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パラフィン紙は、糸電話で使うときブーブー言うから通称ブーブー紙。A1サイズで一枚60圓。6当分すると大体のサイズの本を包める。
◎表紙カバーだけを包んで本にかぶせる
◎表紙カバーごと本も包んでかぶせる。
◎表紙カバー無いものは、本に直接カバーをかぶせる。
◎箱カバーに包んでかぶせる。
の4パターンで、10数冊を包むうち、慣れてきた。書棚が古書店みたいになってきた。
前の持ち主(戦前入部の山岳部のOB)は1970年代〜80年代に神田や札幌の古書店で集めたみたいだ。小さく、その日付や値段が鉛筆で書いてある。かなり高額なものもある。
日米開戦を境に、紙の質がお粗末になる。だが、戦前の本は、樺太、台湾、カムチャツカ、中央アジアと、情熱を持って探検している。国内モノも、今の同じ山を知る身として、その違いがすごく面白い。田部重治、藤木九三、冠松次郎、あちこちの部報。北大山岳部の戦前のウラ部報、「カール」もある。全て手書きガリ版刷りを綴じたもの7冊。北千島探訪の記録など。小さな写真も貼ってある。みな、とうに死んでしまっているけれど、若い情熱がむんむん伝わる。繰り上げ卒業直後に軍医として応召されたOBの、「或る登攀家の生涯」(カール・メルクル著)には第5分隊・今村と書いてあった。戦地に持って行っていたのだ。
1950年代の本はカラー写真の質が低くてかえって味わい深い。8000m峰、ヒマラヤ登頂記など朋文堂のエーデルワイスシリーズなどはとても美しい表紙だ。
実家近くのサビレ商店街の生まれる前からある文具店で、ブーブー紙を買った。その包装紙が、昔と変わらず懐かしく思わず店主と会話する。この絵を描いたのは?「(近所の)信大付属中学で美術の先生をしていたタテイシキヨシさんという人に、親父が頼んで描いてもらったものです。」とのこと。子供の頃から見ていたデザインで、とても懐かしい。
立石清は明治初期の開智学校設計者の大工兼建築家、立石清重の曾孫だってこと、ネットで知る。
パラフィン紙、素敵ですね。
古本屋でパラフィン紙に包まれた本を買う度に、ちょっと大人になった気分がしたもたものです。
よねやまさんのお家は、宝の山!
パラフィン紙を被せた本は、永遠にぞんざいに扱われません。本はありふれすぎて、使い捨てられるものも多いのですが、長い時間生きながらえた本は、次の読者にわたる前に、一時的にウチに居るのだとおもいます。
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