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式子内親王(しょくしないしんわう)
(私の命よ、絶えるなら絶えてしまいなさい。
生きながらえいると、忍ぶ恋が知れてしまいそうなの)
式子内親王(1149〜1201年)
後白河院皇女で、11歳から21歳までの約十年間、加茂の斎院として神に仕える。
いつきの昔を思い出でて
〈ほととぎす そのかみ山の 旅枕 ほの語らひし 空ぞ忘れぬ〉
新古今和歌集 雑上[1486(1484)]
命がけの忍ぶ恋の歌が数多く、と。
〈君ゆゑと いふ名はたてじ 消えはてむ 夜半の煙の 末までもみよ〉
(火葬されても、その煙さえ、あなたの方に靡いたりしないわ)
[新古今和歌集]の3人の女流歌人の1人。
藤原俊成女(むすめ)と宮内卿の2人は[百人一首]に登場していません。
4月20日の日記で、はじめ彼女のこの歌を書いてみましたが、コロナでの自粛の中で、ちょうど[ハナミズキ]の花のきれいな頃、巷が[忍ぶ]空気の中で、ちょっときついかな、と思って[宮内卿]の歌に替えました。
🚗週明け、通勤の青年に、運転のお礼に🍰[フィナンシィエ&マドレーヌ]をあげると、「友人の店ですわ。この袋」と。
彼の友人が焼いたモノだったかもしれません。
こんにちは。
「いつきのみや」とは伊勢の斎宮の事だとばかり思っていましたが、賀茂神社でもそう呼んでいたのですネ。いずれにしろ式子内親王は恋多き女性だったようで。。。でも絶世の美女の失恋の歌を、さりげなく後世まで残している日本文学はすばらしいですね。
こんばんは。
新古今和歌集のこの歌の詞書きに
[いつきの昔を思い出でて]
とありました。
このあたりの事は、実際、群行の足跡をたどられ、斎宮にも行かれた[maasuke1]さんにお任せいたします。
式子内親王、知ったばかりですが、
[歌]として残されて、遥かな昔の事なのに、人の息づかいを感じますね。
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