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出港して翌日、福島県相馬市沖を航行している時、フェリーが突然針路を変えて船体が大きく傾いた。私は何事かと驚いてデッキに駈け上がった。
すると眼下の海面には小さな救命ボートが浮かんでいた。
その救命ボートには誰も乗っていなかったので、フェリーは何事もなかったかのように救命ボートはそのままにして針路を元に戻した。
この時、救命ボートを目撃した乗客は私だけだった。
大海原に浮かぶ小さな救命ボートは、次第に視界から遠ざかっていった。
釧路に着いて2日後、テレビニュースが海洋調査船へりおすの行方不明と、無人の救命ボートを回収する様子を報じていた。
それは私がフェリーから見た救命ボートだった。
へりおすは静岡県清水港を出港し、北海道羽幌港への処女航海の途中、悪天候により遭難し沈没。9人の乗組員は全員が死亡した。
乗組員は全員が20代〜30代の若者だった。希望に満ちた処女航海の途中、志し半ばであの緑色の海の底に沈んでしまったのだった。
どんなに無念だったろうか…
それ以来、あの小さな救命ボートが大海原に浮かぶ光景を毎日のように思い出していたが、福島県の鵜ノ尾岬にへりおすの慰霊碑が建てられた事を知った。
訪れようとした矢先、東日本大震災が発生し、甚大な被害を受けた鵜ノ尾岬周辺は復興工事の為、一般者は立入禁止になってしまった。
そして去年、ようやく鵜ノ尾岬を訪れる機会を得た。
慰霊碑には新しい花が添えられ、綺麗に掃除されて地元の人に大切にされているようだった。
慰霊碑の前で目を閉じると、岬にぶつかる波の音が聞こえてくる。
殉職した乗組員の名前が彫られた石碑を見て、ようやく彼らに会えたような気がした。
私はあなた方の事を決して忘れません。
合掌
他に同じフェリーに乗っていた方はたくさんいたでしょうに、救命ボートを見た乗客の方はvt250zさんだけだったかもしれないのですね。ずっと記憶の底から離れなかったのでしょうね。
35年、長かったですね
とても気になり、お邪魔いたしました
ありがとうございました。
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