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最近公開された映画「K2 初登頂の真実」(残念ながら見損ねました

ボナッティもメスナーも、登山にやみくもに新技術や物資を導入し、その難易度を下げて登るのは、登山というものの本質を破壊すると見抜いていたのでした。
70年代以前には、登山(特にロッククライミング)のグレードは六段階に分かれていました。1級は手も使って登る非常に易しいルート、6級は人間が登れる限界の非常に困難なルートとされました。それ以上の困難さとなると、ハーケン・あぶみを駆使した人工登攀となるのが通常でした。
しかしメスナーは、トレーニングを積んだクライマーなら6級を超えるグレードもフリークライミングできることを提唱し、そしてそれを実践してみせた最初のクライマーです。
フリークライミングの世界では、今では極々当たり前ですが、その概念のルーツの一つがメスナーのこの本になるのでしょう。
『第7級』という言葉は、トレーニングにより人間の限界をあげていくことが出来るという事を示す象徴的な言葉です。
この「第7級」には、メスナーがまだ10代〜20代の頃に成し遂げたヨーロッパアルプスでの数多くの驚異的なクライミングが紹介されています。
しかしこの本の真価は、そのクライミング記録以上に、それに向けた心理描写や登山哲学(人生哲学)に、大きな価値が感じられる本です。高校時代にこの本を読んで大変影響を受け、メスナーになった気分でヨーロッパアルプスを「妄想クライミング」したものです。
ヨーロッパアルプス最難の氷壁と言われるドロワット北壁のソロは、メスナーの代表的クライミングの一つです。前夜のヒュッテでは、メスナーでも緊張感(?)で眠れずに悶々とすごしました。
「毛布をひっかぶって眠ろうとする。だがだめだった。眠れないのは、暑すぎるせいだったろうか。むっとする空気のせいだったろうか。それとも、それはドロワット北壁のせいだたろうか。・・・自分がうとうとしながら考えたこと、それは正しかった−−−いや間違っていた−−−うとうとしながら考えることなんか、どっちみち間違いでもないし、正しくもないのだ。」
山登りの意義に関して、メスナーは以下の様に書いています。
「非常に大きな登攀は、それだけで一つの人生といえる。まったく別の生活なのである。この世から解き放たれたような生活。・・・(中略)・・・ただ、普通の生活にはちょっとなにかが足りないのである・」
「登山における目的というものは、直接物質的な関心の世界、あるいは、生活必需品の個人的な充足の世界のそとにあるものだ。登山そのもののうちに意味がある。動きのなかに、変化の中に、緊張の増減のなかに、難問と解決との結びつきのうちに・・・」
「山が人生を容易にしてくれるということはないが、山は、人生に耐えてゆけるように助けてくれるのだ。ぼくらをとりまく外的な状況をとおして、山々は抵抗する力と冷静な心構えとを培ってくれるのである−−−内省へのきっかけを与え、ぼくらが、すべての人生への叡智へ到達するために必要な心のバランスをみつけて、これを保つのを手伝ってくれるのである。」
「ぼくはまだ山の中に自然の一部を見る。僕にとって、岩壁は岩の塊ではない。ぼくらが観察し、耳を傾けてなにかを聞きだすことのできる生きたもの、僕らと一緒に生きているものだと思う。」
彼の言葉には、まるで哲学者か詩人が述べる言葉のような味わいを感じます。
「山々は公明正大なものだ。やれ階級だとか、やれ難しさだとか、あるいは、社会的地位が高いとか低いとか、そんなことには関係なく、分け与えるのだ。誰でも自分が山々に向かって差し出しただけのものを山々から受け取るのである。ディレッティシマの征服者に与えるより多くのものをハイカーに与えることができるのだ。これは人それぞれの心のもちかたによるのである。」
メスナーは、困難なクライミングだけが至高の価値を持つなどといった変な固定観念を有している人間ではありませんでした。この言葉も山登りの楽しみ方の本質を見抜いています。
いま手元にある「第7級」は、昭和49年発行の初版。
40年近くの歳月を経て再び読み返しても、やはり価値ある一冊と思います。
こんにちわ
極めるということは、何か同じような境地に落ち着くように思いますね
迷えるわたしには、中々手の届かない境地のようですが・・
それぞれのグレードをひとつ上げる努力の中に、小さな答えが隠れているように思いますね
ふふふ・・そんな答えを探しながら、山を楽しむとしますかね
でわでわ
Cross-hillさんこんばんは。
私も密かに7級の男メスナーのことを日記に書こうと思っておりました。でもCross-hillさんが上手に書いていただいたので嬉しいです
私たちが現役の最初の頃の若い頃、メスナーは次々にすごい記録を立てていました。印象的なのはテントの中で自分で点滴を打っていた写真が山渓だか岩と雪だかに出ていたのを見たときでした。
私も人類史上最強の登山家はメスナーだと思います。
メスナーだから出来るということは多分にありますが、彼は死ぬことなく今もテントの名前に使われていてそれなりに活躍されているんでしょうね?
murrenさん、こんばんは。
実は「第7級」を読み返したのを機に、メスナーの著作(多くは古本)をいくつか買って読みました。そしてやはりすごいと再認識したことがあります。
これは、メスナーの本(続編)でそのうちまた書きたいと思いますので!
uedayasujiさん、こんにちは。
全部は紹介しきれてないんですが、まだまだ味わい深い言葉がありますよ。
自分にとってのバイブルの様な存在です
メスナーの本、学生のとき、仲間の部屋にどこにでもありましたが、この引用の数々の言葉通り、今なら納得いく名言ばかりですね。昔の僕にはネコ小判でした。
うちにまだほとんどあります。読み返してみたくなりました。
yoneyamaさん、メスナーの本をまだお持ちとのこと
たいへんうらやましく、また貴重でもあります!
自分はいっとき山登りから完全に足を洗っていた時期があり、山道具や山関係書籍のほとんどをその時に処分してしまったようです・・・
今になって、また色々買い集めています
こんにちは。
以前日記に、下記のようなことを書いたことがあります。
*****
山登りというのは、自由で伸びやかさに溢れているものでありたい。
中略
山は、誰に対してでも公平だ。
社会的地位を露出したい人にも
ましてや、年齢と性別に対しても。
*****
これは手元の「第7級」から引用したわけでは、ありませんが、多感なあの頃(1985年7版発行)大きな感銘を受けた本書が、いつまでも消えることなく脳裏にあったのかもしれません。
もう一度読み返しているところです。
piscoさん、こんばんは。
ニーチェだったかな、どこかに確かこんなことを書いています。
「人は本を読んで、自分自身を発見する」
何か本を読んで、感銘を受けるとか「いい言葉だ!」と感じるのは、結局自分自身の中に元々そういう感情や気持ちを持っていて、共鳴するからだという意味です。
「第7級」で「いい言葉だ」と思ったのも、結局自分自身が心の奥底でそう感じていたけれども、うまく言葉に出来なかっただけなのでしょう。
piscoさんは、自分でそれが上手く言葉に出来たんでしょうね。
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