記録ID: 1055323
全員に公開
ハイキング
中国
瀬戸内市 我城山(がきやま)〜甲山(こうやま)古墳&磐座
2017年01月29日(日) [日帰り]



体力度
2
日帰りが可能
- GPS
- 05:16
- 距離
- 13.2km
- 登り
- 368m
- 下り
- 372m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 4:43
- 休憩
- 0:31
- 合計
- 5:14
距離 13.2km
登り 382m
下り 374m
8:02
16分
スタート地点(峨城山創造の森駐車場)
8:18
52分
我城山頂上
9:10
9:12
41分
上笠加14号墳
9:53
9:55
14分
甲山頂上
10:09
10:13
31分
甲山北東小ピーク
10:44
10:51
39分
片山日子神社
11:30
11:36
39分
木鍋八幡宮
12:15
12:22
42分
北池2号墳
13:04
13:07
9分
王持八幡宮
13:16
ゴール地点(峨城山創造の森駐車場)
瀬戸内市邑久町最北部の聖なる山を訪ねるコース
歩行距離13km、歩行時間4時間40分、歩行数20,400歩
歩行距離13km、歩行時間4時間40分、歩行数20,400歩
天候 | 曇り後小雨 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2017年01月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
電車で来る場合はJR赤穂線「長船(おさふね)」駅で降りて、南へ徒歩15分程で登山口に着くことができます。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
我城山(がきやま)は「創造の森」として遊歩道が整備されて歩きやすいですが、案内図に載っている古墳の場所がよくわかりませんでした。また、頂上は水道施設のため、立ち入り禁止となっています。 甲山(こうやま)は南の上笠加(かみがさか)集落からアプローチすると、標高80m辺りまでは生活道が続いているので、とても歩きやすいですが、そこから先は突然道がなくなります。ヤブコギというほどではなく、木々の間を適当に北上していけば頂上に辿りつくことができます。頂上周辺にはたまにピンク色のビニール紐や赤いビニールテープがあります。 北の長船町土師(はじ)集落からアプローチする場合は、正通寺の東の墓地から道があるはずでした。今回お会いした地元の方のお話やネットの情報では、入口の地面に赤いペンキで書かれた矢印と、最初のほうだけところどころに赤テープがあるそうです。途中に稲荷(地元の方によれば稲荷ではなく権現)があり、そこから頂上までは道がないとのことでした。頂上から北方面に下りる道はわからなかったので、木々の間を適当に進みました。甲山北東小ピーク<写真10>にはピンク色、甲山北東尾根巨岩群<写真11>周辺には青いビニール紐がありました。水道施設らしきタンク周辺は立ち入り禁止だったので、そのすぐ東脇の斜面を無理矢理下りました。最後の2m程は急で、トゲのある植物だらけでした。もう数m東のほうが下りやすかったようです。 |
その他周辺情報 | 甲山(こうやま)の北側の干田(ほした)川を北上すると、信号機のある交差点に面して、パン屋の「むくむく」があります。焼きたてパンがいつも出てきて、客が途絶えることがない人気のパン屋です。行動食をここで調達というのもありです。 |
写真
02表忠碑&磐座?
駐車場から我城山(がきやま)方向に向かうと、突然、戦没者の慰霊碑が出てきました。その下の台座はもしかして磐座(いわくら)でしょうか?ここを過ぎると道が怪しくなったので引き返し、別の遊歩道に入りました。
駐車場から我城山(がきやま)方向に向かうと、突然、戦没者の慰霊碑が出てきました。その下の台座はもしかして磐座(いわくら)でしょうか?ここを過ぎると道が怪しくなったので引き返し、別の遊歩道に入りました。
03我城山頂上
標高75mの我城山(がきやま)の頂上です。水道施設の周りがフェンスで囲まれ立ち入り禁止だったため、頂上に立つことはできませんでした。いったん引き返しフェンスの西の踏み跡から古墳の墳丘を確認し、地形図に載っているコンクリート道に入って西に進み過ぎて引き返し、「上笠加」と書かれた遊歩道に入ってアスファルト道に下りました。
標高75mの我城山(がきやま)の頂上です。水道施設の周りがフェンスで囲まれ立ち入り禁止だったため、頂上に立つことはできませんでした。いったん引き返しフェンスの西の踏み跡から古墳の墳丘を確認し、地形図に載っているコンクリート道に入って西に進み過ぎて引き返し、「上笠加」と書かれた遊歩道に入ってアスファルト道に下りました。
06大日神社
大日霊貴命(おおひるめむちのみこと)、つまり天照大神をお祀りしているのでしょうか?コンクリート道標高60m辺りから南西方向に竹ヤブの中を進むと突然出てきましたが、途中で北方向に進む土道に出ました。
大日霊貴命(おおひるめむちのみこと)、つまり天照大神をお祀りしているのでしょうか?コンクリート道標高60m辺りから南西方向に竹ヤブの中を進むと突然出てきましたが、途中で北方向に進む土道に出ました。
07上笠加17号墳
大日神社<写真06>の北隣で、石積みの上に神がお祀りされています。土道をさらに進み、コンクリート道に合流して小さな祠の右側に井戸のようなものがあるところから踏み跡に入りました。上笠加経グロ祭祀跡を探しましたが、2段の方形基壇という石積みは見つかりませんでした。踏み跡がなくなりさらに北上すると、不自然なほど石がかたまって埋まっているところがありましたが、これも祭祀跡だったのかもしれません。
大日神社<写真06>の北隣で、石積みの上に神がお祀りされています。土道をさらに進み、コンクリート道に合流して小さな祠の右側に井戸のようなものがあるところから踏み跡に入りました。上笠加経グロ祭祀跡を探しましたが、2段の方形基壇という石積みは見つかりませんでした。踏み跡がなくなりさらに北上すると、不自然なほど石がかたまって埋まっているところがありましたが、これも祭祀跡だったのかもしれません。
08上笠加甲山祭祀跡
甲山(こうやま)頂上南西近くの標高160m辺りに巨石群がありました。巨石10個程が12m四方に分布しているそうです。こうした巨石群がこの山域にいくつかあり、祭祀跡ではないかと思われます。動画も撮りました。
甲山(こうやま)頂上南西近くの標高160m辺りに巨石群がありました。巨石10個程が12m四方に分布しているそうです。こうした巨石群がこの山域にいくつかあり、祭祀跡ではないかと思われます。動画も撮りました。
09甲山頂上三角点
標高163.7mの甲山頂上三角点です。柱石は、上部約15cmを地上に露出するように埋設するのですが、かなり地上に出ています。背後の祠は、六郎稲荷神社のものか、地元の方がおっしゃっていた権現かよくわかりません。ここから北に下りる明確な道は見つかりませんでした。
標高163.7mの甲山頂上三角点です。柱石は、上部約15cmを地上に露出するように埋設するのですが、かなり地上に出ています。背後の祠は、六郎稲荷神社のものか、地元の方がおっしゃっていた権現かよくわかりません。ここから北に下りる明確な道は見つかりませんでした。
10甲山北東小ピーク
甲山頂上から木々の間を適当に北東方向に進み、標高115m辺りまで下りてくると、平坦な小ピークに行きつきました。ここも巨石が散在していました。さらに鹿の置き土産(写真手前)もありました。
甲山頂上から木々の間を適当に北東方向に進み、標高115m辺りまで下りてくると、平坦な小ピークに行きつきました。ここも巨石が散在していました。さらに鹿の置き土産(写真手前)もありました。
11甲山北東尾根巨岩群
小ピーク<写真10>の北東を標高70m辺りまで下りると、また巨石群が出てきました。やはり甲山は磐座(いわくら)信仰が強い山だったのかもしれません。周辺には青いビニール紐があり、水道タンクのようなものが見えましたが、やはり道はなく、トゲだらけの植物の急斜面を無理矢理下りてコンクリート道に出ました。
小ピーク<写真10>の北東を標高70m辺りまで下りると、また巨石群が出てきました。やはり甲山は磐座(いわくら)信仰が強い山だったのかもしれません。周辺には青いビニール紐があり、水道タンクのようなものが見えましたが、やはり道はなく、トゲだらけの植物の急斜面を無理矢理下りてコンクリート道に出ました。
14片山日子神社鳥居&随神門
片山日子(かたやまひこ)神社は甲山の北を流れる干田川を渡った向かいにあります。古来、神社の神山(甲山)に鎮座しており、平安時代中期の天喜3年(1055年)に現在の地に遷座したと伝えられています。
片山日子(かたやまひこ)神社は甲山の北を流れる干田川を渡った向かいにあります。古来、神社の神山(甲山)に鎮座しており、平安時代中期の天喜3年(1055年)に現在の地に遷座したと伝えられています。
16片山日子神社拝殿 算額
明治6年(1873年)、萬春亭社中により奉納された畳1帖ほどの大きさで欅造りの和算の額です。邑久町箕輪の萬春亭入江平吉信順とその一門16名の問題と解答が記されています。当時の和算の 術を知るうえで貴重な資料とされ、瀬戸内市の重要文化財に指定されています。
明治6年(1873年)、萬春亭社中により奉納された畳1帖ほどの大きさで欅造りの和算の額です。邑久町箕輪の萬春亭入江平吉信順とその一門16名の問題と解答が記されています。当時の和算の 術を知るうえで貴重な資料とされ、瀬戸内市の重要文化財に指定されています。
17片山日子神社本殿
北側に立派な本殿があり、その周囲には境内社の木野山神社と稲荷神社がありました。引き返し、甲山北東小ピーク<写真10>の東麓の墓地の入口にある池田ノ奥古墳を探しましたが、わかりませんでした。
北側に立派な本殿があり、その周囲には境内社の木野山神社と稲荷神社がありました。引き返し、甲山北東小ピーク<写真10>の東麓の墓地の入口にある池田ノ奥古墳を探しましたが、わかりませんでした。
20木鍋八幡宮本殿&天満宮
神饌幣帛料(しんせんへいはくりょう)供進神社として、明治から終戦に至るまで勅令に基づき県令をもって県知事から、祈年祭、新嘗祭、例祭に神饌幣帛料を供進された神社です。 境内社に天満宮等も鎮座していました。
神饌幣帛料(しんせんへいはくりょう)供進神社として、明治から終戦に至るまで勅令に基づき県令をもって県知事から、祈年祭、新嘗祭、例祭に神饌幣帛料を供進された神社です。 境内社に天満宮等も鎮座していました。
22北池3号墳
邑久(おく)町北池集落の一角にありました。民家のすぐ近くでしたので、一瞬、石垣の一部に見えました。この北東に荒神乢1号墳があるらしいので、ヤブに入って探してみましたが、わかりませんでした。
邑久(おく)町北池集落の一角にありました。民家のすぐ近くでしたので、一瞬、石垣の一部に見えました。この北東に荒神乢1号墳があるらしいので、ヤブに入って探してみましたが、わかりませんでした。
装備
個人装備 |
長袖シャツ
ズボン
靴下(厚手)
防寒具
手袋(防水加工)
軍手
雨具
スパッツ
日よけ帽子とフード
雨用帽子
登山靴(防水加工)
靴ひも予備
アタックザック
ザックカバー
地形図
コンパス
ファスナー付クリアーファイル
筆記用具
携帯
時計(防水)
タオル
カメラ
飲料水(スポドリ&茶)
水筒(保温)
非常食(栄養補助食品)
スマホ(山使用可能)
eTrex30(GPSナビゲーター)
|
---|
感想
今回の山はほとんど情報のない山でした。特に甲山(こうやま)は周辺の山から眺めると円錐形の綺麗な山容でしたので、いつかは訪れようと考えていた山でしたが、登山道があるのかないのかさえもはっきりとしないままアプローチをしました。たまたま登る前にお会いした地元の方が登った経験があるとのことでしたので、状況を確認した上で、予定通り南からアプローチをしました。
神社、古墳、巨石、野鳥が途絶えることのない山域でした。それらのスポットを示す標識等がほとんどないので、まるで宝探しのような冒険的な山行となりました。頼りになったのは、コンパスと地形図と現在位置や史跡等の発見場所を示すGPSでした。そのコンパスもヤブコギの最中に落とすというハプニングがありました。甲山の最後の急傾斜の下りでトゲ攻撃に気を取られているうちに、落としたことさえ全く気が付かない状況でした。幸い、コンパスは連れも持っており、GPSナビや時計にもコンパス機能がついているので、大丈夫でした。登山者が少ない山ほどこうした機器が必携であることを改めて感じさせられました。
今回訪問した山の周囲には桂山、高山、高砂山など、おもしろそうな山がいくつかあります。しかも、周辺の集落の地名が“土師(はじ)”や“須恵”など、歴史的重要な史跡がたくさんありそうで期待が膨らみます。ぜひ再訪したいものです。
お気に入りした人
人
拍手で応援
拍手した人
拍手
訪問者数:4991人
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する