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(以下、文中敬称略)
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以前攀じたことのある穂高や谷川岳ではなんとも気分が重く、20代の昔、なんでもなく登れたルートが登れないようでは、肉体の老化現象と、40歳という年齢の悲しみに鞭打たれる思いがするだろうと、剣岳にしたのだ。
(『カラー 立山 剣岳』安川茂雄著、1970、山と渓谷社)
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著者の安川茂雄は大正14年生まれで、この本を出した当時は45歳。
今どき40代が「年齢の悲しみに〜」とか言ったら、違和感ありまくりでしょう。
深田久弥も、57歳のときに、こんなふうに書いています。
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(北穂小屋の)宿泊者の年齢は20代が大部分で、10代、30代がそれに続き、40代はごくわずか、50代はほとんど見当たらなかった。
(夜行列車の)車中でも山頂でも、私のような年齢の者を見出すことは困難である。
(『山さまざま』1982、朝日出版社)
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深田久弥は明治、安川茂雄は大正の生まれですが、もう少し時代の下がった椎名誠(昭和19年生)も、こんなことを書いています。
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なんとなくいつもチラッと目に入ってくる本があって、それは『四十歳からの山歩き』というタイトルだった。
「ああ、四十歳以上になって山に登るというのは大変なんだろうなあ、気の毒になあ・・・」とチラッと心の中で思ったりしたものだ。
(『ハーケンと夏みかん』1991、集英社 ※初出は1986)
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こうして見ていくと、昭和のある時期まで「四十歳」がひとつの区切りで、それより上になったら、しんどいこと・無茶なことをしないというのが不文律というか一般認識になっていたように思われます。
それがいつ頃から変わっていったのか?
羽根田治は、平成に入った頃(1990年ごろ)が中高年登山ブームの最初のピークと指摘していますが(『ドキュメント気象遭難』2013、山と渓谷社)、この前後から40過ぎの登山者が社会現象になっていったのでしょう。
私の記憶はうすらボンヤリですが、80年代前半も山の中はおっさんばかりだったような気がします。あとは学生か。
ともかく、登山者全体の絶対数がそれほど多くなかったので、社会現象というにはほど遠い状況だったかと思います。
常々関心があるのですが、ヤマレコの2種類のアクティブ利用者として、年間XX回程度の
・その1:ヤマレコアプリで登山開始〜登山終了の操作をする人
・その2:山行記録や日記投稿をする人
の数を年齢別のヒストグラムにすると、どんな分布形が見えてくるでしょうね?
我々利用者が肌感覚で感じるのは「その2」しかありませんが、子育てが一段落、仕事が一段落、という方々が多そうに見えます(山の中ですれ違う方々の姿形からも、を含めようとしましたが、私は人混みを避けた平日しか行ってないので、考慮しちゃダメでした)。
「その1」と「その2」の差分が拾えたりすると、子育てや仕事の真っ最中の方々は、山行するだけで精一杯、投稿までの余裕なしか?あたりの見当もつきそうですね。
若い人は投稿までの余裕なし→登山終了して即UPできるYAMAPに流れるという図式でしょうか?
日記をUPしたりコメントやり取りしたりという時点で、中高年の証しかもしれませんね!?
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