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1970年冬、12月23日からクリスマスとお正月を挟んで、翌年1月2日に下山するまでの死闘を記録したものです。パーティは小西政継氏をリーダに、星野隆男氏、植村直己氏、高久幸雄氏、堀口勝年氏、今野和義氏の6人。結果的には全員がめでたく登頂(グランドジョラス北壁冬季第3登)しているのですが、うち4人が合計27本の指を凍傷で失うという代償を払ったものです。
小西政継氏や氏が率いる山学同志会の執念というか闘志がひしひしと伝わってくる本でした。特に悪天候下、小さな雪崩の中に身を投じてクーロワールにルートを切り拓くところなどは鬼気迫るものがあります。
あとがきは植村直己氏が書いています。また、ところどころに登場される佐藤久一朗氏という方について、もう少し知りたくなりました。
それにしても、ベッドでゴロゴロしながら読むような内容ではなかったです。(済みませんでした。)
nomoshinさん私もこの本は読みましたよ、読んだと言うより小西さんがこの山を登っている時に新聞に遭難かと出ましたよ、
この時は小西さん達はまさに悪戦苦闘の死闘を繰り広げていたんですね、
小西さんはマッターホルン登頂の後、金策の為に各地で講演をしていました、山岳同志会とは多少私達の山岳会とは縁があり、
講演を会の人全員で聞きに行きましたよ、話はしなかったですが体は小柄でイカツイ顔立ちでした、
話し方は朴訥なあまり上手くはなかったですがその熱意は伝わって来ました、
一度どこかであの人が植村さんだと言われグランドジョラスへ行く為の岩の練習をしているとこを見たことがありました、
感想は植村さんは岩の上手い人ではないとかんじました、私自身大したものでは無いですが、
植村さん自身は岩はグランドジョラス以外登った記録がないと思いますし、
植村さんが無傷だったのは、山岳同志会の客人だったから怪我をさせる訳にはいかないと後で聞かされました、
この頃の山岳同志会は精鋭部隊でしたよ、小西さんが後はと思っていた今野さんも意外な墜死をし、
星野さんもまさかの所での墜死その他、日本の優秀なクライマーが同会から消えて行きました、
この前後の山岳同志会以外もまさに命をかけて登っていましたよ、
naiden46さん
コメントありがとうございました。いろいろと裏話もあるのですね。
ところでnaiden46さんは、どちらの山岳会だったのですか?
ちなみに海外遠征も計画されたりしていたのでしょうか?
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