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・鶏ササミ肉をラップで挟んですりこぎ棒でトントン優しく叩いて、幅三倍、厚さ4分の1くらいに伸ばす。塩胡椒少し。
・そこにフライドポテト一本分くらいに切ったバターを置いてディルの葉ひとちぎりも添えて巻く。隙間をあけないようぴちっと包む。
・溶き卵とパン粉でコロモにして(2回繰り返した)揚げる。
・パン粉にはターメリックを混ぜて黄色くしていた。
講習ではボルシチ(ボルシュ)も作った。ビーツ(бурякブリャーク)が日本では手に入らないし、肉の煮込みはあまりできないのでこれはパス。
鶏ささみは行きつけの食料品店で大袋で買うので、うちは塩麹仕込み済の鶏ささみを常食しています。教わったレシピは、バター多すぎと感じたので、大豆二粒分くらいにしておきました。ディルの生野菜が無いので、ニラを2センチくらいに切って真ん中に並べました。揚げる油はもったいないので底面積の狭いだし巻き卵焼きパンに深さ1センチにして半身浴で揚げました。
いやあ、美味しい。家族も満足。これがディルならキーウ風なんだな。
毎日ロシア語テキストを暗証して練習しているが、この場では使わない。ウクライナ語とはかなり違うこともわかってきた。英語とオランダ語くらいの距離感とのこと。「こんにちは」が「ドブリーデン」で、これはズバリ、ポーランド語ではないですか。いやチェコ語か。江戸時代はじめころまでは、ウクライナはポーランド・リトアニア共和国の影響のほうが強くて、ロシア的になったのはその後だ。ロシアの一部じゃないか、という意識はソヴィエト連邦時代育ち世代の思い込みが大きいと思う。とはいえ植民政策でロシア人はどんどんと連綿と辺縁地帯に送り込まれてきた。カレリアも、サハリンも、マガダンも、カリーニングラードも。それはもう、ずっとそうしてきた。
ありがとうを教わった。
Дякую (ジャークィユ)
ロシア語と全然違う。
某コンビニエンスストアで、「チキンキエフ」を大々的に売り出していました。幟旗も出していました。今般の情勢下でどうしているやら心配で仕方ありません。チキンは英語、キエフはロシア寄りの表記。
現地での呼び名が一番正しい。そう思うと食べてから考えた方が良いのかと思いました。文化は交わらないと全く分からない。
川乗山の麓で、インド人のパーティーに道案内をしたとき、片言の英語でしたが、話してみないと何にも解らん、伝わらん、と感じました。接点のない国は単純に遠い。
地勢的に見て、北の国は昔からの仮想敵国。旧ソビエトの影は、昭和世代には、いまだに色濃く見えます。
ペレストロイカ以降は、以前とは違うと言ったって、避難してきている同年配のやや老婆たちの青春時代は、やっぱりコムソモール(社会主義青年団)のハイキングクラブだったかもしれないなんて思います。我ら世代にとってソ連は強すぎますよ。
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