てされたものもあり今池も昔の半分の大きさになっています。
河内松原が近くなってきました。松原の名前は反正天皇の宮殿跡を「松生いし丹比の松原」からで長尾街道沿いにも松が近世までたくさんあったそうです。
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11/26 9:05
河内松原が近くなってきました。松原の名前は反正天皇の宮殿跡を「松生いし丹比の松原」からで長尾街道沿いにも松が近世までたくさんあったそうです。
街道と書いた道標は明治以降のものが一般的です。「ちちかみ橋」は乳児がお乳を飲んで寝ていたら悪夢でびっくりして乳首を噛み切って母親が死んでしまったというお話です。
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11/26 9:09
街道と書いた道標は明治以降のものが一般的です。「ちちかみ橋」は乳児がお乳を飲んで寝ていたら悪夢でびっくりして乳首を噛み切って母親が死んでしまったというお話です。
この付近の絵図。街道に沿って小さな川があるのがわかります。川は現在は暗渠化されはいるものの健在です。
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11/26 9:06
この付近の絵図。街道に沿って小さな川があるのがわかります。川は現在は暗渠化されはいるものの健在です。
暗渠化された川の上にはモニュメントが置かれています。
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11/26 9:16
暗渠化された川の上にはモニュメントが置かれています。
堰があった場所には分量石が保存されています。
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11/26 9:16
堰があった場所には分量石が保存されています。
阿保(あお)交差点。この左手に阿保(あおん)茶屋が3軒あったそうで中高野街道との交点ということもあって賑わっていました。
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11/26 9:17
阿保(あお)交差点。この左手に阿保(あおん)茶屋が3軒あったそうで中高野街道との交点ということもあって賑わっていました。
阿保の由来は奈良時代の阿保親王からきています。この親王池の名前もそこからきています。
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11/26 9:27
阿保の由来は奈良時代の阿保親王からきています。この親王池の名前もそこからきています。
中央環状線を越えます。
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11/26 9:33
中央環状線を越えます。
狭い道ながらも比較的交通量は多いようです。
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11/26 9:48
狭い道ながらも比較的交通量は多いようです。
東除川。これも狭山池を源とする河川です。
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11/26 9:57
東除川。これも狭山池を源とする河川です。
雄略天皇陵古墳。
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11/26 10:05
雄略天皇陵古墳。
この付近は少し複雑ですが道なりに進めば大丈夫です。
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11/26 10:16
この付近は少し複雑ですが道なりに進めば大丈夫です。
突き当りを右へ。古市街道と合流します。
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11/26 10:19
突き当りを右へ。古市街道と合流します。
元は常夜灯だったと思われる道標。「右 いせ 道明寺 葛井寺」横には「村内安全」の文字。
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11/26 10:19
元は常夜灯だったと思われる道標。「右 いせ 道明寺 葛井寺」横には「村内安全」の文字。
この先で左へ。かつてここに道標があったのですが移設されています。
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11/26 10:29
この先で左へ。かつてここに道標があったのですが移設されています。
その道標がこちら。元禄年間のもので「かうや」「ふじい寺」の文字が見えます。
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11/26 10:32
その道標がこちら。元禄年間のもので「かうや」「ふじい寺」の文字が見えます。
説明板には田尻峠の文字があります。明治になって関屋峠からルートが変更になったのですが「長尾街道」という明治の名称としては間違いない説明です。ただ、江戸時代も田尻峠経由だったと誤解しかねない文面ではあります。
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11/26 10:32
説明板には田尻峠の文字があります。明治になって関屋峠からルートが変更になったのですが「長尾街道」という明治の名称としては間違いない説明です。ただ、江戸時代も田尻峠経由だったと誤解しかねない文面ではあります。
西名阪道路の藤井寺インター付近。
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11/26 10:43
西名阪道路の藤井寺インター付近。
インター前の横断歩道の先の左に旧道が残ります。
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11/26 10:44
インター前の横断歩道の先の左に旧道が残ります。
本来は真っすぐですが外環状線で分断されているので右手の歩道橋で迂回します。
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11/26 10:47
本来は真っすぐですが外環状線で分断されているので右手の歩道橋で迂回します。
この辺りから若干のアップダウンが始まります。
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11/26 11:46
この辺りから若干のアップダウンが始まります。
旧大阪外環状線と交差します。
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11/26 11:49
旧大阪外環状線と交差します。
このお地蔵様の下部にも道標があります。
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11/26 11:51
このお地蔵様の下部にも道標があります。
右 大坂さかひ、左 ならはせ道。右 ふじゐてら道。
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11/26 11:51
右 大坂さかひ、左 ならはせ道。右 ふじゐてら道。
允恭天皇陵に沿って進みます。この付近は古墳だらけですね。
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11/26 11:54
允恭天皇陵に沿って進みます。この付近は古墳だらけですね。
東高野街道との交点。
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11/26 11:57
東高野街道との交点。
右 道明寺。少し前までは倒れていたみたいですが復活していました。
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11/26 11:57
右 道明寺。少し前までは倒れていたみたいですが復活していました。
府道の脇道を進みます。
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11/26 11:59
府道の脇道を進みます。
近鉄線と石川の堤防があるので迂回します。右手の階段を上って橋を渡ります。
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11/26 12:01
近鉄線と石川の堤防があるので迂回します。右手の階段を上って橋を渡ります。
石川。先日の台風の痕が生々しい。
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11/26 12:02
石川。先日の台風の痕が生々しい。
橋を渡った先の左に旧道が残っています。
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11/26 12:04
橋を渡った先の左に旧道が残っています。
お堂の先にある府道横の狭い通路を進みます。
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11/26 12:05
お堂の先にある府道横の狭い通路を進みます。
ここで府道と合流。
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11/26 12:06
ここで府道と合流。
ここは右の旧道を進みます。
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11/26 12:12
ここは右の旧道を進みます。
ここは左へ。かつては山越えの道もあったそうですが土地改良で風情はなくなってしまっているようです。
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11/26 12:13
ここは左へ。かつては山越えの道もあったそうですが土地改良で風情はなくなってしまっているようです。
龍田越奈良街道と合流して進みます。
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11/26 12:16
龍田越奈良街道と合流して進みます。
ここは堤防の右横にある旧道を進みましょう。
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11/26 12:17
ここは堤防の右横にある旧道を進みましょう。
紅葉が美しい。秋ですね。
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11/26 12:19
紅葉が美しい。秋ですね。
大和川横を進みます。橋は大正年間のもの。
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11/26 12:20
大和川横を進みます。橋は大正年間のもの。
この先の国豊橋南詰でゴールとしました。
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11/26 12:22
この先の国豊橋南詰でゴールとしました。
こんばんは、yaonyaosuke2さん!
ご無沙汰してます。
長尾街道は高石の家からも近いので何度か歩いたことがあります(部分的にですが・・・
おひさしぶりです!
大阪の地元の街道を歩くのは久々すぎて新鮮でした。
あ、余野街道のレコ見させてもらいました。お疲れ様です
こんにちは。
次は関屋地蔵の峠越えでしょうか。楽しみです。
はい、次回は関屋地蔵の峠です
やはりそうですよね。山道の方が絶対面白いです。
関屋地蔵(Google Maps)
https://goo.gl/maps/uPbGtzC6eTK2
地蔵と呼ばれていますが、頭の形がどうにも地蔵に思えません。何より左手に宝珠を持っていない。(めくって見ました)当方には如来像に思えるのですが、yaonyaosuke2 さんなら、きっとこの謎も解明されるものと期待しております。
関屋地蔵は相当劣化しているようですね。
劣化は材質の問題でしょうが現地を見ても難しいそうです
以前竹内街道を歩きました。長尾街道の南側をほぼ平行して、超える峠は違っているということですね。後半部分もがんばってくださいませ。 私も長尾街道を楽しみに、次回の歩く案内地図に使わせていただきます。竹内街道ほど知られていないようですけど、竹内街道の終点とされる長尾神社が、長尾街道の由来であると、初めて知りました。
こんにちわ!
長尾街道の由来は長尾神社になるのですが
堺市内の街道上にも「長尾」の場所を見かけたので
もしかすると調べてみると関連性があるかもしれませんね
>>堺市内の街道上にも「長尾」の場所を見かけたので
そうですか、私も堺市内を通る時には、さがしてみます。目下の予定では大和高田から西行したいと思っています。前回高田から今井町まで下街道を歩きましたので、未踏破の竹内街道延長部分を歩いておきたいと思ったものですから。
また、東・中・下の高野街道を一昨年歩いていましたので、長尾街道との交差点を思い出しながら読ませていただきました。
各高野街道の交点ではいろいろ思い出すものがありますね
またレコ楽しみにしています
長尾街道の西行き、目下、お天気と相談中です。
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