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アイガー北壁を初登頂した4人の内の一人であるハインリッヒ・ハラーによって書かれた本で、アイガー登攀史といった内容です。
私はこれを読むまで知りませんでしたが、アイガー北壁といえば「トニー・クルツの悲劇」が有名で映画にもなっています。
(映画は「アイガー北壁」と「運命を分けたザイル2」でどちらもDVDになっていますが、まだ見たことはありません。)
***以下、wikiからちょっと編集して転載*****
1936年ドイツのアンドレアス・ヒンターシュトイサーとトニー・クルツ、オーストリアのエディー・ライナーとヴィリー・アンゲラーの2隊が競いながら登頂を目指し、ヒンターシュトイサーが第1雪田の下の難しいトラバース(ヒンターシュトイサー・トラバース)に成功、さらに「死のビバーク」を越える位置まで登攀する。
しかしアンゲラーが負傷したことから2隊は助け合いながら下山することを決定、天候の悪化からビバークを余儀なくされる。
7月21日、ザイルを回収してしまったことが仇となってヒンターシュトイサー・トラバースで行き詰る。
そのため北壁に開いているアイガーヴァント駅の坑道からの脱出を試みて懸垂下降を繰り返したものの、クルツを除く3人が墜落などで相次いで死亡。
クルツも救助隊の元にザイルで下りる際にカラビナにザイルの結び目が引っかかるという悲劇に見舞われ、体力を消耗し切っていたために結び目を外すことが出来ず、ザイルにぶら下がったまま、7月22日、「もうダメだ」の一言を残して力尽きる。
救助隊のわずか数メートル上であった。
************************
(余談:これアイガーヴァント駅じゃなくてアイスメーア駅の坑道口だと思うのだが?
追記:大間違い、アイガーヴァント駅の400m先にある坑道口でした。)
この遭難事故の後、第1雪田の下の難しいトラバースはヒンターシュトイサー・トラバースと命名されたのですが、4人全員が遭難死しており、なぜヒンターシュトイサーがその難所をトップでザイルトラバースしたと言われているのか?疑問に思い、再び借りて読み直してみました。
ヒンターシュトイサーは4人の中で岩登りの技術に最も長けていたからそう判断されたのか、また麓のクライネ・シャイデックから望遠鏡で個人が特定できたのか?わかりませんでした。
落石で負傷したのがアンゲラーだったというのも遺体の頭骨に包帯があったことから確定したそうですので、望遠鏡でヒンターシュトイサーが特定できたのか、・・・特別彼が背が高かったのか、と思い写真を探してみた。
トニー・クルツの写真はネットで検索すると簡単に見ることができますが、ヒンターシュトイサーの写真は日本語での検索では出てこない。
で、hinterstoisser で検索すると、あった、一人の写真とクルツと並んで写った写真。
並んで写った写真を見た感じでは、特別どちらかが背が高いという事もなさそう。
ヒンターシュトイサー・トラバースの疑問はここで挫折。
並んで写った写真のどちらが andreas hinterstoisser でどちらが toni kurz なのかはっきりしないので、その写真からたどると、以下のサイトに至り、ここから新たな疑問が。
http://www.ukclimbing.com/articles/page.php?id=1004
イギリスのサイトで(ちょっと古いです)正確に理解できませんが、ハラーに対しては批判的な内容でちょっとびっくり。
ハラーとナチスドイツとの関係はwikiにも記載があり知っていましたが、疑問に思ったのは、コルティのドラマに関するものでした。
これは1957年のイタリア隊のクラウディオ・コルティとステファノ・ロンギ、ドイツ隊のギュンター・ノートドゥルフトとフランツ・マイヤーの遭難事故の顛末で以下サイトで概要がわかります。(当時の写真も見れます)
http://www.swissinfo.ch/jpn/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%AC%E3%83%BC%E6%82%B2%E5%8A%87%E3%81%AE%E8%A8%98%E6%86%B6/6144282
その英国のサイトでの批判は、コルティにあらぬ疑惑をかけた、もしくは煽ったのはハラーの「白い蜘蛛」で、疑惑が晴れた後も謝罪も訂正もしなかった、という事らしい。
「白い蜘蛛」が出版されたのが1958年でコルティの疑惑が晴れたのが1961年、「新編・白い蜘蛛」は1999年で追加改定されているので、どのように書かれていたかは、古い「白い蜘蛛」を読んでみないとわからない。
1960年に白水社から出版されている、その古い「白い蜘蛛」は図書館にも無いので古書店で買おうか思案中です。
ハラーは「新編・白い蜘蛛」の中でもコルティ(本の中ではコルチと表記)に対しては客観的表現ながら厳しい見方をしているようです。
「新編・白い蜘蛛」にはどちらの件も非常に詳細に書かれています。
ハラーに批判的なかのサイトもトニー・クルツの悲劇についての記述には好意的なようです。(ハラーには批判的でヘックマイヤーを高評価?英語なので良くわからんが)
登場人物が多く、同じ人をファーストネームで呼んだりセカンドネームで呼んだりとわかり難いですが、アイガーの事が良くわかる本です。
また、ハインリッヒ・ハラーと言えば「セブンイヤーズ・イン・チベット」が映画化もされていて有名なので読んでみました、「白い蜘蛛」より以前に出版された本で、登山とは直接関係ありませんが興味深い一冊でした、オススメです。
ヘイナイさん、はじめまして。
アイスメーア駅はアイガーとメンヒの間にあるので、北壁に通じる坑道はアイガーヴァント駅で正しいと思います。
ハラーに対する批判は、アイガー初登時は常にラストだった彼が、如何にも自分の力で登ったように本を出版したことにもあります。殆どトップを務めたヘックマイアーはオーストリアチームのスピードの遅さに驚き、撤退する様に勧めたところ拒否され、フェルクが間を取り持って一つのチームとして登る事を提案したようです。ヘックマイアーは自著に、ハラーはアイゼンを持っていなかったため、カスパレクはバスタブのようなステップを切っていたと書いてあります。
ヘックマイアーは自伝でヒットラーにも会っていたり、第二次大戦では従軍していた事を明かしています。フェルクはロシア戦線で戦死、カスパレクも兵役につき捕虜になっています。初登攀者4人の中で戦争中ヒマラヤに行っていて、明らかに銃を持っていなかったハラーだけが、決定的ナチ党員である証拠が暫く無かったのでシラをきっていられたのでしょう。自分の過去が暴かれまで、ドイツチームをナチの手先だったと批判していた様ですからイメージは良くないですね。
コルチの遭難の顛末は「地獄への登攀」が和訳本であります。疑惑が持たれたようにコルチ自身はあまり良い人ではなかったようです。アマゾンで中古本を入手出来るので興味があれば読んでみてください。
ankota さん
興味深いコメントありがとうございます。
白い蜘蛛の中の記述によると、救助隊はアイガーヴァント駅の先の3.8Km地点の坑道口から救助に向っており、またヒンタシュトイサートラバースの手前から懸垂下降するとアイガーヴァント駅よりかなり西側に降りてくると思います。
距離から考えて3.8Km地点の坑道口が現在のアイスメーア駅だと勘違いしてしまいました。
写真UPしました、Gallery Windowとあるのが3.8Km地点の坑道口だと思います。
そうですね、ご指摘の通りアイガーヴァント駅は北壁の左手にあり、救助隊が出たのは「赤い壁」の下のギャラリー・ウィンドウで別ものです。鉄道のトンネルを掘った時の土砂捨て穴だったようです。冬期初登したトニー・ヒーベラ達は一旦この坑道からトンネルを歩いて下山して、態勢を整えてまたトンネルを通ってここから登っています。なんかズルい気がしますね。ただアイガーヴァント駅から3.8kmも離れているかなぁ?
ユングフラウ鉄道の路線図に
クライネシャディック0.0
アイガーグレッチャー2.0
アイガーヴァント4.3
アイスメーア5.7
とあったので、クライネシャディックからの距離かなと勝手に理解して、トンネルになるアイガーグレッチャーから約3.8kmと考えてしまいました。
何処から3.8kmかわかりませんが、白い蜘蛛にはアイガーヴァント駅から400m先とありました。
「地獄への登攀」調べてみました、意外と安いので購入して読んでみようかと思っています。
ありがとうございました。
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