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久し振りの長文日記でも、書こうかなと思います。宜しかったらお付き合い下さい。
それは、今から20年以上前の出来事です。当時、私達の自治会は軒数が40軒弱の小さな自治会でした。組数も、3組しか有りません。
(当自治会の神社は、祢宜さんが常駐していない無人の神社です。)
そんな中、自分達の氏神様の老朽化した「本殿」の建て替えの話が持ち上がりました。(それまでに、神社積立金を毎月行っていましたが。)
それでも、到底建て替える資金は不足していました。それならば、自分達が休みや都合の良い日に出役して作業を行って神社を建て替えを行うと決定しました。(自治会全体集会を実施して。)
当自治会には、幸いにして「宮大工」の棟梁がいましたし、神社建設委員長に適任のリーダー的な方もいました。それぞれに、役割り分担や作業工程表も建設委員長や棟梁の指示で決めました。私は当時組長をしていましたので、当然ながら建設委員に選ばれました。
建設委員全員で、各地の神社を廻りどんな神社が良いか見学にも行きました。そうして、皆が納得する格好いい本殿を建設する事としました。
まずやる事は、「神様」の引っ越しです。地元の神主(祢宜さん)にお祓いをして貰い、仮の場所に引っ越しをしてから作業開始です。
古い老朽化した本殿は、自治会員総出して取り壊しをやり整地して地鎮祭も行いました。本殿建設に必要な建築木材は、自治会の山から自分達で伐採して製材、乾燥して調達しました。購入すれば、簡単ですが建設資金が不足していますから買う余裕が有りませんでした。自治会の山には、檜材も有りましたが殆んどが杉でした。
普通、神社仏閣は檜造りなんですが檜材が不足の為、肝心な所は檜材を使用してその他の場所には杉材を使用して安く仕上げる事となりました。
壁土も、近くの山から赤土を掘り藁を混ぜ込み使用しました。壁の下地にする竹も調達して、老人会の方々の指導により竹の組み込みや壁塗りも行いました。(竹の組み込みは、エツリと呼ぶそうです。)
本殿建設に伴い同時に(寄付金)のお願いも行いました。神社本殿建て替えの趣旨を書いて当自治会に関係の有る方々のお宅を廻りました。
趣旨をご理解頂き、沢山のご寄付も集まり自治会全体が盛り上がりました。(そんな小さい自治会が、自分達で建て替えを行う事に対してご賛同頂けたのだと思います。)
思いの外、寄付金が集まりましたので「社務所」も建設する話となりました。(以前は、社務所がない神社でしたから。)
完成までには、作業開始から1年半程懸かりました。完成時には、盛大に奉祝祭を執り行い稚児行列も行いました。私は、建設委員だったので御祝いの(餅撒き)も、白ネクタイをして礼服を着てやらせて貰いました。(立派な本殿が完成して、ちょっと感激しました。)
当神社の御祭神は、「松平定綱公」「火産靈神・ホムスミノカミ」「大山津見神・オオヤマツミノカミ」です。
松平定綱公は、徳川家康の甥に当たる方です。寛永12年(1635年)桑名藩主になった方です。定綱公が当時夏の暑い時期に、沢山の家来を引き連れて当地に避暑に訪れていたんです。桑名は現在でも暑い地域です。(良く、全国で○番目の暑さとか報道されていますから。)
そうして、この場所がお気に入りになったらしいです。当地を開墾して米作りを奨励されたんです。(神社のある場所は、地名が御殿と今でも呼びます。)
ですから、当神社の家紋も「葵」の御紋が使用されていて賽銭箱や幕、提灯まで葵の紋が入っている由緒ある神社なんです。(この紋所が目に入らぬかぁ〜!なんてね!)
小さい自治会ですが、自分達で建設した神社は今でも大切にされ毎月掃除や落ち葉の片付けをしています。
※実際に定綱公を祀る神社は、桑名の「鎮国守国神社」です。
そんな、歴史の有る神社の話でしたぁ〜!
写真左→神社本殿
写真中→葵の御紋が入った、賽銭箱
写真右→社務所
こんな立派な神社と社務所を
民で作り上げちゃうなんて!
凄すぎて凄い!
( ̄(エ) ̄)ノ_彡☆バンバン!
yeskumakumaさん、こんばんは!
何せ、お金👛・💰️・💴が有りませんから〜!😁🤣
皆が出て、作業するしか無かったんです!今、考えるとビックリ!😁当時は、別に何とも思いませんでした。
立派な、神社が完成して良かったです。では、また!
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