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またヨセミテのビッグウォール、エル・キャピタンのノーズルートをフリー化したことでも知られています。
この本は、リン・ヒル自身が彼女の半生を振り返る物語になっています。
この本のタイトル「クライミング・フリー」とは、フリークライミングではなく、「自由なクライミング」という意味です。
冒頭、クライミング中の事故の経験からスタートします。
困難なルートをいつもの様に登り終え、ロープにテンションをかけてロワーダウンしようとした瞬間に、20m以上転落し、大怪我を負います。原因は、なんと登り始めのときから、ロープをハーネスに通したものの結ぶのを忘れていたのです。体重をかけた瞬間にハーネスからロープが抜けて墜落したのでした。
クライミングをしない人は、こんなミスはありえないと思うかもしれません。しかし、私の周りでも同じような事故にあった人がいます。フリークライミングの分野では、結構多いミスです。
精神集中しながら登る準備をしていて、ロープをハーネスに通したときに周りの誰かが話しかけたりして注意がそがれると、うっかり結ぶのを忘れてしまうのです。あのリン・ヒルでさえ同じような事故にあっていたとは、驚きです。
さて本の中盤、あれだけの著名フリークライマーの人生にもかかわらず、冗長な部分があります。それは山や岩場での経験の話ではなく、「生活のため」にテレビのスタントショーやボクシングショーに出たり、賞金のためにクライミングコンペに出る話になるからです。これはヒルだけに限ったことではなく、一流クライマーであっても、生活費を稼ぐためにシカゴのシアーズタワーをスパイダーマンの格好で登ったりといった話が紹介されています。一流クライマーであっても、悪く言えば「見せもの」になって生活費を稼がなくてはならなかったのは、なんだかもの悲しさを感じます。
ヒルはヨーロッパの数多くのコンペで、当時フランスのカトリーヌ・デスティベルと優勝を争いました。しかし当時のコンペは現在のそれほど運営が精練されたものではなく、コンペの途中でルールが突然変更されるという「不正行為」が数多くなされたと書いています。デスティベルはスタークライマーだったので、彼女が優勝するように配慮されたそうです。これにヒルは不満を募らせました。
さて、結婚生活とかいろいろなことがあって、結局ヒルは再びヨセミテに戻ってきます。コンペに何度も出場して、「人工壁のクライミングスタイルが、自分の自然なクライミングスタイルとますます相容れなくなった」と感じるようになり、コンペとは手を切ります。
(ヒルと優勝を争っていたデスティベルもまた、コンペ生活をやめて先鋭的なアルパインクライミングに集中するようになるのが興味深いですね。自分も人工壁より自然の岩を攀じる方が好きなもので。。。)
ここからが、実にヒルの面目躍如といったところでしょうか。ヨセミテのクライミングで、ヒルは昔の様に生きいきとクライミングを実践します。
ヨセミテの中で最もスケールが大きく目立つ壁(高低差900m)がエル・キャピタン。その初登攀ルートが、ノーズと呼ばれるルートです。これは1958年にウォーレン・ハーディングによって成し遂げられました。
フリークライミングの進歩はこの巨大なエル・キャピタンのフリー化へ向けられましたが、ノーズの完全フリー化が幾多のクライマーの挑戦を退けていたのでした。ヒルはこの難ルートのフリー化を初めて成し遂げました。最高グレードは5.14a。
この本の最後の北山真氏による解説に、「ナショナル・ジオグラフィック」誌のインタビューによるヒルの言葉が引用されています。
「達成(アチーブメント)とは、なにを成し遂げたか、ではありません。成し遂げたことから、なにを得たか、なのです」
クライミング・登山とは、とても「内面的」な行為なのですね。
ところで、この本の中で紹介されているエピソード「空からひと財産の伝説に揺れる」の話は、昔クライミング雑誌で読んだことを覚えています。
1977年、メキシコから多量の大麻と現金を積んだ飛行機が、ギャングの内部抗争のためヨセミテ近くの雪に閉ざされた山に墜落した。そこは雪深く、一般の人はとても立ち入ることが出来ない地域だったが、どこかで情報を仕入れたクライマーがとりに行き、一部を持ち帰って大もうけした。それを聞きつけた他のクライマーも一攫千金を狙って、さながらゴールドラッシュのごとく現場に駆けつけた。その後、ヨセミテでそれまで貧乏テント暮らしだったものが急に高級車に乗ったり、ボロボロのクライミングギアが一新されていたりといったクライマーが続出した。
という内容でした。
雑誌にはここまででしたが、この本には後実談があります。それはなんと、それで大儲けしたクライマーの多くが、「謎の事故死」をしたということです。
おぉ〜、怖!
簡潔な書き方で、良く分かりました。
ありがとう。
私も、やっぱり人工の壁?は好みでは有りませんが、否定はしませんです。
では〜
こんばんは!
私も否定はしませんが、昨今の、室内壁主体で自然の岩を「外岩」などと呼ぶ風潮は、ちょいと抵抗感を感じます。。。これも年のせいかもしれませんね
10年前リンヒルの事はこのクライミングフリーで知りました。
丁度、読む直前に私も同じシーンで慌てた事があります。
3人でゲレンデ岩へ行き、先ず私がロープを結んでいる途中で横から話掛けてきたんで答えました。
そしてリードで登りました。
離陸から離れた1ピン目にクリップしようとしたら、いつもよりロープが軽いんです。
おかしい?と思ってよく見ると、最後までちゃんと結べてない事に気付き、慌てて2人にサポートして貰いながら垂直のクライムダウンしました。
冷や汗もんでした
その直後にこの本を読んだんで、そのシーンが手に取るように感じた記憶があります。
コンペの優遇は一昔前に聞いたような覚えがあります。
空から一財産の伝説に揺れる・・謎の事故死!
ひゃぁ〜こえぇ〜il||li (OдO`) il||li
こんばんは!
ロープの結び忘れ、結構頻繁にあるんですねぇ。
自分が聞いた話は、小川山で、知り合いの仲間がこれで事故って重症を負ったって話でした。お互いに気をつけましょうね。
自分に関してはかつて高校山岳部時代に、肩がらみ懸垂下降の練習で、ザイルをまったく巻きつけずに降りかけたことがありましたが・・・
こんばんは。
この本所有していましたが、9月に安達太良山に行き、県営くろがね小屋に泊まった時、寄贈してきました。なんで山登るねん3部作等他にも寄贈してあるのですが、小屋2階にある文庫にはまだ納まっていません。たぶん小屋スタッフの方々がじっくり読んでいるので、文庫登場はその後になるのでしょう。
処分してしまうには惜しい、山の本は、くろがね小屋支所長のSさん、管理人のIさん、Yさんの了解を得て侍参・寄贈しています。
くろがね小屋の温泉に入り、のんびりとビールを飲みながら山の本を読む、なんとも幸せ。
少し脱線したことを書いてしまいました。
piscoさん、おはようございます。
なるほど、古い山の本を山小屋に寄贈するって手があるんですね。
学生時代にたくさん山の本を買い集めたのですが、社会人になって登らなくなったときに処分に困って、結局大部分を捨ててしまいました。
いまから考えればとても惜しい!
特に「日本登山体系」というのは全巻持っていて、また見直してみたいと思ってるのですが、古書でも中々手に入りません・・・
Cross-hill さん
おはようございます。
とても興味深いお話、一気に読ませていただきました。ありがとうございます。
もっとも私自身はクライミングなど絶対無理と思ってますから(笑)、やるつもりはないので、客観的な立場から見ているだけですが・・
PS: 屋内の人工壁でのボルダリングなら、一度お遊び程度でやってみたい気はあります。それこそ「外岩」ですか? それはちょい怖すぎで・・。
tsukadonさん、おはようございます。
室内壁と自然の岩は、両方経験がありますが、なんだかまったく別の感じがします。
山を登っていても、ちょっとした岩場が出てきて楽しかった、という経験はおありですか?
岩登りの楽しさはその延長ですよ!
最初は低くてやさしい岩から・・・機会があれば、是非どうぞ!
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