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要は鉄道の線路にかかる木の枝が邪魔なんだけど、切ると祟りがあるという話です。
この話は30年以上前に甲府にいたとき、何かで読んで知った訳だけど、その時には、これはもう過去の話、と認識したのである。つまり、いま(30年前)はもう木も切ってしまった。線路の邪魔にはなっていないと・・・・。
ヨネヤマさんからの指摘で、今もなお現在進行中の話と知っておおいに驚きました。提示されたリンク先を除いてみると写真があった。大きな朴の木の枝が邪魔にならないように、線路の上に大きな防護柵を組んでいるんだ・・・。まだだれも切っていないんだ・・・。あの時見に行けば良かった・・・・。
公共交通機関に影響があるなら法律的には切るべきなんだろうけど、木の所有者が違うのでこじれたんだろうな。所有者と鉄道が話し合っても埒があかず、結局鉄道が折れて柵を作ったんだろうな。祟りを恐れる気持ちは永遠に継続するもんなんだなあ。
あまりこういう祟りは信じない性質なんで、羽田空港の鳥居の祟りも昔から有名で興味あったけれど、結局空港拡張工事で鳥居を動かしても祟りがあったとは聞かないですよね。
じゃあお前がその木、切ってこいよと言われても、いたずらでやる気はないけれど、仕事として切れと言われたら、ほかの人が尻込みしても自分ならやるだろうな。
でも直前になったら気が変わるかもしれない。やっぱり自分にも祟りを恐る気持ちは潜在的にあるかもしれないなあ。
かつて在籍していた大学の敷地内の大木の下に祠があって、○○塚という名前がついていた。なにやら怖い由来のある塚だった。ある教授から聞いたことだけど、大学内で不祥事が頻発したので、教授会で対策を話し合っていた時、教授のひとりが「これは祟りかもしれない。○○塚にお参りしてお祓いをしてもらおう。」と、真面目に提案したそうである。それこそDNAだゲノムだとバリバリの自然科学の学部の教授ですよ!
写真は祟りと関係無くウチの三姉妹。キミたちだったら祟られてもいいよ!
あんこたさん
祟りを恐れることを、時代に遅れた精神であると見なす事を100年ほど続けて来て、人は際限のない欲を発揮して山河を損ない、戦争に明け暮れた時代でした。祟りを恐れる心は、尊大になり愚かな人間を戒める、優れた人智だったのではないかな、という気がしています。
山登りは、科学の力や発達した社会制度が無効になる時間に帰る、貴重な時間であって、その根源には、祟りを恐れる気持ちに通じる敵わないものに対する畏怖があると思います。
朴の木は、仕事だからと割り切って切る人が居なかったのではないでしょうか。恐ろしくて。
コメントありがとうございます。
文明的暮らしを求めるため、人間が自然を破壊して、とりかえしもつかない負の遺産を抱えてしまうのを抑制するのに、祟りを利用している面もあるのでしょうね。残念ながら今は負の遺産だらけです。
謙虚になって自然に入れば、自然は素晴らしい面を見せてくれます。僕も山に入る時は自然に逆らわないようにしているつもりです。
こんちわ
>DNAだゲノムだとバリバリの自然科学の学部の教授ですよ・・
ふむふむ・・宇宙の創世記に○京分の一という確率で合成されていくDNAを知ると、その裏にある深遠なる力の存在を否定できなくなるのでしょうね・・
神仏を崇拝しない心根が、人間関係などを円滑にするはずもなく、結果として良くないことになる・・
神道の顕(た)つとか、天皇の名号説などがありますが仏教的に考察すると・・因果律なんでしょうね
面白い話ですね
でわでわ
コメントありがとうございます。
あのハヤブサの技術者も、地球に帰って来るまで神棚に毎日お祈りしていたそうです。
科学といってもまだ分からないことだらけで、だからこそ科学者がいつまでも食っていける訳です。
ただ、全ての理解できない現象を神などの所為にするのは、精神の安直な経済学だと辻まことさんが書いてました。
ankotaさん
こんにちは。
私は、祟り自体は信じませんが、”そういった怖い話が残っている”という点にはとっても興味をひかれますね。人間が”そういう風に考えてきた”という事実は間違いない。大変興味深いことだと思います。
ところでネコちゃん。
なんて可愛いんでしょう!
うちにもオバ−さんがいるのですが、大違いです。
世界中に共通して祟りという概念があるのは、やはり人間の根底に、何か判らないものへの畏怖があるんでしょうね。僕も興味はあります。
真ん中の子はもう17才でおおばあちゃんです。5月で18才です。もうぼけて大変です。ネコもボケますよ。病気も持ってるんで毎日薬が欠かせません。
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