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多くの方が音楽に心奪われる体験をなさっているだろう。限りなく広く深い世界だから、それぞれの方の体験もきっと同じように広く深いに違いない。これはそのような話の一つである。
ある暑い日の午後、書斎がまだ子供部屋になる前、寝そべって本を読んでいた。FMでグレン・グールドの平均律クラビーアが流れていた。そのとき啓示のようなものを受けた。目を閉じると宇宙の無機的で無限の広がりを音が(音楽が)滑空していくように感じたのである。クラッシックの教養も何もない自分だが無謀にも「弾きたい」と思った。
何年かたった。思い立って子供のピアノの先生にお願いして、一緒にレッスンを受けることにした。週一回課題を与えられてそれをこなす。子供の練習が優先だが、モチベーションはこちらのほうが高いので、私が練習している時間が長い。先生にバッハを弾きたいと言った。
「バッハのどの曲ですか」
「可能ならインベンションの数曲だけでも」
「道は遠いですよ」
「時間はあまりとれないけど、やる気はあります。」
「…そうですか。でもまず基本からですね」
バイエルを1年で終わらせた。大人は子供よりちょっと早い。それは最初だけなのだが。和音は頭で覚えた。子供はきっと耳で覚えるのだと思う。ブルグミュラーは楽しかった。が難しくなった。「曲」になったところで一段階レベルが上がった。テクニカルな部分ではなく、曲想のようなもの理解し、表現しなければならない。楽譜の意図通りに弾くのは、もはや単なる指の運動ではなかった。一方で並行してやるハノンはなかなか辛いものだった。
ある日思い切って先生に言った。
「そろそろバッハ練習したいのですが」
やれやれという顔をされたが、アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳をいただいた。先生には内緒で「インベンション」も「平均律クラビーア曲集」の楽譜も買った。もう習い出して3年目にはいっていた。その間には子供と一緒に発表会にもでていた。畏れを知らぬ行為である。
バッハの練習は楽しかった。平均律の1番プレリュードは比較的易しいし、弾いていて心地よくなる。インベンションのほんの数曲。そしてゴルトベルク変奏曲のアリアから1番への疾走感。たどたどしく音を追い、少しずつ仕上げていく。
でもそれ以上は進めない。何しろ途中を端折ってきたのだから。
この頃の目標は「主よ、人の望みの喜びよ」だった。バッハというよりクラッシクの名曲中の名曲である。本来は教会カンタータつまり合唱曲で、普通はオーケストラと合唱でやるものだが、オルガンやピアノ独奏でも演奏される。全音のマイラ・ヘス編曲の楽譜を購入した。耳の訓練でブーニンの演奏を繰り返し聞いた。
もうこれ以上指が動くとは思えなかった。最後の曲だと思った。すでに娘は受験期に入り10年以上続けたレッスンを止めていた。私だけが習うことはできなかった。
4声の曲である。右手で二つ、左手で二つのメロディを別々に弾く。歌うように弾きたい。
もう先生はいない。淡々と練習した。音がちゃんとつながっているか、4声が別々に聞こえているか、同時にきちんとした和声を構成しながら進行しているか。難しい。でも楽しかった。動かない指が動き出す物理的な喜びもあった。そして何と言えばいいのか、ああ自分はバッハを弾いていると思った。
しばらくして、ある場所で、友人である別のピアノの先生に聞いていただく機会を得た。緊張しながら弾いた。演奏が終って、先生の方を見ると難しそうな顔をされていた。
「譜面どおりに弾けていますよ」
「でもブーニンのようには聞こえないんです」
「それは…」あははと先生に笑われた。
その後ピアノを止めた。
好きなものだけを弾き、トータルな練習をしなければ音楽もそれに応じた程度のものしか与えてくれない。それは最初から分かっていた。自分に失望したのではない。むしろ音楽に感謝した。このようなわがままなアプローチをした自分のような人間にも、喜びと小さな達成感を与えてくれたことに感謝した。自分がバッハを弾き続けるのは、きっとバッハにも音楽にも失礼であっただろう。
「早く覚えたものは早く忘れる」「継続は力である」人生も音楽もこのとおり。自分は和音のほとんどを忘れ、家族には平和で静かな暮らしが戻った。
*休日の午後に、ジョナサン・コッドの「グレン・グールドは語る」(ちくま学芸文庫)を読んでいて、思い出したお話です。この本はグールドのロングインタビューがメインです。奇矯なグールドを愛する方ならもうお読みになっておられるかも。天才という言葉そのままのピアニストでした。
*音楽についていろいろ間違った記述をしているかもしれません。笑ってお許しください。
平均率クラヴィーア、聞くだけなら簡単そうなのに、そうではないのでしょうね。300年も前なのになあ、と思います。僕も、高校生になってからピアノがやりたくなって近所のおばあちゃんに数年習いました。しかし、弾きながら居眠りしたりと、失礼な生徒でした。10年も続けたのならタイヘンなものと思います。
yoneyamaさん、一昨日の日記のやりとりの後、少し娘のことを思い出していました。彼女がいなかったらピアノに触れることもなかったでしょう。大変迷ったのですが、思い切って載せてみました。
10年続けたのは娘のほうです。私は5年も続かなかった
もう「聞くだけバッハ」です。今はもう安心して聞いていますよ。「居眠りバッハ」でもいいのだもの
コメントありがとうございました。
kiyoshiさんすごいですね!!
大人になってから習うのは、好きだからなんでしょうけど、根気が入りそうです。
私は小中学校の9年ほど習っていましたが、曲想だなんだと考えて弾くようなレベルじゃありませんでした
今もたまに弾く(弾かねばならない)機会があるのですが、毎日動かさなくては指は動かないし、新しい楽譜は頭に入らないし、苦手な曲はいつまで経っても苦手だし
でも、何度も繰り返し練習をして、あるとき突然、何かが降りてくる瞬間が、好きなのです
Springさん、コメントありがとう。
返事遅れてすみません。
私は敗退したので、すごくないですよ
やはりピアノを弾かれるんですね。
>でも、何度も繰り返し練習をして、あるとき突然、何かが降りてくる瞬間が、好きなのです
これです、これ
今日は当然春スキー行きましたよね
いいお天気でしたね。
私も早朝から山奥にはいり、夜7時に帰宅でした
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