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そして肝心の、実際に運転された列車は……鉄ヲタな方が撮影された動画や画像が僅かにネットにアップされていますが、乗車率は悲惨の極みだったようです。運転初日は雨だったこともあり、立川で乗り込んだのは登山客よりも、切符収集家と覚しきオッサンが数名……。
これもひとえに、日記にコメントを下さったyamahero様がおっしゃる通り、「山かいじ」に乗れる人は高尾発5:14の大月行き (大月・甲府で短時間の乗り継ぎ可) にも乗れてしまい、主要駅から登山口に向かうバスも大方同じになるため、特急料金を払う意味ない、ということに尽きるでしょう。

先日、とある鉄ヲタの宴会に出席した際、JR東日本の社員の方に「八王子支社はもっと登山客の行動をリサーチした上で臨時列車を企画するよう、八王子支社の知り合いに伝えて欲しい。6時半前に八王子を出る臨時特急なら歓迎


それはさておき、そもそも夜行列車が沢山走っていれば、全く使えない臨時特急や、「18きっぱー」にいち早く指定券を買い占められてしまい、天候を気にしながらの登山には使えないという「ムーンライト信州」にぼやく必要はないのです。
というわけで、昔は良かった……という画像をご覧に入れましょう。
1981年8月と、1987年3月の、新宿発・中央線夜行の時刻表 (一部) です。

1枚目、1981年夏の時刻は、中央道全通前ということで、当時は登山が若干下火だったとはいうものの、これだけ多数の列車が乱れ打ちされています。
毎日運転の列車は「急行アルプス」2本に、普通長野行き!
季節運転・臨時の急行も含めると、夏山ハイシーズンの週末は7本体制で運行されていたことが分かります。
当時の新宿駅「アルプスの広場」のカオスぶりはさぞかし……

このあと1982年に中央道が全通し、また世の中もバブルに突入しますが、ただちに全ての夜行需要が高速道路に移行したわけではなく、国鉄改めJRも夜行列車向きの車両をまだ多数抱えていましたので、1987年春の時刻表を見ていますと、一部の列車は特急車両を使ったスキー列車「急行シュプール」と名を変えたりしつつ、相変わらずの乱れ打ちが続いていることが分かります

しかしその後は……夜行列車向きの車両がどんどん廃車、あるいはローカル転用されてしまっただけでなく、「さわやか信州号」に代表されるように、高速バスで直接登山口に向かうサービスが隆盛を極めるようになった結果、今や「ムーンライト信州」すら消えそうな情勢です。少なくとも、今使われている189系は、この秋で完全廃車となります。その後に果たして夜行列車が残りますかどうか。どう考えても「さわやか信州」の方が便利だからなぁ……。
これもまた諸行無常、栄枯盛衰というものですね。
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話題変わりまして、横浜線沿線と中央線沿いの山を結ぶ便利な列車として、週末のみ運転の「特急はまかいじ」がありますが、この秋から横浜駅の京浜東北・横浜線ホーム(3/4番線)のホームドアが稼働し、2扉車には対応していないため
廃 止
というウワサが鉄ヲタ界ではもっぱらです……orz



東神奈川・新横浜・町田のいずれかから (まで) 客扱いとして残って欲しいものですが、果たして……。
山行で疲れたあと、八王子で乗り換えなくて良いというのは、最高に有り難いのですけどね……

こんばんわ。
案の定「やまかいじ」はダメダメだったようですね
みずがき田園バスは韮崎駅到着にあわせて、みずがき山荘行の臨時バスを出していたようですが、乗客がいなきゃどうしようもないですね
この夏は、スーパーあずさ1号の前にでる臨時のあずさ71号のほうが頼りになりました
長野行夜行前の急行アルプス、82年の夏に高校ワンゲル部の合宿で乗りましたよ。
指定席だったけどガラガラで、みんな好き勝手な場所に座ってました。
引率の顧問の一人が、寝ぼけて辰野と茅野を間違えて一人で降りてしまい、初日宿泊泊の三伏小屋のテン場で追いつくかハラハラしたことを今でも鮮明に思い出します
こんばんは、コメントどうもありがとうございます!
みずがき山荘行きの臨時バスの情報、個人的には「大本締めの山かいじがガラガラ間違いなしなのに、果たして大丈夫か……」と思っていました。8月11・12日は、さすがお盆期間中だけあって、鉄ヲタ目撃情報を検索するとチラホラとは乗っていたようで、乗れるエリアの人は一足早いバスにも乗れてホクホクだったかも知れませんが、とにかくまぁ、沿線バス会社も巻き込んで赤字を垂れ流しているとしか思えないシロモノです……
あずさ71号の方が登山者的にははるかに使い勝手が良い、と私も思いますが、そこに一押し、もう少々早めに出発して気の利いたバス連絡がある列車というのが希望ですね……。
夜行急行の指定席ガラ空き
私も、周遊券の旅をするときに、敢えてガラガラ臭い臨時夜行急行の自由席に乗ったものでした (遠い目)。
実は当時既に、特急黄金時代に突入していたためか、1970年代ほど急行列車の利用者はなく、山岳夜行列車も登山界の低調のため、よほどのハイシーズンでなければ指定席が埋まらなかったのかも知れません。
それでも国鉄は、それまでの前例踏襲で、使える車両がある限り、夜行列車を乱れ打ちしてくれていたのでしょう……。
JRになってから次第に経営観念が強くなり、夜行急行用の車両も古くなったことから、稼げない夜行急行に新型を入れるのを止め、衰退していった……ということでしょう。
乗る分には最高に有り難い存在だったのですが……
それにしても、塩嶺トンネルが開通するまでは、松本方面行き列車も全て辰野経由でしたね〜。
そのあと伊那大島まで飯田線で移動され、塩川土場までバスだったのでしょうが、三伏峠への登り口は塩川が廃れて鳥倉となり……これまた大きく変わったものですね。私が90年代に広河原から北岳〜塩見岳を縦走したときは、塩川土場ゴールでした。
しかし……茅野と辰野をどう間違えるのか……
bobandouさん こんばんは
時刻表が懐かし過ぎます
1987年版、新宿発0:01上諏訪行きは、上諏訪で南小谷行きに接続していましたか?
乗換時間で、上諏訪のお湯の出る蛇口で顔を洗ったような記憶があるのですが、なんで松本じゃないのか?と記憶違いかと思っていました。上諏訪行きなら納得できます。
この頃は、特急が当たり前になり、新幹線も駆使して行くようになっちゃいました
近頃、新宿が遠いです
こんばんは、コメントどうもありがとうございます!
脳味噌の中が昭和なハイカーの方には、この時刻表は激しく懐かしいかと存じます
上諏訪駅は当時、全国でも初めて温泉の湯を引っ張ってきた駅として結構話題になりましたね……。国鉄からJRに変わる頃で、親しまれる鉄道・駅に生まれ変わるべく必死の模索が続いていた頃でした。私もその頃、上諏訪駅で足湯をやった記憶があります
新宿0:01の上諏訪行きは、5:57に上諏訪に着くと、6:20発の長野行き快速に連絡し、さらに松本で20分待ちで南小谷行きに接続しますので、ちょうど上諏訪でお目覚めの温泉洗顔を楽しまれたのでしょうか
それはさておき、北アルプスへの山行も、最近は北陸新幹線がかなり利用価値を増しているようですね〜
bobandouさん、こんばんは。
はやり「山かいじ」は赤字垂れ流しでしたか。
JR東の皆さんには、もっと勉強してダイヤ設定して欲しいものですね。
夜行列車全盛時代、なつかしいですね。
といっても、私は鉄オタでもなかったし、夜行を使うような本格的登山を始めたのが遅かったので、残念ながら1970年代の夜行列車は全然わからないのです。リアルタイムなのはバブリーな軽薄短小の1980年代からなんですね。それでも平日も運行していた夜行アルプスをリアルで体感出来て良かったと思っています。
幼い頃、客車を引いたSLが新宿駅を発着していたのを記憶しているジジィなのに、本格的登山と巡り合うのが遅くて、もったいないことをしたと思っています。
こんばんは、コメントどうもありがとうございます!
「山かいじ」、イラスト入りポスターまで用意してこの惨状……というのは、ある意味で痛快な (?) ものがあります。乗れた中野以西民は結構良い気分だったことでしょう……。
秋、そして来年以後、「山かいじ」はたぶん設定されないと予想していますが、編成に余裕があることが発覚しましたので、次は代わりにどのような臨時列車企画をぶつけてくるか、興味深々です
それはさておき、如何にも空いていそうな平日の夜の「毎日運転アルプス」を体感されたとは、本当にうらやましいことです……。
これが90年代になると、雪崩を打ったように夜行列車はバッサバサと切り捨てられ、上諏訪行きの鈍行すら甲府行きとなり、ついに毎日運転の夜行列車は消えてしまいましたから、80年代の「翳り行く夜行列車の時代」を満喫されただけでもうらやましいです……
いつ、どのようなきっかけで、どのような列車を見るか、乗るか、山に登るか……。
これは本当に、個人の生まれた時代や趣味趣向の変化による偶然の結果にして、しかもその後の「旅・山・鉄」観に非常に大きな影響をしまうという厄介な問題です
新宿駅にSL、そして客車列車が出入りしていた頃をよくご存知というのは、50代後半以上の方の特権でしょうか。
bobandouさんこんばんは
山かいじは、残念な乗車率だったのですね
そもそも、私の家からは間に合わないので、乗車する事もかないませんでしたが・・・汗汗
昔の時刻表を拝見して、急行アルプス、431M、9631列車など、懐かしいかぎりです。そうそうアルプス広場のカオスは凄かったです。9631列車の乗車整理券(着席券ではない)をもらうためにアルプス広場に2時間並びました。もちろん座れずに塩山まで立っていたのを覚えています。
「はまかいじ」は廃止の噂ですか・・横浜駅のホームドア設置では仕方ないですね。
乗るなら今のうちということですね。
日記ありがとうございました。
こんにちは、コメントどうもありがとうございます!
山かいじ、臨時列車の企画としてはかなりヘンな部類に入ると思いますので、時折「立川で徹夜して、お試し乗車山行するのも面白いかも」というプランが脳裏をよぎりましたが、そもそもE257系のために漫画喫茶や居酒屋で煙草の煙に巻かれながら徹夜するのも何だかなぁ〜と思いまして、結局ボツにしました。
例えば広河原に行くために同じ徹夜するなら、最終列車に乗って甲府に行き、早朝4時台のバスに乗る方が全然マシですし!
9631列車は、定期の長野行きよりも塩山や甲府に早く着くので、運転されれば人気絶大だったということでしょうか……
というわけで、「新宿発岡谷行き 9631」でググってみますと、当時の乗車記が出て来ますね〜
旧型客車のデッキまで超満員ですか……
敢えてデッキの出入り口に陣取ってドアを開け放った方が涼しい、というヤツですね……
大部分の客は塩山と甲府、そして小淵沢で吐き出されたのち、岡谷に着く頃にはまったりとしていたのでしょうが、それにしても塩山は、甲武信岳や乾徳山方面へ行く客だけでなく、大菩薩に登る客でも大賑わいだったのでしょうね (今や初鹿野あらため甲斐大和がメイン登山口になってしまっていますから)。
「はまかいじ」は仮に今後も生き残るとしても、185系がこの先余り長くないでしょうね……。今のうちに乗るのがオススメです。
もし9月末で廃止となったら、長野の189系廃車と合わせて、中央線からMT54モーターのサウンドを奏でる車両がいなくなってしまいます。昭和はこうして終わって行くのですね……
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