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何れも主材質は厚手の木綿帆布でカーキ色、補強部材等に牛革と金属が使用され、ナイロンなど化学繊維やプラスチック類は全く使用されておりませんでした。
キスリングには大容量から中容量まで幾つかのサイズがあり、大型のものは左右ポケットの片側だけで最近の小型デイパック程の容量がありました。
サブザックはポケット無し雨蓋無しが主流で、左右に小さなポケットの付いたものもありましたが、登攀用には雨蓋が付いてもポケットの無いものが多用されました。
1970年代に入ると、ナイロン布とプラスチックが使われた縦長デザインのザックが主力へと次第に変遷します。
それまで無かったウエストベルトの付いたザックが出現します。
国産ばかりでなく欧米ブランドを含めて新型の縦長ザックが流行しました。
欧米ブランドのミレー、シュイナード、カリマーなどに人気がありました。
日本の登山風俗も1970年代も中頃まではヨーロピアン アルピニズムの影響が色濃くありましたが、後半から次第にアメリカン アルピニズムの影響が現れ始めます。
そしてキスリングなど木綿帆布製のザックが次第に姿を消してゆきました。
1980年代に入ると登山装束はすっかりアメリカン風に塗り替えられ、ニッカーズボンが消え、チロルハットとハンチング帽はバンダナ鉢巻に変わります。
市場の登山道具とウェアー類も1970年代中頃までの海外ブランドが欧州品ばかりだったのに、以後次第に米国ブランドが目立つようになります。
新しい登山道具が次々に出現し、道具の呼び名も他の山岳用語も独・仏語から次第に英語に交代してゆきました。
日本の登山風俗史上、1970年代とそれに続く数年は色々な意味で変遷の時代でした。
縦走、登攀、幕営と一体的に行われていた登山の手段が細分化し、ワンダーフォーゲル、クライミング、キャンプ、トレイルランなど別ジャンルとしてレジャー スポーツ化していきます。
大昔、涸沢の岳会キャンプで高熱下痢の急病人が出たとき、徳沢(横尾だったかも?)の医大の夏期臨時診療所に伝令に走らされたことがありました。
ナップザックに水筒だけ入れて必死に走りましたが、今にして思えばそれが後年のトレイルランの原型なのですね。
クライミングだけを繰り返し行うのは、今ではジャンルの一つですが昔は訓練の場合だけでした。
登山が細分化し、それぞれが進化して多くの人々に楽しまれている現況は喜ばしく、そして感慨無量でもあります。
ミレーは、現在の市場でも欧州ブランドを代表するザックです。
1970年代前半末にミレーのアタックザックを使い始め、後半末にシュイナードのアタックザックに交代しました。
今、シュイナードは新品市場から消え、アンティーク品として中古市場に僅かに残存するだけです。
*ミレー モデル ルネ・デメゾン[MILLET MODELE RENE DESMAISON]
http://yamareco.info/modules/diary/upimg/8042/45762091d04e032f968fd7037299aa30.JPG
*シュイナード ドラゴン #CH-118[chouinard dragon #CH-118]
http://yamareco.info/modules/diary/upimg/8042/3094dbe1313bfb355fc3b64be754e702.JPG
ルネ・デメゾンはフランスの著名登山家でヨーロピアン アルピニズムの代表的存在、イヴォン・シュイナードは米国の天才登山家、現パタゴニアの創業者でアメリカン アルピニズムの旗手です。
今は消えた幻のザック、シュイナードは米国ブランドでしたから、私自身の登山風俗も1980年代初頭までには色々とアメリカン アルピニズムの影響を受け、変化していたことになります。
ニッカーズボンを脱ぎ捨て、ザックも着衣も帽子もヨセミテ風に変わりましたが、バンダナ鉢巻だけは締めませんでした。
中年過ぎの冴えない親父には、バンダナ鉢巻きが全く似合わなかったのです。ainakaren
*ミレー デメゾン モデル関連日記 http://www.yamareco.com/modules/diary/8042-detail-29531
*シュイナード ドラゴン関連日記 http://www.yamareco.com/modules/diary/8042-detail-22285
ainakaren さん、はじめまして!
いやー、懐かしいですね。
私が登山を始めたころは、ザックはミレーというのが憧れでしたが、高校生が担ぐにはお値段が高く、結局地元の山道具店オリジナルを使っていました。
シュイナード ドラゴンは大学生の頃に愛用しました。。。
Cross-hillさん、こんにちは。
コメント深謝です。
高校時代にミレーに憧れ、大学時代にシュイナードドラゴンを愛用とのこと、
それを伺えば、ご年齢が推定できますね。
因みに私は後期高齢者で、今では里山散歩を楽しみにしています。
シュイナードは重いですが堅牢で、今でもメインに使用しています。ren
http://www.yamareco.com/modules/diary/8042-detail-22285
おはようございます、レンさん。
高校生の時、小づかいを貯めて初めてミレーの小さなアタックザックを買った時はうれしかったのを覚えています。大きいザックは高くて買えませんでした。Mマークが誇らしげで、Fabrique au France(だったかな?)と書かれてあったのも、いかにも舶来品(死後?)を持っているんだと嬉しかったものです。当時はミレー、ラフマ、カリマーすべて自国で作っていましたね。今はブランドだけで作っているは中国や東南アジアがほとんどみたいですね。安価に手に入ることはいいことかもしれませんが、どのブランドを買っても作ってる所が自国ではなく別の国では寂しい気がします。
ankotaさん、こんにちは。
コメント深謝です。
当時、1970年代には日本の人件費が安く、日本より人件費の高い米国など一部の欧米諸国の下請け生産やOEM供給を日本がしていました。
現在の中国やベトナムと同じ立場ですね。
当時は必ずしも原産国表示をしませんから、気付かずに日本製造の海外有名ブランドを買った人も多いのではと思います。
特にザックやバッグなどの袋物の品質は日本製が世界最高だったのですね。
私は1970年代に舶来のミレーを購入しましたが高かったですね。
5年程でプラスチックの加水分解で引退させ、シュイナードに交代しました。ren
そのミレーザックの関連日記です。
http://www.yamareco.com/modules/diary/8042-detail-29531
面白いお話しありがとうごさいました。
あのー…
ヨセミテ?ってなんでしょか
haruteiさん、こんにちは。
コメント深謝です。
ヨセミテやロッキーは米国の山岳名所で日本で言えば南・北アルプスでしょうか。
独・仏・スイスアルプスの伝統的登山から、新しい米国の登山の影響で日本の登山風俗が1970年代後半から変化します。
登山のための『手段』が細分化して『目的』に変化しました。
そして登山装束も道具も変化し、その呼び名も独・仏語から英語に変わります。
日本ではバックパッキングとフリークライミングが流行し、暖かい季節にタンクトップにショートパンツの若者が長髪にバンダナ鉢巻を締め、大きな荷物を背負って野山を放浪したり、チョーク袋を腰にぶら下げて河原の大岩にしがみついたりするのが大流行しました。
私の山行記録の登山装束の写真では1975年以後がヨセミテ〔米国〕風になります。
想像して クスクスと笑ってしまうハルは笑いだすと止まらないです。
似た格好の人が岩にへばりついていたら、笑って転落すると思います。
愉しいお答えありがとうございました。
疲れが飛んじゃった♪
料理でも「プロバンス風」とか「西海岸の風」とか書かれても
イマイチ(´▽`)???
なハルでした。
笑って頂けて幸いでした。
ainakaren さん、はじめまして!
キスリングとは、懐かしいですね。
私はカニ族でしたね。
真冬に東北一周を行い、キスリングがカチ
ンコチンになった懐かしい思い出です。
夏はアタックザックと背負子ですね。
ジャガイモとタマネギを運ばされました。
ナップザックに水筒、トレイルランの原型
ですね(これもやったなぁー)。
今年は渡米時期に予約が取れず孫達とヨセ
ミテでのキャンプはできませんでしたが、
今年は、ほんの一部ですがジョン・ミューア
・トレイルを歩いてみました。
ヨセミテからマウントホィットニーまで、
3500km、いつか達成してみたいですね。
バンダナ鉢巻きが似合わなかった一人です。
strasseさん、こんにちは。
コメント深謝です。
トレランも2種類あって昔はトレーニング ランのことでしたが、現在はトレイル ランニングのことですね。
昔はザイルもザックもテントも冬山では往生しましたね。
麻も木綿も皮も、一旦濡れると氷結してコチコチになりました。
ナイロンとプラスチックができて冬山は本当に楽になりましたね。
バンダナ鉢巻の流行は70年代中ごろから80年代初頭のころだったでしょうか。
当時、竹田鉄矢さんも若者で長髪にバンダナ鉢巻締めて「幸福の黄色いハンカチ」などの映画に出ていました。
バックパッキングとフリークライミングが大流行して、故 長谷川恒夫さんも長髪バンダナ姿でフリークライミングしてましたね。
現在65歳以下の人なら、当時のバンダナ鉢巻も似合いましたが、それより干支一回り以上も年長の私には土台無理でしたね。
同年輩に近かった故 小西政継さんがバンダナしているのは見たことありませんでしたよ。
男所帯の同志会の連中はバンカラ無骨で、皆手ぬぐいかタオルを被ったり巻いたりしてました(同志会とは山学同志会・1950年代は斉藤さんが代表・山を学ぶ同志の会の意・山学であり山岳ではない)。
私もヨセミテに行ってみたかったです。
私は海外の山を歩いたことがありませんが、今後もその機会は無いと思います。
お若いうちに是非ロングトレイルを、心ゆくまで御体験ください。ainakaren
初めましてmasaike55と申します。シュイナード ドラゴンの記事を読み涙が出るほど嬉しくコメント致しました。
金具が汗で腐食し崩壊してはその都度、針金で修繕しながら現役で使っております。他のザックのペラペラナイロン感がどうも好きになれずゴツくて重いですがしっかりした作りが大好きです。
底部の収納部分が分厚い合成レザーで出来ており少々の事では破れなく大容量。
アンコの詰まった鯛焼きのようにウエストベルトの先の方まで収納できレンズフィルターや35mmフィルムを大量に入れていました。(古い!)今は小物を入れています。すぐに取り出せる位置にファスナあるのも最高です。
インナーフレームは背筋矯正に役立ち、赤い背中パッドはいいテーブルになります。分厚い防水コートは全部剥がれて防水スプレー喰いになりましたが生地が厚いので少々の雨では中のモノが濡れることはありません。っと商品広告になってしまった!
廃版になってしまったのは残念です。知りませんでした。知って尚、愛着が湧いてきました。
軽そうなカラフルで新品同様のザックを担いでる登山者の方たちを見ると新しい物が欲しくなるときもありますが結局、こいつを使ってしまうんだろなと最後に納得。
子供が小さかった頃は中に入れて眠らせながら山に登ったものです。着脱可能な大きなサイドポケットは外せばアタックになり付ければキスリングになり。
ミレーのザックは欲しかったのですがシュイナード ドラゴンに代わるほどの機能性がなく登山初心者の妻にプレゼントしました。本人はミレーのブランド価値はわかっていませんが。
masaike55さん、こんにちは。
コメント深謝です。
シュイナード ドラゴンは、幻のザックとして今でも人気があるらしく、オークションで高値で落札されていますね。
ナイロン布も防水コートも皮革も分厚く、バックルなどの部品が全て金属製ですから実に堅牢です。
最新のザックに比べると相当重量がありますが、それでもデザインと使い勝手の良さが人気の理由の様ですね。
今、私の他にも愛用者が居られることは、嬉しい限りです。
大切にお使い下さい。ainakaren
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