9月11日深夜に標記が緊急度1で質問箱に投稿されました。
以下はそのお兄様のSNS上の文章です。
昨日の昼から家族と富山の警察署にて遺体の確認に行ってまいりました。
警察の方の話では、恐らく剣岳に登頂したあと、夕暮れの暗さと霧による視界不良の中、経路を間違えて崖の方に進み滑落したのではないかとのことでした。
妹の遺体は150m滑落したことで岩場に身体中を打ちつけており損傷が激しく、顔は殆ど原型を留めておらず、包帯でぐるぐる巻きにされ体も毛布で隠され確認出来ない状況でした。
唯一見ることのできた肩の部分には普通なら付かない場所に痣があり壮絶な落下だったのではないかと思います。
顔の確認が取れないため、身元の確認はDNA検査をする事になりました。
しかし一緒に発見された遺留品には見慣れたスマホのケースや鞄、靴など遺体が妹であることを証明するような物が多数ありました。
その中には防水処置のなされた防寒着や着替え、雨合羽などもあり私の想像よりはちゃんと準備してたのかなと思います。
しかし遺留品は全部発見されたわけではありませんが非常用のビバークやヘッドライト、コンパス、紙地図などは含まれておらず、装備が不足していたことは事実です。
また、妹は以前から一人で遠くに出掛ける事が多く、ボリビアに海外旅行に行ったとき、箱根から音信不通で帰ったときなどの際には、毎回、無計画すぎる、女一人では危険、今回は運が良かっただけ、世の中の怖さを知らなすぎる、そう言い聞かせたつもりだったのですが、もっと強く言い聞かせておけば今回のような事にはならなかったのではないかと兄である私も反省と後悔をしております。
私は妹が山に行くことを知らず、知ったのが9月10日の親からの連絡でありますが、それより前に知ることが出来れば、そんな事も考えてしまいます。
ただ警察の方にも言われましたが、遺体が早期に見つかったこと、遺体に暴行や物が盗まれた形跡がなく事件性はないこと、恐らく即死であり苦しまなかったことは救いであると考えています。
親から連絡を受けてからずっと最悪の場合を覚悟していましたが、低体温や飢え、水分不足などで苦しむことなく本人も何が起こったか分からぬうちに終わったことは良かったと考えています。
今回の事故は無計画さと準備不足に起因するものであります。
どうか今回の妹の事故でこのような悲惨な最期を迎える方が居なくなるよう、私や私達家族と同じ思いをする方が居なくなるよう、妹の事故が何かの教訓になることが今の私の願いです。
登山の魅力もありますが、命あってのものです。
登山が趣味の方、これから登山される方、今登山中の方、どうか無事家族のもとへ戻られる様願っております。
このツイートについてはご協力いただきご心配をおかけした皆様にお知らせするためハッシュタグはつけさせてください。
最後になりますが、この場にて今回Twitterやフェイスブックなど各種SNSにてご協力を頂き重ねて御礼申し上げます。
私も同じような年齢の時に正月に屏風〜前穂〜滝谷〜北鎌連続登攀の計画を立て、単独で北穂小屋に荷揚げに出かけました。
11月末のことです。
荷揚げが調子よければそのまま北鎌を下る予定で懸垂の道具も持参しました。
荷物の総重量は50キロを裕に超えていたと思います。
初日は釜トンから横尾の避難小屋まででしたがありえない疲労でした。
荷物を降ろすと宇宙遊泳。
翌日は涸澤小屋の冬季小屋まで。
この段階で北鎌を抜けることは諦め、荷揚げ品だけを持って北穂小屋に向かいました。
北穂澤は非常に不安定に見えたので夏道を選択しました。
あの出だしのジェードル状のスラブが非常に怖かったのを覚えています。
新雪のラッセルにあえぎながらテント場に着いたときは夜でした。
ラッセルを避けたく岩稜沿いに進みました。
気が付くと目の前に北穂小屋が見えます。
いつ滝谷の下降点を越えたのだろうと不思議でした。
実際は松濤岩のてっぺんに立っていたのです。
50センチぐらいの段差を飛び降りると右足に激痛が走り、空中に体が倒れこみました。
岩が近づいてきて顔面から岩に激突して火花が散って死んだと思いました。
(この辺はわたくしの日記「冬の花火」に記述)
結果的には今こうして生きています。
彼女は死にました。
何が違うのでしょうか。
私は連続登攀の計画から始まって、暗くなっても登り続け、ルートを間違えて松濤岩のてっぺんにいることも気が付かず、重い荷物を背負って岩稜を飛び降りたこともすべて、ありえない無謀です。
私は生きて彼女は死にました。
あのようなどありません
勉強になりました。
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