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大西さんは64歳、私の小学校中学校高校の4年上の先輩に当たる。10年ほど前から高校生のイグルー講習会にも招かれた。いまどき、雪山登山をする高校はここだけだ。数年前栃木県の高校生が遭難死した那須の雪崩事故のあと、何度も栃木県に行って、事故の後の支援や講演などもしていた。80年代に比べれば、力のある引率教員が不足していて高校生の雪山登山はどうしてもいま難しいのだ。そのテーマで何度かTV取材もした。
今年は勤めていた大町岳陽高校を定年退職で、同じく定年退職の私を大西さんはスパンティーク山行に誘ってくれた。この10年くらいで登山愛好家になった元生徒の若い二人との4人パーティーで、初めての七千m峰、登頂成功直後の死だった。
大西さんは誰にでも声をかけて目を配る、人の話をよく聞く。実行力もあって何度も海外山行を企画し国内の山にでかけた。先生とは、教えるのが上手い人ではない。生徒が憧れ、羨ましくなるような、楽しそうに生きている大人でなくては、学びの力は起動しないと思う。大西さんは理想の先生だった。お別れ会には40年間の教え子、県内外の山岳界の顔ぶれ、懐かしい人にも何人も会った。とても交流の広い人だった。
大西さんに捧げる、若い人たちの言葉が良かった。
「先生は、僕が一番苦しかったときに、俺がついているぞ、といってくれました。忘れません。僕は、まだまだです。」
「山ばかりで家族は大変でしょうとよく言われますが、そんなことはありませんでした。家でもみんなとの時間を心から楽しむ、本当に良いお父さんでした。」
忘れられないので書いておきたい。
死別はいつ来るか誰にもわからない。すべての人と、いつ死に別れても良いように付き合うだけだ。私も共に登りに行っていたら何かが変わって事故はなかったかもしれないし、あるいは私自身が遭難死していたかもしれない。考えても栓のないことだ。
山の愛好家には、沢山の人を魅力で引き付ける中心になるような人が時々突然さっといなくなってしまうことがあると思う。
でも人生も幸福も、長短ではないと思う。大西さんの生涯は良い人生だったな、と思う。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1379316.html
彼の「若い人たちに夢を与えたい」という願いが、若い人たちへ力を与えていたことがよく示されていたお別れの会でした。
大西さんとは知り合ってからそれほど経っていませんでしたが、県のスポーツクライミングチームの方でとてもお世話になり、私の相談事に対しても耳を傾けてくださり、ちょっとした導きもいただきました。
私も、微力ながら次世代の力になりたいという気持ちを、大西さんから少しでも受け継いでいこうと決意を新たにしました。
大西さんの死は、登山界にとって大きな損失だったと思いますが、彼の遺志は多くの人々が受け継いでいくのでしょう。
大西さんらしく、集まった人には様々な人が居て、でも現場で偶然会えた人もいれば、あとから聞いて、居たんですか!という人に、会うはずなのに見つからなかった人に、絶対どこかの山で縁があった人に・・・。なんとも人生の縮図といいますか。元生徒の人たちも同級会のような楽しい感じになっていました。葬儀の場というのは、残った人のためにあるのだと思いました。
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