登山の原則は自己責任です。でも皆さんがよく語られているように、責任を負わない(負えない)人がよく使っているのも現状です。
自己責任って自身の行動による過失の場合にのみ自身が責任を負うといいますが、じゃあ、どこまでが過失かっていうことが問題となります。入山禁止の山に登って遭難したらそれは過失ではなく、故意です。登山届を出さない、装備品を確認しない、悪天候で登るー全て故意です。
自己責任で登るのだから遭難しても良いなんていうのは、責任を放棄している以外のなにものでもありません。遭難しないように登るのが登山者であり、少なくとも他人に迷惑をかけないことが必要です。
遭難が発生すれば、警察や消防、山遭協は故意の遭難者でも救助に向かいます。この時点ですでに他人へ迷惑をかけているのですが、それ以上に救助を待つ家族がどんな思いでいるか、どれほど迷惑をかけているかを考えれば安易な計画の登山はできないと思います。責任って重いものなんです。
やるべきことをやって初めて責任という言葉にも意味があります。自己責任を無責任な山行の言い訳には使って欲しくないですね。
初めまして。
自己責任だから!!(なにやってもいいんだ!)
って人に限って事故を起こすと、
それは登山に限らず、ギアのせいにしたり、クルマのパーツのせいにしたり、ショップのせいにしたり、
言い訳は自分のせいにはならないものなんですよね(残念君
冬季閉山中の山など、
本来、人がいるはずのない所での事故は対処する方も大変だと思います。
自分は経験知不足でちょっと危ない目にあった(自分のせい)こともありますが、
経験知不足を補える山行を続けて行きたいと思ってます。
TsA7さん、初めまして。
今日、山に登って午後から入山する人をたくさん見ました。たぶん、自己責任云々以前の方だとは思いますが、できるだけ「登頂は無理ですよ」って声をかけるようにしています。
経験はあとから付いてきますので、一杯勉強して一杯山に登ってください。
今は良い時代ですね、ただしこの言葉の意味に誤解のないように、
私らの時代は捜索隊など不整備で救援を求める時には山岳連盟や地元の人に要請するので費用が大変です、
当時で一人あたり2〜3万円で何十人で都からだと交通費と宿泊代、ヘリなど使用すると1時間あたり何十万円かかりました、
家族の負担も100万円位は普通でしたよ、その為皆強制的に山岳保険に加入させられましたし、
当然登山するには会に装備など提出し許可されて初めて山に個人で行けるようになります、その為に誰かがいざという時に残っていましたよ、
山を登るには何処であろうとそれだけの覚悟と責任がありました、
naiden46さん、初めまして。コメントありがとうございます。
山に登るためには今でも覚悟と責任は必要なのですが、残念ながら多くの方がその両方を持ち合わせず山に入っているのが現状です。近年の山岳遭難の形態の多くが「道迷い」でその原因は「地理不案内」です。誰でも道に迷うじゃないかとおっしゃられる方もおられると思いますが、ここで言う道迷いは地図も持たずにコンパスで確認することなく山をさまよっている状態です。一昔ならそんな方はいなかったと思いますが、そんな方を含めて世間では登山者と呼びます。登山者が覚悟や責任を忘れたのではなく、責任感のない方が山に入っているのが現状ではないでしょうか。
こんばんわ、masutyannさん、初めまして。
大変参考になる貴重な意見と思います。
この日記がこのまま直ぐに過去に流れて行ってしまうのはもったいなく思いましたので、コミュニティ「山でのルール・マナー」のトピック「立ち入り禁止の山塊への山行記録UP」にリンク張らせて頂きました。
コメントnoは3です。
http://www.yamareco.com/modules/xsns/?p=topic&tid=825
事後承諾で申し訳ありませんがリンクのご承諾お願い致します。
もし、なんらかの都合、事情で不都合であればコメントください。至急対応致します。
tabioさん、初めまして。コメントありがとうございます。
リンクについてはオーケーです。
入山禁止の山への入山の話以上に、もっと深刻に思うのは、警察や山小屋の方に直接、注意喚起されたにもかかわらず、山に入る方が結構多いということです。これは初心者に限ったわけではありません。ベテランの方が、「これくらいの雪なら大丈夫だ」と判断して登山されています。低山に限らず北アルプスでも多いと聞きます。結果、その山行は無事下山されたとしても、いつか過信が遭難に繋がると思いますし、そうした方の背中を見て登る方の遭難を誘発することにもなります。
こんな言い方をすれば変なのかもしれませんが、登山ってそもそも人様の所へおじゃまして感動を与えて頂いているわけですから、マナーを守る、守らない云々以前の問題です。平気で他所様のお宅に土足で上がれる方はどうしようもありませんが…
粗方共感する部分が多いのですが、全て故意かどうかは少し違う様に感じます。
分っていて無謀な登山をする方より、よく分からないで無謀な登山になってしまう人が多い様な?
まあ山に対する意識、知識、常識が欠けている登山者が多いのが実情かと。
言ってしまえば無知です…そういう人が無謀を重ねて怠慢が重なり遭難へと至ると
nakato932さん、こんばんわ。コメントありがとうございます。
ちょっと厳しい言い方になるかもしれませんが、故意には「未必の故意」っていうのも含まれますので、意識、知識、常識が欠けているのに山に登るっていうことは、「よく分からないで山に入ったが遭難しないだろう。もし遭難しても仕方がない(構わない)」と思って山に入っているのと同じように思えます。遭難者のコメントが新聞に載りますが、「甘かった」云々の類が多々あります。分かっていて遭難しているのですから、やっぱり故意ですね。
山はよく分からないで入って良い場所ではありません。山を理解し登ることも責任の一つだと思います。
初めまして。
本来、自己責任とは「自分が責任を持たなくてはいけないのだから、しっかりした計画の元で慎重な行動を。」であるべきです。
自分に過失が有ろうが無かろうが、良い結果であれ悪い結果であれ、自分の起こした行動の結果全てに責任を持つべきだと思うのです。
しかし、
「自己責任→自由→何をやっても良い」とねじ曲げられている様な気がしてなりません。
だいぶ前のことですが、下山中、若いカップルに「頂上はこっちですか?」と聞かれたことがあります。女性の足下を見ると、ヒールがそこそこ高い靴。「それで行くの?止めた方が良いよ。」と注意したものの、そのまま登って行きました。
先日も、雪に覆われた登山道をスニーカーで上っている人をたくさん目撃。
確かに登れるのです。でも斜面で滑ったらどうなるか。
あまりにも軽装で登っている人を見ると、この人のバックパックの中に雨具や防寒着は入っているのかしら、と余計な心配をしてしまいます。
想像力の欠如も大きな要因だと思うのです。
高橋庄太郎さんは著書の中で、「トレッキングはシミュレーションゲームだ」と述べておられます。シミュレーション能力の欠如が安易な入山となり、自己責任を言い訳とする風潮が生まれるのでは無いでしょうか。
車の免許を持っておられる方は、きっと教わったと思います。「だろう運転では無く、かもしれない運転へ。」
山でも同じだと思います。
雨が降るかもしれない。
風が出るかもしれない。
ガスで方向が判らなくなるかもしれない。
そう言った「かもしれない」に対してどう対応した準備と行動を取るかが、責任ある行動につながるのでは無いかと考えています。
偉そうなことを言う私も、自慢できる装備や技量もありませんが、山が好きだからこそ「絶対に山で事故を起こさない」事を肝に銘じて、そのためにどうするかを考えながら行動しているつもりです。
そもそも、遭難したら自分一人で責任など負えないのですから。
GON56さん、初めまして。コメントありがとうございます。
自己責任って結果はもちろん、過程も重要なんです。どんな情報を元に山に入っても自由ですが、その情報の真偽を確認するのは登山者自身です。「かもしれまない」に対応できるのは、おっしゃる通りシュミレーションですが、そのためには知識や経験が必要です。そしてそれを生かさなければ意味がありません。
山と向きあって安全登山に心掛けてくだだい。
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