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京浜東北線が乗り入れ一都二県に接続しているが、根岸線は専ら横浜市内南部が路線である。
大船駅には15両編成の東海道線、横須賀線が停車するのでプラットホームが長大であるが、根岸線のホームだけが短い。
それには東海道線、横須賀線の車両編成台数が増えるに従い、鎌倉市内側にホームを延長してきた経緯があった。
その結果、大船駅の長大なホームは前後半分づつ、横浜市と鎌倉市に跨がっているのである。
故、ホームの横浜寄り改札口を出れば横浜市栄区笠間町、鎌倉寄り改札口を出れば鎌倉市大船一丁目である。
どこの駅前にも、大衆的な駅前食堂が付きものである。
昔の国鉄中央線 浅川駅前の”浅川食堂”や、国鉄青梅線 氷川駅前の”氷川サービスステーション”の山帰り晩飯・呑談会を懐かしく想い出す。
JR高尾駅、JR奥多摩駅に駅名が変更されてしまったが、駅前食堂の名前は今もそのまま残されているのである。
誰でも住み慣れた郷土の地名や駅名が変更されてしまうのは、寂しいのだ。
大船駅前には、駅名をそのまま屋号にした食堂はない。
地元界隈で、知る人ぞ知る駅前食堂が”観音食堂”である。
大船観音とは線路の反対側の駅前、大船1丁目にある。
隣接した小さな鮮魚店が経営する活魚料理店であるが、大衆酒場でもある。
間口が小さく閑散としているが、入ってみれば中は意外に広く何時も客で混み合っている。
観光客はまず入店しない地元常連客の店だ。
椅子のテーブル席、お座敷席、カウンター席があるが、いつも席を選べないほど客が多い。
食事を兼ねた呑談会をする、長っ尻の客が多いのである。
活魚料理と酒のメニューは豊富であり、定食メニューも多い。
松竹大船撮影所の全盛時代には監督や俳優も来店していたが、今でも大部屋役者OBや道具方OBの人たちが来店する。
昔、瘋癲の寅さんが闊歩した松竹撮影所の敷地は、鎌倉女子大学のキャンパスなどになっている。
もう1軒、大船には駅前食堂より駅前酒場と呼びたい大衆酒場がある。
それこそ、フーテンの寅達がグループで屯する赤提灯である。
チェーン店展開の飲食店が目白押しの大船駅前だが、それを好まない仲間ばかりなので、呑談会の折には屡々利用する。
場所は、”観音食堂”前の交差点を挟み斜め筋向かいあたりになる。
屋号は”一膳”と書き”いちぜん”と読む。
酒の銘柄は”高清水”がメインだが種類は豊富である。
料理はご飯もの(丼)以外の和食は何でもありである。
雰囲気がよく、ヤマレコ仲間やスキー仲間の呑談会にもよく利用する。
モツ煮込みと烏賊のゲソ揚げは絶品である。
横浜側の駅前は、最近になって区画整理の大規模工事が開始された。
何れは、鎌倉側の駅前にまで及ぶのであろう。
街並みが変わってしまっても、まさか地名や駅名が変わることはないだろう。
だが、駅前食堂、駅前酒場の名に相応しい古風な店が消えていくのは寂しいことである。
存続を願うばかりだ。ainakaren
*写真は開店前の”観音食堂”と”一膳”~”観音食堂”の背後に見えるのは駅ビル
久々のコメント失礼します。
いいですね駅前食堂・・・地元の方と旅人が交錯する異次元空間。壁に貼られた汚れた短冊の品書きに哀愁を感じます
ainakaren先輩ならもしかしてご存じかなと思います
水上駅前ロ-タリ-にあったトヨタ食堂・・・看板に確かではありませんが『日本一の鍋焼き下に小っちゃく目標』って書いてあったような・・・
ビ-ルを下山祝い
酒を風邪薬とメニュ-に載せていました。
20歳前後のあやふやな思い出です。
先輩からはここのおやじは怖いからと
確か怒られたことも
もう40年前の話です
コメント深謝です。
前に私の美術展の日記で、駅前食堂についてコメントを戴いたことがありましたね。
https://www.yamareco.com/modules/diary/8042-detail-101030
私も呑兵衛で食いしん坊なので、駅前食堂には興味があります。
薄汚れた短冊の品書きにも郷愁を感じます。
観音食堂も同様に郷愁感たっぷりです。
水上駅前ロータリーに、食堂ありましたね。
店名までは覚えていませんが、確かにありました。
残念ですが、入ったことはありません。
水上では大昔、靴破損のため土産物屋で女下駄を買い、履いて帰った記憶があります。ren
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