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ちなみに先日の日記で紹介した富士山地質図は、これより更に詳しい時代区分の別図です。
https://gbank.gsj.jp/geonavi/geonavi.php
右にある「背景地図」を一番上の地理院地図にすると、地質図の背景にうっすらと地形図が見えます。
上メニューの「凡例表示」をクリックして地質図の当該のところでクリックすると凡例がポップアップで出ます。夢の地質図です。
糸静線とは新旧の地層の断層です。境はこの地域では2000万年前くらいのようです。
鳳凰山から辻山、夜叉神のあたりでは黄色っぽい22、23、60、1050が新しいほうです。
真っ赤な1272は花崗岩。深成岩といって地層が堆積して出来たものではないので新旧の話と別です。
白根三山からその南にかけての大井川左岸山脈の
薄緑の470、肌色の510、薄い黄土色の490が古い方です
糸魚川静岡構造線とはるか東の柏崎千葉を結ぶ構造線との二本の間の広い範囲をフォッサマグナ(溝/大きい・の意味)と言います。恐竜がいたような古い時代に海底に堆積してできた古い岩石で出来ているのが、この大溝の両外側。2000万年前以降の、恐竜のいない時代の堆積岩が、この大溝の内側です。だから糸魚川静岡構造線では西側が古い地層、東側が新しい地層です。
糸静線は、花崗岩の赤いところの南の夜叉神峠を通って早川流域へ下りていき奈良田の下流、西山温泉くらいから早川に沿って下り、新倉には有名なよく見 える露頭があるようです。そのまま塩島から左岸側の山を登り始め薬袋(みない)で早川を南に渡り七面山と身延山の間の谷を南下していきます。新も旧も古い堆積岩ですから見た目でぱっと分かるわけではありません。見ただけでは分からないこの断層を明治初期に日本にきて数年山歩きをしたナウマン博士はなぜ看破できたのか。それは山の山頂に登って、見渡したからでしょう。地質構造は地形の構造に強い影響を及ぼすことを知っていたのでしょうか。
少し分かりにくいのですが、地層年代というのは1億年前にその場所が海の底だったわけではなく、そこにある岩石が出来上がったのが1億年前の海の底だったことを示すもので、水平的にも垂直的にも、空間的にその場所の物ではありません。動的に場所を変えています。
小さなまだら模様の一つ一つ、境界線の引き様ひとつに、調査した地質屋の汗と涙がしみ込んでいます。通常、登山では行かないような崖にも踏み込んで、どこに境界があるのか調べるのです。
yoneyamaさん、
>糸魚川静岡構造線とはるか東の柏崎千葉を結ぶ構造線との二本の間の広い範囲をフォッサマグナ(溝/大きい・の意味)と言います。
2つの構造線の間のことだったんですか! 私が大昔に習った話から、ちょっと拡張してますね。
細い1筋の断層帯と思ってました。
>恐竜がいたような古い時代に海底に堆積してできた古い岩石で出来ているのが、この大溝の両外側。2000万年前以降の、恐竜のいない時代の堆積岩が、この大溝の内側です。だから糸魚川静岡構造線では西側が古い地層、東側が新しい地層です。
より広い視野でとらえ直すと、本州中部の大構造ということになりますね。
地鉱の学生は山好き、地図好きの人が多かったです。なかには、当時の5万図をまったく折り目も入れずに、ぴったり収まる箱に重ねて入れてた、友人もいました。
yoneyamaさんがおられたころまで、秋山さんという助教授がいて、私自身はまるで畑ちがいでしたが、卒業後、見市川で釣って燻製したイワナを持って、話(年代は地球のずっと初期の地質年代のころのこと)を聞きにいったことがありました。
そうなのです。フォッサマグナは面(広い溝)、糸静線は線なんですよ、言葉の意味からも。
地質の通説は数十年で変わります。というか、数十年前も、すっきりするような分かり易い説明はありませんでした。たくさんの状況証拠から、その時点で一番説明し易い仮説はこれだろう、というのが主流になっているわけで。科学は全部そうですけれどね。
やればやるほど、調べれば調べるほど、分かり易かった話は、「ああ、説明し易い仮説の一つに過ぎなかったんだ・・」と言う事が分かる。それは歴史解釈や、政治的主張に関しても同じで、分かり易い話に抱きついてはいけないなあと思います。
>まったく折り目も入れず
今となっては、折り目の無い当時の地形図、林道もダムもいろいろ変わって、ますます捨てられない骨董品になっていますね。
秋山先生、層位学、古生物学の先生だったと思います。僕は火成岩だったので専門は口座違いだったのですが。
yoneyamaさんに触発されて私も同じようなことを勉強していたところでした。大変参考になります。
ところで、「見ただけでは分からないこの断層を明治初期に日本にきて数年山歩きをしたナウマン博士はなぜ看破できたのか。」とありますが、ナウマン博士はフォッサマグナを発見(提唱)したのであって、断層(糸静線)を見つけたのではないのではありませんか?
触発されたのはこちらのほうでした。
ナウマンがとらえた断層は、山の上から見れば目で見て推察できる通り、糸魚川〜静岡に走る、山脈と細長い谷の筋だったと思います。現代まで100年以上の地質調査で明らかになった地面内部の広い構造の情報によって、フォッサマグナの意味が大きく変わったのですね。だから、ナウマンが提唱したフォッサマグナは、糸静線と直江津〜平塚ラインという、今より狭いものだったようです。岩そのものは見ただけでは簡単に違いの分からないものですが、何かが違うのは、大きな地形を見れば分かる、ということなのかと思っています。
それにしても、衛星写真や航空機から見れば気がつくけど、南アの山頂に登っても気がつくものなんだなあというのが感慨深いです。
自分にはあまり判りませんが、前回の富士山といい、この構造線といい、断層や構造線が好きで地質学が趣味のタモリさんが泣いて喜びそうな資料ですね。
タモリさん地質好きですか。知らなんだです。まあ〜地味な世界ですよね。でも、ここでふれた内容、ほとんどは高校地学のレベルなんですよ。
とはいえ、高校の数学や理科はかなり高度ですね。ほとんどの大人はかないませんね。
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