荒野(ウィルダネス)における頭脳と常識
山登りやバックパッキングほど、おもしろい遊びを体験したことはない。身体と頭と暇と金を、これほど真剣に使って楽しむスポーツはそうはたくさんないんじゃないだろうか。それにバックパッキングの一日は、24時間そのものがゲームなのだから。
衣食住のすべてを自分の背中で背負って、自然のなかを旅する遊びがバックパッキングである。体力が人一倍ある者が、優秀なバックパッカーなのでは決してない。誰よりも速く走ることのできる者は、世界一のランナーである。しかし、世界一のランナーなら、バックパッキングという遊びを誰よりもエンジョイできるとは限らないのである。歩き、寒ければ着、雨降れば雨をしのぎ、自分で食事の支度をして、わずかばかりの食物と燃料で一番おいしい食事を作り、夕方になればテントという小さな布の家を建て、夜はその家で朝までどうしたら暖かくぐっすり眠れるかを考え・・・・・、バックパッカーは旅をつづける。
バックパッカーに必要なのは、ごく当たり前の体力と人並みの頭脳と動物としての五感と、それから人としての常識。これらの条件は、ごく人並みであればそれでいい。しかし、何かひとつでも人並み以下であってはいけない。すべてにすぐれているけど、動物的は直感みたいなものがすごく鈍い人は、受験勉強じゃなくて鍛錬が必要。
大切なのは平均値なのだ。いかに歩き、いかに食い、いかに眠るか、という人間という動物の生活の基本こそが、何よりもこの遊びでは大切なのだ。バックパッキングや山登りが、いかに複雑なルールを持ったスポーツなのかを説明すれば、何冊ものルール・ブックができあがる。しかし、その厚い本のなかに書かれていることはすべて、”常識”さえ持ちあわせていれば誰でもが知っていることばかりのはず。
”常識”とは、「健全な一般人が共通に持っている、または持つべき、普通の知識や思慮分別」(岩波・国語辞典)。道を間違えて、このまま進めば踏み跡のない森へ迷いこみそうだがどうするか?当然、もときた道を引っ返してみるべきである、これは常識。こんな山の中だから、ガソリン・スタンドや車があるわけないのに、さっきからどうもガソリン臭いのだがどうするか?自分の背中の荷のガソリンの容器を調べてみるべきである。これは常識。雨が降ってきて日も暮れたのに、空腹で疲労がはげしいがどうするか?とりあえず元気がでそうなもをすぐに食べ、それからどうするか決めるべきである、これは常識。
けれおも、常識というものほど難しいものはないらしい。この地球の、大地と大気と海と川をこれ以上汚染すれば、人間自身の生活そのものが不健全になるに決まっているのは、常識というものだ。しかし、合成洗剤や原発は作りつづけている。決して自然に還らない石油製品が廃棄されつづけている。すべてのツケは、子供たちの時代に回されているのを、常識のある人なら知らないわけがないのに。
山の遭難のほとんどは常識を無視したところで起こっている。遭難事故のほとんどが、強行軍にある。明日帰らなければ会社に間に合わないから、という理由で、一体どのくらいの登山者が死んだことになるのだろうか。冬の上越国境稜線で、あの湿った重いドカ雪にみまわれ、しかも吹雪のさ中に行動して、結局みんなに最大限の迷惑をかけることことが、どんなにくだらない行為かは常識の問題である。天気が回復するまで、寝袋のなかでヌクヌクしていればいいのだ。回復しない天気というのはないのである。
そうは言っても、やっぱり経験というものが必要な場合もある。自然のただ中で吹雪や大雨に見舞われると、どうしても人間は、そこから一刻も早く逃げ帰りたいと思ってしまうらしい。また道に迷ったときには、とにかく尾根や山の頂に登れば、そこに必ず踏み跡があって、その踏み跡をたどっていけばちゃんとした道にもどれる、って知っていても、谷を下って一刻も早く山を降りたくなってしまう。(谷を下りるのはすごく危険)。
大切なことは、常識の判断のなかで”今、自分が何をしているのかをいつも知っていること”なんじゃないだろうか。
”回復しない天気は、絶対にないんだ!”っていう常識を信じよう。自分の常識が自分を守る唯一の武器だってことを信じることのできる常識を身につけよう。家の者や会社の人にどんな迷惑をかけようと、死んで帰るほどの迷惑はないんだっていう常識を、忘れないように。
山歩きやバックパッキングが、常識ということの本当の意味を教えてくれた。常識というのは、自然というものに逆らえば、いつも高くつくということを知っていることだってことを、吹雪の日に下山を急いでつくづくと思い知った。常識というのは、その時の状況をごく当たり前の人間の判断としてなんとなく正確に判断できるかどうか、という動物的な勘みたいなものが必要だってことを、独りで岩登りしていて墜落したときに知った。
ガソリン・ストーブでご飯を炊いてみれば、お米は電気ガマがなくても、それよりももっと上手に炊けることがわかる。3日も山を歩いてみれば、ぼくたちの肉体と心が、いかにひとつのものなのかを教えられる。人並みの健全な肉体の運動や労働がなければ、心の幸福はないんだってことを教えられる。山の上で食べるインスタント・ラーメンのうまさの意味を、ぼくは絶対に忘れない。
常識を働かせること。日常の生活のなかで、常識にみがきをかけること。そして、ごく当たり前の普通の人であることがバックパッカーに必要な頭脳のすべてである。
メイベル男爵のバックパッキング教書(1982年発行)より抜粋
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