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甲府城には立派な石垣が残っていて、天守はあったとしても豊臣→徳川に政権が移った直後に失ったほど、古い時代のものです。図面も写真もありません。全国の城郭の再建はいま盛んですが、図面や写真が残っていないものに対しては文化庁が認めないというきまりだったかな。だから無理だろうなあと思っていました。
今回は、図面や写真は無いけど、同時代の城郭研究の成果で、限りなくそれらしいものを作る事はできる、という論法のようです。確かに、50年ほど前にあちこちにできたテキトーなコンクリートのお城に比べれば、今はもっとまともなものも出来るでしょう。これまで日本は外国の町に憧れて、調和の無い建物を建て、伝統的な町並みを壊してきましたから、他に無い、ここだけの歴史あるものに忠実な建物を作ることには共感します。
しかし、古城を真面目に鑑賞したい考古学派の人にとっては、まやかしの物なら無い方がマシですから、これに反対の表明もなされています。その気持ちも深く共感できます。
そして、お金のかかる事ですから、お金になるかもしれない、という人の助けを借りなければいけない面もあります。清濁あわせて人望のある人が現れると良いのですが。
甲府城天守再建派の学術的な論考は、広島大の三浦正幸教授の講演資料がよくまとまっています。それによれば甲府城は関東では江戸城に次ぐ規模、全国で6番の、かなり重要な城だったようです。明治に半分近く城郭を壊し、駅と県庁を作りましたが、その分含めて確かに規模は大きいです。
http://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=1&ved=0CCkQFjAA&url=http%3A%2F%2Fwww.yafo.or.jp%2Fself%2Fself7_15memorial%2F2-2_jokamachi_kouen.pdf&ei=X0FHU8nkJoTakAXg_YCwCg&usg=AFQjCNFFkD9CXZKseUfl3uqLUtDtaHxRVA&sig2=-CxhA6_wsmG3DeeHMfV17A&bvm=bv.64542518,d.dGI
この20年くらいで、鉄(くろがね)門、稲荷櫓、山手渡櫓門など、周辺の、明治期まで残っていた門や櫓など証拠のあるものはこつこつと復元再建しています。元城郭内に昭和期を通し何十年も建て増ししてきたボロい県庁庁舎や県警庁舎も昨年ピッカピカの新庁舎を建て統合整備して不要な建造物を整理しています。埋めた堀の上に作った建物も老朽化し解体、その後はどうするのかな。松本城みたいに堀、復活させるかな?それなりに時間をかけて、昭和的に猥雑な公園だった甲府城は復元されています。
でも、市民からは、あれは武田信玄の城じゃないからと冷ややかな声を聞きます。案外その辺が要因で、「秋までに署名10万」は頓挫するかもしれません。
カメラマン的には、天守台から見る富士山に、ちょうど電電公社の高い鉄塔がかぶって、凄く邪魔です。あれはがっかりです。いま満開の韮崎の王仁塚の櫻の横の鉄塔も。
甲府城天守からは、富士山、南アルプス、七面山、御坂山地、それに雁ヶ腹摺山あたりまでかな、よく見えます。八ヶ岳と奥秩父は、裏山の陰で見えないです。甲府に来た始めの頃、よくここに登って、御坂の山の同定をしました。長くいられる良い場所です。
天守閣のある風景は郷にとって百利あって一害なしと思います。単純に観光資源、教育資料としての意義にとどまらない物に成り得ますので。近世日本人はお城好きなんですから、ぜひ実現してほしい企画です。
できたら復元は、土蔵付きで下見板張り、鉄砲狭間を多く開けた、たくましい姿でお願いしたいです。
じんさん
そうですよね。現存天守閣だって何度も建て直して来たんだし。フェイクの名古屋城だって、無かったら寂しかった。
観光のため集客のためと、言い訳するからややこしいい。お城のある町に住みたいから建てる、でいいですよね。
甲府駅の中からも石垣が見えるので、駅ビル的な駅城はどうですか
あらげんさん
甲府駅は甲府城の御殿郭に作っちゃっています。ホームで乗り降りしているところが昔のお殿様や甲府勤番のいたところです。朝敵だからって、恨みがましい仕打ちですよね。
あの石垣、関ヶ原前の物としては現存する中では五本の指に入る立派な代物だそうですよ。
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